到着ムコーの村 & 道具屋にて
「それにしても驚いたよな」
「なにがよ」
揺れる荷車の上で、俺は外套の内側にいる妖精ウェンディに話しかけた。
「ウェンディの姿が、ほかの人間にも見えているってことがさ」
荷馬車に乗りこんだ時は焦った。いきなり、あの幼い女の子に肩を指さされたのだから。
「『あ、可愛いお人形さんだ』ってな」
娘ちゃんと同様に、馬屋の親父さんや息子くんにも、俺の肩に乗ったウェンディが見えていたようだった。
「とっさに俺がお前に動かないよう指示して、そのまま人形のフリしてやり過ごせたからよかったけど……」
「そうね。アタシもおおっぴらに妖精の存在は知らせたくないもの。ただでさえ、里が崩壊の危機で忙しいってのに、これ以上の災難は持ち込みたくないわ」
ウェンディは肩をすくめて言った。そんな彼女に俺は「でも、ちょっと残念だったなー」とつぶやいた。
「残念って?」
「いやさ、てっきり……俺だけが特別に妖精の姿を見ることができるって思ってたからさ。おとぎばなしだと、清らかで純真な心の持ち主だけが妖精を見ることができるんだぜ?」
わざとらしいため息を吐く俺に、ウェンディは呆れたように突っ込みを入れた。
「あんたが純真なわけないでしょ。多分、逆なのよ──あの年老いた人間だけに見えなかったのよ」
「木こりのじいさんのことか?」
俺はじいさんの顔を思い出す。白い顎髭をたくわえた、ごく普通の老人のように思えるが……。
「……うーん、ウェンディもやっぱりそう考えるか」
「でしょ?」
「でも、なんであの老人にだけ妖精が見えなかったんだ? もしかして、年老いてると生命力も衰えて妖精が見えなくなるとか?」
俺が食い気味に聞いても、ウェンディにはさほど興味のない話題のようだった。
知らない、とだけ彼女は答えた。
「ほら、冒険者くん」
馬屋の親父さんに呼ばれて、俺は慌てて振り向いた。親父さんは顔を横に、どこか遠い方向を見ながら喋りはじめる。
「あそこをごらんよ。大きな橋が見えるだろう?」
親父さんの視線の先、かなり遠くのほうであったが横に広い川が流れていた。
その川を跨ぐように、これまた大きくて頑丈そうな煉瓦の橋が架けられている。
ちょうどいま、俺達が乗っている荷馬車が橋へ続く分かれ道を通り過ぎる。すれ違う人々の何人かが、橋のほうの道へ進む姿も目に入った。
「あの橋の先をずっと進めば、大きな街へ出るんだ。本当に、ここで下ろさずに、村のほうへ行っていいのかい?」
「はい、村のほうで大丈夫です」
親父さんの気遣いに、俺はこくりと頷いた。
もちろん大きな街にも興味はある。
だが、今日のところは妖精の里のある森に一番近い人里にて情報収集だ。太陽も傾きはじめていることだし。
「村に行ったって、なーんにもないよ」
息子くんが、俺のほうに振り返って言う。それに合わせて娘ちゃんも「平凡だよねー」と相づちを打った。
「僕は大きな街のほうがいいな。前に商人さんから聞いたんだけど、村より人がいーっぱいいて毎日お祭りみたいに賑やかなんだってさ」
「いやいや、うちの村だって悪くはないぞ? 住民は気さくな連中ばっかだし、酒場も宿もそれなりに整っているから旅の商人の評判がいいんだ」
「それはありがたいです。なにせ俺は一人旅なもんで、野宿だと危険がつきまといますから」
俺の言葉に、親父さんはますます調子づいて舌をまわす。
「あと、なんて言ったって水源豊富な湖がある! 憩いのオアシスと呼ばれるほど、村の名スポットなんだ」
「お父さん、大げさだよ。ちょっと小さな湖なだけじゃん」
ねーっ。と子ども達は互いに顔を見合わせる。
親父さんはぐぬぬと呻った。短い顎髭をしゃりしゃしさすると、陽気な顔つきが不意に真剣な色合いに変わる。
「……ようし。それなら、とっておきの情報をあげよう」
とっておきの情報?
