第3話
途端、眉間にギュッと皺を寄せたご老人の顔が、ずいっと目前までに近づけられた。
「おまえさん、いくつだい?」
前屈みの状態で、ムムムとした顔で顎に伸びる長い白髭を老人が上から下へキュッとしぼるように撫でた。
(何、かやらかした、っけ?)
「十、五です」
やや怯みつつも返答する。
「……若いのに加齢臭なんざ気にせんでええじゃろう。あと、二十年先においで」
目前にあった顔が引かれ、老人は椅子に背を預けた後、手の甲でしっしと追い返すような動作をした。
(気にしてるのは加齢臭じゃないんだって……)
「いやいや、違うんです。加齢臭じゃなくて、体臭そのものを。例えば、人間には人間の、獣人には獣人の匂いがありますよね。その匂いを一時的にでもいいので消す方法はありませんか?」
「ほぅ、面白いことを言うのぅ。そうじゃなぁ、ケシの実が使えるかのぉ」
「ケシの実?」
「ケシの実は臭みの強い食材に塗り込んで匂いを消すものじゃよ。ケシの実をすり潰して身体に塗り込み、さらに経口摂取すれば、消せるじゃろう。まぁ、もって一日じゃな」
「では、ケシの実を一週間分下さい」
「わかった。ケシの実の液体は赤い。身体に塗り込むなら色素を抜いておいた方が使いやすいじゃろう。今から作るから、少し座って待っとりなさい」
ご老人が店の奥へと姿を消し、私はカウンターテーブルに肘をついて記憶を辿っていた。入国して教会へ向かって道を歩いている時のことを──。
妙な視線を感じていた。一度だけではなく、何度も。はじめは、私の服装がおかしいのか、顔つきが珍しいからなのかと思っていたが、そうじゃなかった。
獣人だけが、必ず私をじぃーっと見ているのだ。視線を感じてチラッと見返すと、何故だか不思議そうな顔をするのだ。
獣人は人型の獣だから鼻が利く。ということは、匂いで性別がバレている? と私は推測したのだ。
私を見ていた獣人の中には、奴隷もいた。もし奴隷が、そのことを奴隷商人に話したとしたら、速攻で攫われてしまうとのではと、身の危険を感じた。
「出来たぞい。使いやすいよう、瓶に詰めといたわい。こっちが飲む方で、こっちの液体が塗る方じゃ」
一つは、直径五ミリメートルほどの白い粒が沢山入ったもの。もう一つは、透明な液体の入った瓶だった。
「有難うございます」
代金を支払い、カウンターテーブルに置かれた二つの瓶を、雑貨屋で買ったサンタクロースの袋くらいに大きな麻袋に入れた。この麻袋には、洋服屋で買った六着のローブと自分用の一週間分の服と下着も入っている。
「これで、獣人の鼻は誤魔化せますか?」
「誤魔化せるじゃろうが、匂いがしないことにおかしいと疑問に思う者も出てくるじゃろうな。して、何故匂いを隠したい?」
「これから奴隷商館へ護衛用の奴隷を購入しようと思っているのですが、購入した奴隷が獣人で、血みどろになるような戦闘があった場合、血に興奮して暴走しないかと。俺は人間なのでわかりませんが、獣人にはケモノとしての本能が強く出てしまう場合があるのではと思いまして」
嘘は言ってない。一番は性別を隠す為だが、獣人の本能的な部分に心配があるのは本当だ。
「ほぅ、確かにな。獣人には本能を上手くコントロールできる者がいる。じゃが、全ての獣人がそれに当てはまるわけではないからのぉ。若いのに随分と用心深い。そうか、成る程な。暴走の要因をつくってしまわぬように、ケシの実がいるというわけか。じゃが、何故はじめにそう言わんかった?」
「血の臭いを消せる薬草や木の実などはありませんか?って、お客さんに注文されたらどう思いますか?」
「ワハハハハ、それもそうじゃ、坊主のいう通りじゃわい! 警戒して薬をつくる気になれんわな!」
(良かった……馬鹿正直に言わなくて)
危うく薬を受け取れなくなる選択をしてしまうところだったと、ローダの薬屋を出てすぐ、ほっと胸を撫で下ろす隼人であった。