いらないこどもたち
一ヵ月前、ちょうど梅雨入りが発表された五月十九日、両親が離婚した。夫婦で押し付け合った結果、親権を得たのは母だったが、数日後には僕を田舎の実家に置き去りにし、音信不通となった。
田舎の祖父母は僕を家族の一員として迎え入れてくれた。転入もすぐに済み、僕は四年二組の生徒として新しい小学校に通いだした。
環境は整った。人間関係も表面上は悪くない。だけど申し訳ないことに、心の方は万全とは言えなかった。
両親にとって自分はいらない存在、という事実が受け止められずにいた。もし自分に何か問題があってこうなったのなら、この先も同じようなことが繰り返されるのでは、という恐怖もあった。その陰鬱な気持ちは学校に通い始めた辺りから特に酷くなった。周囲の優しさも表面的なものにしか思えなくなり、誰も信用できなくなってしまった。
そんな僕に祖母は、幸せに生きられるようにと御守りを持たせてくれた。御守りは専用のクリアケースに入っており、上部の穴には鈴の紐が通されていた。祖父が、三年程前から持ち歩いていた開運の鈴を御守りのケースに取り付けてくれたのだ。豪華な御守りになったな、と祖父母は笑った。
ここまでしてもらっておきながら、僕はなぜだか喜びを感じられなかった。感謝の気持ちすら沸いてこなかった。でもせっかくもらった物なので、御守りはランドセルに入れておくことにした。歩いてるとき、常に鈴の音が鳴るのもあれなので、かぶせの内側にあるチャック付きのポケットにしまっておいた。
小学校へは僕を含めて八人の班で登校していた。毎朝、六年生の班長を先頭に、雑談したり軽くふざけ合ったりしながら一キロ先の学校へと向かう。
通学路を半分ほど進むと左手に大きな田んぼが広がっていた。その向こう側には小さな神社が建っており、背後には山々が連なっている。遠目には赤い鳥居が自然界へ通じる門のようにも見えた。
僕はこれまでどんな神社にも興味を持つことは無かった。だけど通学路から見えるあの神社だけは、なぜか不思議と気になっていた。
ある日、いつものように歩きながら神社を眺めていると、それに気づいた班長が二年前に起きた失踪事件について僕に話してくれた。当時小学ニ年生だった子供が、あの神社で目撃されたのを最後に行方不明になったというのだ。その子は少し変わっていて、いつも町のあちこちで一人かくれんぼをして遊んでいたらしい。行方不明になった当日も、一人かくれんぼをあの神社でしていたそうだ。隣接する山に足を踏み入れて迷ってしまったのでは、と言われているが、未だに真相は分かっていない。
子供が行方不明になる。その話を聞き、僕は恐ろしくなった。でも不思議なことに、現場となった神社に対しては少しも恐怖心が沸かなかった。それどころか、あの神社に惹かれる気持ちさえある。理由はさっぱり分からないが。
その晩、祖父から学校生活のことを聞かれた。僕は学校での出来事を簡潔に話し、そのついでに班長から教えてもらった失踪事件のことも口にした。すると祖父が、自分が若い頃にもあの神社で子供がいなくなる事件が起きた、と言いだした。最後の目撃情報が神社ということで、当時は神隠しだの祟りだのと騒がれたらしい。
さらに祖父は、事件とは関係ないけどな、と前置きし、あの神社にまつわる話を聞かせてくれた。
百数十年前、この辺りの山々にたくさんの子供達が捨てられたそうだ。口減らし、というものらしい。まだお金を稼ぐ力の無い幼児が、家計の負担を減らすために山に置き去りにされるのだ。あの神社は、そうして捨てられた子供達の霊を慰めるために建てられたんだとか。
話し終えた祖父はハッとした表情を浮かべ、眼を伏せた。恐らく、僕が口減らしの話を、両親に不要とされた自分の境遇と重ねてしまったのでは、と思っているのだろう。確かに重ねていた。そして悲しくもなった。ただ、それと同時にあの神社へ惹かれる気持ちも高まっていた。あの神社ならこの悲しみだって消してくれる、そんな気さえした。
祖父との会話を終えた僕は、自室で一人、眠りについた。そしていつの間にか夢を見ていた。ボロボロの着物を着た小さな子供達と、笑いながら野原を駆け回る夢だ。現実で抱えていた暗い気持ちはどこへやら、僕はみんなと楽しく穏やかな時間を過ごした。
ふと、一人の子が僕の背後を指差した。振り返ると先程までは無かったはずの田んぼが広がっており、その向こう側には例の神社と山々が出現していた。
お兄ちゃんも、一緒に行こ。その言葉を聞いた直後、僕は目を覚ました。
暗い部屋。強い雨音。壁の時計を見ると、針は午前三時を指していた。
梅雨明けが近づくと大雨が降るんだっけ。そんなことを思いながら、布団を頭まで被り雑音をカットする。そして、もう一度あの夢を、と強く願いながら再び眠りについた。だけど結局、あの子達と出会えぬまま朝を迎えてしまった。