その場にいた全員の視線が、馬屋の親父さんに集中した。
「今朝のことだ。俺と子ども達が村を出発する前に……酒飲み仲間から耳に入れた情報でな──」
もったいぶるように、親父さんはゆっくり話す。俺達はその横顔をまじまじを見つめた。
「さる旅人が、昨夜から村の宿に泊まっているらしい」
「旅人……」
「なんだ、そんなの別に特別でもなんでもないじゃん」
息子くんの言葉に、親父さんは静かに首を振る。
「いやいや、それがこの辺では見かけない格好の……なんでも独特の雰囲気のある女の旅人らしいんだ。吟遊詩人を名乗って、昨夜の酒場で古い物語の歌を唄ってくれたとか……」
吟遊詩人、古い物語──
(それだ!)
俺は心のなかで思わず叫んだ。
「そ、その人、まだ村にいるんですか!?」
「おっやっぱり冒険者くんも気になるか~。そうだなぁ、そればっかりは村に着いてみないとわからんからな」
もし運が良ければ、今夜酒場で会えるかも。
と、親父さんはからっと明るい調子で言った。それからまた、妙に真面目な顔つきに戻って声を低くする。
「して、ここからが一番重要な話だ……」
どうだ、聞きたいか?
俺達の顔を見て、親父さんが訊ねる。
俺はもちろんのこと、二人の子ども達もこくこくと頷いて、話の続きを父親にねだった。
「その女の旅人を見た仲間によると──」
「よると?」
「──めっちゃくちゃ美人らしいぞ! うははは!」
「…………」
嬉しそうに笑う親父さん。
そんな父親に子ども達は白い眼差しを向けていた。
ゆるやかな空気に脱力しつつも、俺はちょっと先の希望が見えてきたようで、逆に気持ちが軽くなった。
そうこうしていると、向こうの景色に家々が見えてきた。あれが村か。簡易的な柵の合間に設けられたアーチをくぐる。アーチには両面共に、村の名前が刻まれていた。
二日目の夕刻前。
俺と妖精は、湖畔の村ムコーに到着した。
* * *
「はい、これお勘定ね」
閉店前の道具屋の露店にて。俺は店のおかみさんから、売った薬草の金を受け取った。
そこそこの枚数の硬貨に、俺は納得して頷いた。これで、今夜の宿代は充分にまなえそうだ。
「助かったわぁ。この薬草、近頃ではめったに手に入らないのよ。葉っぱも大きいめだし、どこで採取したの?」
「森のなかで。この辺りではたしか……『黒の森』とか呼ばれている──」
「ああ、村の出て道をずーっと先に進んだところにある鬱蒼とした森のことね。あなた、そんな所へよく採りにいけたわねぇ。この辺りの人もあまり近づかない場所なのに」
「まぁ俺、一応冒険者ですから」
得意げに笑ってみせれば、おかみさんも「そう、頼もしいわね」とにっこり言った。
時刻は夕時。
ムコーの村に到着した俺と妖精は、村の酒場に行く前に、道具屋で旅の準備を済ませることにした。
ちょうど、俺をこの村まで乗っけてくれた馬屋の親子の母親が小さな道具屋の営んでいたようで、そのまま紹介してもらったのだ。
「ほかに、なにか必要なものがあれば言ってちょうだい」
おかみさんも、親父さんと同じく気さくで明るい性格だ。
「薬、蜂蜜、お酒、その他雑貨類を揃えているわ。旦那が馬屋で運搬の仕事をしているから、余所の村や町に行くついでに色々と品を調達してもらっているのよ」
もっとも、武器とか防具とかは置いてないんだけどね。
と、おかみさんの『防具』という言葉に、俺は自分の頭を触った。
そういえば、つけていたバンダナは燃えてしまったんだっけ。思い出して、一枚の布があるかをたずねる。
「バンダナ用の布ね。ちょっと待ってて、えっと……」
おかみさんは、品を探してカウンターの下へ身をしゃがませる。
その隙にと、俺は外套の内に隠れている妖精にこそっと話しかけようとした。
「なぁ、ウェンディはなにか必要なものは……」
あれ? と俺は瞬きをする。
身を探り、外套を脱いで確認してみても、妖精の姿はどこにもなかった。
キャッキャッ。
すると、どこからか無邪気な赤ん坊の声が聞こえてきた。
見ればカウンターの向こうに、ゆりかごが置いてあった。おかみさんの三番目の子どもだろう。
注目すべきは、そのゆりかごが不自然に揺れているというところだ。さらによく見れば、ゆりかごから淡いライム色の光がほんのり発光していた。
いた、ウェンディだ。
なにやら楽しそうに、彼女はゆりかごのなかの赤ん坊の頬を突いて遊んでいた。
