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プロローグ Ⅰ

 ――ドスッ、ドスッ。


 心地よいリズムが、森のなかに響く。

 俺は切り株に腰を下ろして、その音の鳴るほうをじっと眺めていた。


「ほっ!」


 力強い声とともに、(おの)が振り下ろされる。

 重い鉄の切っ先が勢いよく木の根元(ねもと)に突き刺さった。派手に木くずが飛んで、少し離れたところにいる俺の(ほお)をかすめていく。


(へぇ、すごいなぁ……)


 それは俺がはじめて目にする、木こりの仕事であった。

 さして物珍しい光景でないことはわかっている。しかし、十六歳にして見知らぬ土地をひとり放浪する自分にとっては、その地で暮らす人々のなにげない営みもすべて新鮮に映るのだ。


 脇で仕事を見学させてもらっている俺は、自身のアイスブルーの瞳をらんらんに光らせる。特に重い斧をサクサクと振るう、木こりの手際のよさには感心した。これが腰の曲がった老人のする仕事だというから、ますます驚かされる。


「ふぅ、こんなもんじゃな」


 ひと息ついて、木こりのおじいさんは斧を地面に突き刺した。

 それから、くるりと俺のほうへ振り返って──おじいさんはこう言った。


「ちぃと危ないから、もっと向こうに下がっていなさい」


 おじいさんの言うとおりに、俺は切り株から腰を上げようとした。

 が、俺が下がる前に、しわくちゃの手がぐらつく木の幹に押し当てられる。慌てた俺は、(なか)ば中腰のまま後方へ飛び退いた。


 ドシンッ! 大きな音とともに、一本の木が地面へ倒れた。

 衝撃による風圧が俺の顔に張りつく。空気もビリビリと震え、周辺の木々にとまっていた鳥たちも驚いて、いっせいに空へと羽ばたいていってしまった。


 翼の音のけたたましさに、地面で尻もちをついていた俺はつられて大空を見上げた。青みが薄れた色白い空に、飛び散った鳥たちがまだら模様をつくっている。ふいに涼しい秋風がとおって、俺の銀色の前髪をやんわりとすくっていった。


 季節は秋に入ろうとしている。

 見上げた空に浮かんだ太陽は、やや低めに傾いていた。日中、低い軌道をたどる太陽の代わりに、高い天上を陣取っているのは──うすら紅い月である。


「…………」


 俺は静かに、その紅い月を見つめた。

 まだ日の入りには早い時間帯のため、夜に見せるような白い輝きはない。空の薄い色のなかに溶け込みながらも、奇妙な赤みが異質さを主張していた。

 

 はるか遠い故郷で、この紅い月のことをまじないに関わる重要な星と教わった。とりわけ、人の運命を占い、先の未来を予言することができるのだという。

 思い出した昔の記憶と、いま目の前にある月とをぼんやり重ねてみる。……遠く離れていても見える空は一緒、というのはなんだか不思議な感覚だと思った。


 ただし、ひっそりと俺は(まゆ)を寄せる。


(運命か……)


 運命というおおげさな文句ほど、この世で嫌っている言葉はない。

 だからつい、苦い顔を隠せられないのだ。


「……うーむ」

「?」


 地上から、うなり声が聞こえてきた。

 なにかあったのだろうか? と、ようやく俺は空から顔を下ろした。


「どうしたのさ、おじいさん?」

「うぬぅ、この木は……ダメじゃな」


 切り倒した木のそばで膝をつき、おじいさんはため息を吐いた。ひどく残念そうな面持ちで、横たわる木の幹をポンポンと優しく叩いている。

 俺も立ち上がって、おじいさんの元へ近寄った。おじいさんが嘆いている理由は――俺にもひと目で、すぐにわかった。


「ああ、これはひどいなぁ……」


 木を見て、俺も思わずうなり声を出した。

 根元の切り口から見えた芯の部分が、奇妙な青灰色に変色していたのだ。一般的な木材の色とはほど遠い、まるで生き物から血を抜いたかのような不気味な青みであった。


「腐っているのかな?」


 俺は試しに、グローブをつけた手で変色した芯を引っかいてみた。すると、木はたやすくボロリと欠けてしまったではないか。


「植物の病気かな? それとも虫食いで傷んだとか……」


 その昔、書物でかじっただけの知識を口にして、俺はおじいさんの顔をうかがった。

 しかし、おじいさんは力なく、ただ首を左右に振るだけだった。


「いんや、ワシにも原因はさっぱりでのう。いつからか、こういった奇妙な色をした木が増え出したんじゃよ」


 青灰色の木のかけらを、俺はなんとなしに指ではさむ。そんなに力も入れていないのに、木片は砕けて灰のようなチリと化し、さらさらと宙へ霧散(むさん)していった。


「どうしよう。これじゃ、薪木なんてつくれっこないよ」


 俺のつぶやいた言葉に、おじいさんも静かにうなずく。

 

「不吉じゃ……」


 よっこらせと、おじいさんは立ち上がって言った。


「なにか、恐ろしいことの前触れでなければよいが」

「…………」


 この辺りの気候は、とても穏やかであると話に聞いていた。土壌もやわらかく、水はけも悪くないので農作物といった植物が育つには申し分のない土地であると。

 しかしどうしてか、木こりのおじいさんが言うには、この森だけに奇妙な異変が生じているようだ。


「この森も、昔はふつうに良質な木材が採れたんじゃがのう」


 異変が生じてから、多くの木こり仲間は気味悪がって森に近寄らなくなった。いまでは、森の入口に建つ小屋に住んでいるおじいさんだけが木を切っているのだとか。


 俺はまわりを取り囲む木々に目をやった。

 葉が色づきを見せる秋の季節とはいえ、密に寄せ合う樹木の群れに鬱蒼(うっそう)とした空気を感じた。木だけじゃない……丈の長い草や茂み、木の枝から垂れ下がるツタたちが、さらに視界をせまく縮める。


 まるで人の出入りを拒んでいるようだ。

 それでいて、樹木が延々と奥へ奥へと続いているから恐ろしい。うっかり迷い込んでしまったら、きっと二度と帰って来られないだろう。


(もしかして――)


 どこまでも続く森の暗がりを前に、俺の想像力がかき立てられた。


(――この森の奥に、なにか秘密でもあったりして……)


 木を青灰色に変色して弱らせてしまう原因が眠っている。

 そう考えたほうが、面白い。


 と思ったのは、ひとえに冒険者としての血が騒いだからだ。

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