六時四十分。起き上がり、カーテンを開けた。雨は上がっていたが、分厚い雲が町を覆っていた。やけに頭がぼーっとするのは気圧のせいだろうか。半分、夢の中にいるような感覚だ。
洗顔、歯磨き、朝食、着替えを済ませ、ランドセルを背負って家を出る。祖父母が外まで出てきて僕を見送ってくれた。わざわざいいのに、と僕は呟いた。
登校する際、いつもならまず班の集合場所である小さな公園へ向かうのだが、今朝はそんな気にはなれなかった。学校すらどうでもよくなっていた。それよりも、自分を呼ぶ場所、自分の寂しい心を救ってくれるであろう場所、あの神社へと足が向かっていた。学校をサボるなんて良くないことだとは分かっている。でも頭がフワフワして、後先のことを考えられなくなっていた。酔っ払った人も、きっとこういう感覚なのだろう。
道を進むにつれ、神社のある方角から僕の右腕にかけて青白い何かが浮かび上がってきた。子供の手だった。ゴムのように伸びてきて僕の腕を掴み、弱い力で引っ張っている。恐らく、薄く引き伸ばされて見えなかっただけで、初めて神社を見た時からずっとこの手は僕を掴んでいたのだろう。この手が僕の心を神社に引き寄せていたのだ。そして今は、本体のいる場所に近づいたことで薄っすら可視化され、僕の体を直接引っ張れるようにもなったらしい。
神社の前までやってきた。ここまで来ると僕を掴む青白い手はほぼ透けておらず、体がよろけそうになるくらい引っ張る力も強くなっていた。
いつも田んぼの向こう側から見ていた鳥居をくぐり、周囲を見回す。参道、狛犬、拝殿。思ったより綺麗にされていた。無人の神社らしいけど、たまに誰かが掃除に来るようだ。
青白い手は拝殿の屋根から伸びていた。一瞬、屋根裏に入らなきゃいけないのかな、と思ったけど、すぐにそれは勘違いだと気づく。青白い手はもっと離れた高い場所から伸びており、今はたまたま拝殿の屋根を後ろ側から前側へとすり抜けているだけなのだ。
拝殿と本殿の裏に回った。すると山の斜面が現れ、青白い手はそれに沿って伸びていた。
斜面に作られた三十メートルほど続く丸太階段を、半ば引っ張り上げられながら登った。階段を登りきった先は、山の斜面の一部を平らにして石畳を敷き詰めた展望台のような場所となっており、奥には古びたお墓のようなものが置かれていた。青白い手はそこから伸びていた。
古びたお墓、慰霊碑と言うのだろうか。最初はそこから一本だけ伸びていた青白い手が、気づけばニ本に増加し、僕の両腕をぐいぐい引っ張りだした。
自然とそうなるものなのか、それとも、向こうが教えてくれているのか、慰霊碑に近づくにつれ、僕は感覚的にいくつかのことを理解する。
僕を掴むこの手、これは例の口減らしで亡くなった子供達の集合体が生み出したものだ。集合体の中には、口減らしとは関係の無い、あとから取り込まれた子供達も多くいる。僕のようにこの慰霊碑の元へ連れてこられた子供達だ。
では、なぜ口減らしされた子供達は集合体となり、その後もさらに子供を取り込むのか。それは、親に捨てられた者同士で共感し合い、慰め合うため。同じ傷を持つ多くの仲間と一つの存在となり、余すところ無く傷を舐め合うためだ。
そうしていれば、いつか心の傷は完全に癒され、成仏できる日が来ると彼らは信じている。
慰霊碑まであと二、三歩の距離となった。僕は自分の心に僅かな躊躇いが生じたことに気づき、足を止めた。青白い手に両腕を引っ張られているので、立ち止まり続けるには身体を後ろへ傾けて踏ん張らなくてはならない。
青白い手に抗いながら、躊躇いの正体が何なのか考える。でも頭に靄がかかったような状態で、何も見えてこない。思えば、初めて神社を見た日から、ずっとこんな調子だ。恐らく、青白い手に掴まれていることで、彼らにとって都合の悪いことを気づけなくさせられているのだろう。
僕と彼らは共鳴している。慰め合える共通点がある。だから僕は彼らに目をつけられた。ただ、僕らの間には大きな違いもある。彼らはもう亡くなっていて、僕はまだ現世を生きているという点だ。生きていれば、日常の中のちょっとしたキッカケで心が変化し、彼らと共鳴しなくなる可能性がある。彼らが気づけなくしているのは、そのキッカケなのだ。
その時、突然、足の踏ん張りがきかなくなった。昨夜の雨で石畳が濡れていたため、靴底が滑ったのだ。身体を後ろに傾けていた僕は、尻から落下し始める。偶発的、故にその動きを予測できなかったのだろう。青白い手は、僕の両腕を離してしまった。
僕は硬い石畳の上に尻餅をついた。その瞬間、僕の背中で微かに何かが鳴った。鈴の音だった。
青白い手が再び僕を掴もうとする。が、手を開いたまま硬直してしまった。僕の心に変化が起き、共鳴が弱まったためだろう。
先ほど、青白い手が離れた瞬間、僕は集合体による心の支配から解放された。それだけならまたすぐに腕を掴まれていただろうが、直後に鳴ったあの鈴の音で、一瞬にして青白い手を寄せ付けないくらいの心の変化が起きた。