「お、おい。早く戻ってこ──」
「あったわ、バンダナ用の布!」
「!」
おかみさんが急に立ち上がったものだから、俺はびっくりして身をのけぞらした。
「あら、どうしたの驚いちゃって?」
「い、いえなにも……」
ははは、と俺はごまかすように笑った。
キャッキャッとご機嫌な赤ん坊に、おかみさんも気づいてゆりかごに振り向く。「あーら、ずいぶん機嫌がいいのね」と言って、ゆりかごのなかを覗いた。
幸い、その時にはすでにウェンディは赤ん坊から離れていて、俺の外套のフードのなかに収まっていた。
おかみさんが赤ん坊をあやしている間に、俺はフードのなかのウェンディに振り向く。
「なにやってたんだよ、見つかったらどうするんだよ」
「ねっ、面白いわね。アレ」
やや興奮気味にウェンディはゆりかごを指さして言った。
「アレ、なんなの?」
「アレアレ、言わない。……赤ん坊だよ、人間の」
首を大きく傾げる妖精に、俺は人間はみんな最初はあんな感じで、段々と成長していくことを簡単に説明した。
「へー。じゃ、あんたも昔はあんなんだったんだ」
「…………」
茶化すように言った妖精の言葉はスルーして、俺はおかみさんからバンダナを受け取って料金を支払った。
さっそくバンダナを装備する。青地のバンダナは銀色の髪と相性がよく感じられて、俺は心持ち精神力が上がったような気がした。
「髪、下ろしたままでも充分格好いいのに」
赤ん坊を抱いたおかみさんは、俺の頭を見て言う。
「この髪型のほうかしっくりくるんです。冒険者って感じで」
「冒険者ね。うちの旦那が好きそうな言葉だわ」
おかみさんは苦笑した。
「荷馬車に乗ってて、うるさくなかった? あの人お喋りだし、今日は子どもを二人も乗せてたからねぇ」
「いえ、逆に退屈しなかったし、お子さん達も良い子でした」
あと、いいことも教えてもらいましたし。
「いいこと?」
おかみさんは突然、あっと顔をしかめた。
「あれでしょ、酒場に美人がいるっていう……」
「えっ、はい」
「まったく、子どもがいる前であの人ったらなんてことを。ほんっとに男ってのはしょうがないんだから」
ぷりぷり怒り出すおかみさん。ちょっと聞きづらかったが、「そんなに噂になっているんですか?」と俺はたずねた。
「小さな村だからね。些細なことでも話題になるのよ」
「その女の人、まだ村にいるんですか?」
俺の質問に、おかみさんは少し目を細める。ふぅん、と思わしげな視線を向ける彼女に、俺は慌てて手を振ってやましい気持ちがないことを伝えた。
「む、昔の伝承とか聞きたくってさ。この辺に伝わる伝説みたいな話しを……」
「伝説」
おかみさんは小さく噴き出した。
「ないない。この辺りに伝説なんて大層なもんはありゃしないわよ」
平凡で平和な湖のある村。
それがムコー村だと、おかみさんは微笑みながら言った。
「なにも変わり映えしないけれど、それがまたいいっていうか──」
「おーい、冒険者くーん!」
呼び声に反応して、俺は振り向く。向こうから、ドタドタと土埃をあげて走ってきたのは、馬屋の親父さんだ。
「さっき酒場の主人に聞いたのだが、今夜も来てくれるそうだぞ。例の美人の──!」
「コラ、あんたッ!」
おかみさんの怒鳴り声が夕日に響いた。おしどり夫婦の漫才はそのままにしておいて、俺は礼を言って道具屋を後にしようとした。
「あ、冒険者のお兄ちゃん、ちょと待って」
親父さんが走ってきた後から、とてとてと歩いてきた子どもの姿があった。
娘ちゃんだ。彼女が俺の前で足を止めると、ずいっと腕を前に突き出した。
俺が目線を下ろすと、その手には黄色い花が握られていた。
「はいこれ、あげる」
「俺に?」
「ううん、お人形ちゃんに」
がくっと、こけそうになった。
苦笑いしつつ、俺は身をかがませて娘ちゃんから黄色い花を受け取った。
「ありがとう、お人形に渡しておくよ」
あの子、ウェンディって言うんだ。
と最後に、妖精の名前を教えてあげた。
娘ちゃんが手を振るなか、俺達は酒場へ足先を向けた。
黄色い花は、フードのなかにそっと入れて。
「ウェンディちゃん、ばいばーい」
女の子はいつまでも手を振っている。
俺が首を振り向かせば、フードのなかから小さな手が突き出ていた。
黄色い花を握った手を、妖精は左右に振っていた。