終末の日の昼 チェルト編Ⅰ
「よいしょっ、と」
とがった石を手に、ワタシは木の壁に傷を入れた。
左上から右下へと、一本の線を斜めに走らせる。今、ワタシが入れた線を含めて、壁の線は四本になった。
「四日経った、ということね」
石を置いて、ワタシはご自慢のコケモモ色の長い髪を手で梳いた。それから腕を組み、小難しい顔で壁の傷をまじまじと見つめる。
「チェルトー、お昼ご飯にしよう!」
自分の名を呼ぶ声が聞こえて、ワタシは振り返った。
ワタシは今、貯蔵ツボが並ぶ高い棚の上にいる。ツボの隙間から身を出して、声の聞こえた方向を見下ろした。
巨大なテーブルの上で、仲間の妖精がこちらに手を振っている。ワタシも応えるように軽く手を上げた。
「チェルトってばー!」
「わかっているわよ、今行くから」
ほかの妖精もテーブルへ集まってきた。テーブルには三人の妖精、ワタシを入れれば全員で四人になる。
ワタシたち四人の勇気ある妖精は、現在、生死をかけたサバイバルの真っ最中だ。ここは敵地、人間の住む小屋のなかという恐ろしい場所である。
家主である、顔がしわくちゃで腰の曲がった人間は、朝から外へ出かけてしまった。人間の帰りを警戒しつつ、今日もワタシたちは健気に妖精の里からの救助を待ち続けるのであった。
ワタシは羽をはためかす。
宙へふわりと飛ぶと、そのままゆっくり落下して、見事テーブルのまんなかへ降り立った。音のない優雅な着地っぷりに、ワタシはひとり得意気に頬を緩ませて、長い髪をサラサラ揺らした。
降り立ってみると、テーブルとは思えない。小さな妖精から見れば、ちょっとした広場だ。
そんなことを考えつつ、ワタシは揃ったメンバーと足下に並べられたお昼ご飯をいちべつする。
「今日で、何日目になるの?」
と一人の妖精が私に尋ねた。四日目だと答えれば、その妖精は悲しげにため息を吐いた。
「もうそんなに経つのかー」
「いつになったら、里からお助けがくるんでしょうか……」
「あうう、もしかしたらもう忘れられり?」
三人は各々しょんぼりして、肩を落とす。
ワタシも彼らの傍らで、改めて事の始まりを――最初の日を思い返した。
(すべては妖精の里を救うため)
あれは、妖精ウェンディがヘンテコな人間と一緒に旅立って数日後のことだ。
女王様の下した判断に納得がいかなかったワタシは、独自の調査を経て、森のなかに人間の住む一件の小屋があることを突きとめた。
そう、ワタシたちがいるこの場所である。
(女王様はおっしゃっていたわ。真に剣を引き抜くことができるのは……呪いをかけた者の血筋を引いている人間でなければならないと)
ワタシは確信した。この小屋に住む、しわくちゃの人間こそが、その血筋を引く者なのだと。
なによりも、その人間が近くに現れたことにより、大樹の呪いも強まったのだ。これ以上、明白な答えはほかにありえないだろう。
「おマヌケのウェンディ。骨折り損のなんとやらってやつね」
ワタシはほくそ笑んだ。
あの子が連れてきた人間の力なんて、借りる必要はない。やはり妖精族の問題は同じく妖精の力で解決すべきだ。
そしてワタシは女王様にも内緒で、とびきりマーナの扱いが上手い妖精数人を引き連れて、人間の小屋へ襲撃をかけた。
先手必勝。力で叩き伏せて言うことを聞かせ、里にある呪いの遺物を引き抜かせる……今考えても、完璧過ぎる作戦だった。
して、襲撃は予定通り実行された。
……のだが。
「お、思い出しても、頭が痛いわ……」
周りに聞こえないように、げんなりうめいた。
この妖精チェルト、一生の不覚。まさか攻撃する直前になって、何人かの妖精たちが怖じ気づいて逃げ出すとは。
(訓練もなしに、即席の部隊で功を焦り過ぎたかしら)
士気を上手く高められなかったことが、大きな敗因であった。よって、素晴らしき作戦は大失敗に終わった。
さらに悲劇は続く。逃げ遅れたチェルトとほか三人の妖精がとっさに駆け込んだ場所が――あろうことか、件の小屋のなか。
以降、里からの救助を待って、なんとか今日まで生き延びているのであった。
「チェルト、どうしたの?」
「ふぇ?」
はっと、回想から我に返ると、目の前にぎっちり寄せ合った三人の顔が並んでいた。こちらを覗くつぶらな六つのおめめに、ワタシは思わず「キャッ」と驚いて、あろうことか尻餅までついてしまった。
三人は互いにきょとんと顔を見合わせて、それからクスクスと愉快に笑った。
「いきなり、驚かさないでちょうだい! ああもう、大事な髪が汚れちゃったじゃないの」
恥ずかしさで熱を持った耳を髪で隠しながら、ワタシはすくっと立ち上がった。
髪の汚れを払っていると「くふふ、ごめんねー」と一人の妖精がやっぱり笑いながら言う。ワタシは「ごめんねー、じゃないのかしら!」と口をとがらせて言い返した。
「まったく……なんて脳天気なのかしら、あなたたち。ワタシは今、この天才的な頭脳を働かせて、今後のことを考えようと――」
「なんでもいいから、ご飯食べれり」
「そうそう、腹が減ってはなんとやらー」
「すばり、そのとおりでしょうね」
そう言って自由奔放な三人の妖精たちは、美味しそうな昼食に手を伸ばしはじめた。
「……もう」
敵地でも変わらぬ食い意地にワタシは呆れつつも、彼らと一緒に交じって、つかの間の平穏を味わった。