僕はランドセルを下ろしてかぶせを開き、チャックを開けて祖父母からもらった鈴付きの御守りを取り出した。この御守りの鈴の音が記憶の呼び水となり、僕の中にこれまで受けてきた祖父母の優しさ、愛がなだれ込んできたのだ。集合体によって抑え込まれ、気づけなくさせられていた分が一気に。
僕は彼らと同じように両親に捨てられた。でも、そのまま人生を終えた彼らとは違い、僕は新たな愛を得た。それを自覚できた今、もう彼らが僕を取り込むのは不可能だ。
ニつの青白い手が僕から離れた。そして慰霊碑の上、僕の身長よりもずっと高い位置で絡まり合って丸まり、直径二メートル程の球体へと膨れ上がった。球体の表面に真っ黒な目と口がいくつも出現した。それらは怒りと寂しさが入り混じった表情を浮かべ、一斉に甲高い叫び声を上げた。
僕はすぐに逃げ出した。もう自分は彼らの同士ではない。妬み嫉みの対象、敵だ。
転びそうになりながら丸太階段を駆け降りる。直前に踏んだ段に何かがぶつかり、舞い上がった土が背中に当たる。彼らが何かを飛ばしてきているようだが、確認なんてしていられない。する意味がない。そんなことより駆け降りる。
最後の段を飛び下りた。ぬかるんだ地面に着地したため、足を取られて転倒してしまった。立ち上がりながら丸太階段を見上げる。もう攻撃は止んだらしい。それでもまだ気は抜けないので、再び走りだす。
慰霊碑の方からたくさんの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。僕はそれを振り切るように走りながら、ごめん、ごめん、と何度も謝った。
あの子達を捨てた親は、悲しみや葛藤を抱きながら山を離れたのだろうか。せめて、せめてそうであってほしいと、心から願う。
神社からニ百メートルほど離れた場所まで全力で走り、そこで僕の体力は尽きた。少し休んで呼吸を整えると、フラフラとした足取りで歩きだす。向かう先は学校、ではなく家だ。服が汚れているので着替えなくてはならないし、それに少し遅刻するということを学校に連絡してもらわないといけない。正直、今日は学校を休みたい気分だが。
五分ほど歩き、家の近くの小さな橋までやってきた。そこで僕は名前を呼ばれ、伏せていた顔を上げた。数十メートル先から祖父母が小走りに駆けてくる。僕を探していたようだ。
怒られるのかな、と思ったけど、何も言わずに祖母は僕の泥だらけの体を抱きしめた。祖父は僕の頭にポンと手を置いた。まさか僕が神社であんな目に遭っただなんて思いもしないだろうが、それでも二人は僕の様子から何かを察したようだった。
色々な感情が沸き起こり、僕は泣いた。祖父母の前で、これだけはっきり感情を出したのは初めてだった。
家に帰る途中、僕が学校へ行ってないことをどのように知ったのか、祖父母に尋ねてみた。まだ出席を取る時間ではないので、学校から電話は入っていないはずだ。
祖母は、班長の子がうちに来た、と答えた。僕が集合場所に来ないので、心配してうちまで来てくれたらしい。班の方は副班長に任せて先に行かせたそうだ。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちを同時に抱いた。僕は、自分で思っているよりもずっと、周りから大切にされているのかもしれない。
ふと、あの子達のことが頭に浮かんだ。あの子達も亡くなった後とはいえ、たくさんの人々に想われていたからあの慰霊碑を建ててもられたのだろう。だけど、それでも悲しみが癒えず、成仏できず、あのようなことを繰り返してしまっている。
正直、怖くてもう関わりたくない。でも、放っておくのも胸が痛む。できるかどうか分からないけど、僕なりに精一杯考えて、色々な人の力を借りて、いつか彼らを解放してあげたいと思う。
気づけば雲が薄れ、太陽が顔を覗かせていた。もう梅雨も終わりだねぇ、と祖母が僕に微笑んだ。
その日の夜は祖父母の部屋で寝ることになった。
暗い天井を見上げながら、昨日班長から聞いた話を思い出す。神社で一人かくれんぼをしていて行方不明になった子の話だ。
これは完全に憶測なのだが、その子が色々な場所で一人でかくれんぼをしていたのは、自分に無関心な親の気を引くためだったのではないだろうか。でも親はいなくなった自分を心配してくれず、一度も探しには来てくれなかった。その結果、彼は親に捨てられたような精神状態に陥り、口減らしにあった子供達と共鳴。取り込まれてしまう。
勝手な想像だけど、絶対に無いとも言い切れない。そしてもしそれが当たっているのなら、僕はなおさら自分のことを心配し、探してくれた人達がいることに感謝しなくてはならない。
僕は左で眠る祖母、そして右で眠る祖父へと目を向け、ありがとうと囁き目を閉じた。