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最初で最後のキス。

作者: さくや

俺は立ち寄った本屋でふと目に付いた1冊の週刊誌が目に留まった。

その表紙には『大人気の某ロックバンドのボーカルと、女優Aが深夜デート?!』と書かれた見出しが大きく載せられていた。

俺はそこに小さく載せられた写真を一瞥した。

「似てなくも・・・ないかな」

ひとりごちると、そのまま本屋を後にした。

1月半ばともなると、寒さも一層増してロングコートを羽織っていても身も心も凍る思いがする。

「ところで、女優Aって誰だろ」

俺はなんとなくそうつぶやいて自分のマンションへ急ぎ足で向かった。


家の中へ入るといつも真っ暗なはずの部屋に電気がついている。美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。

そしてパタパタとスリッパを鳴らして玄関まで俺を出迎えにきたのは、妹の紅里あかりだった。

「紅里、きてたのか」

紅里は、にっこりと微笑んで、

「お帰りなさい。今日はみんなで、すき焼きにしましょ」

と言った。

部屋へ入ると1人の男が俺に気付いて挨拶する。

「よ、兄さん、お帰り。勝手にお邪魔したよ」

その男は、桜井雄一といって紅里の婚約者だ。

音楽がやりたくて高校を中退してこの業界へ入った俺と違って、桜井は有名大学を出たエリートだ。人間、学歴がすべてじゃないにしろ、たった一人の妹の夫となる男には、ある程度の学力と経済力はなくてはならない。性格はマジメでおカタイ。結婚相手には申し分ないだろう。

両親が2年前に事故で死んだために俺が紅里の親代わりとなって(といっても、年は5つしか変わらないが。)親の残したこのマンションで二人で暮らしていたが、今は紅里は結婚式の準備やらで桜井のアパートにほとんど入り浸っていた。

俺はコートを脱いで向かい側の席に座った。

「今日家に戻らなかったら、どうするつもりだったんだ?」

と聞くと、鍋に火をつけていた紅里がきょとんとして顔で俺を見た。

「だって、いつかは帰ってくるでしょ?」

俺はそれを聞いて頭を抱えた。

「おいおい、俺は仕事でずっとスタジオに何日もこもりきりになったりするんだぜ? いつ戻ってくるか分からないヤツを待ってるなんて時間の無駄だ。携帯に連絡入れるくらいしろ」

すると桜井が口を出した。

「兄さん、それはないんじゃないか? せっかく紅里もこうして3人で食事したいって、はりきってたんだから。」

「何度も言うけど『兄さん』は辞めてくれ。実際同い年なんだし、気色悪い」

「じゃぁ、なんて呼べばいいんですか?!」

「敬語も辞めろ」

と2人でいがみ合っていると、紅里がそれに割って入った。

「いい加減にしてよ!」

このくらいことはしょっちゅうだ。

そう、桜井は世間一般から見れば優秀で申し分ない男なんだろう。

でも俺とは馬が合わなかった。考え方の違いやマジメで融通が利かないところは、好きになれなかった。

でも紅里が選んだ男なんだからと自分に言い聞かせていた。

「雄くん、ごめんなさい。今、(とおる)ちゃんはイラついてるのよ」

紅里が桜井にすまなそうに言った。

「それに、私には分かってたの。今日透ちゃんは絶対家に帰って来るって。」

そして野菜を鍋に入れながら俺を見た。

「ほら、こうやって腕も足も組んでだまってるときはイライラしてるとき」

俺は驚いて紅里を見た。すると紅里はにっこりと微笑んだ。

俺は紅里から目をそらして、ボソッとつぶやくように言った。

「おまえ、昔からそうやって人を観察するクセ辞めろよな」

「あら、失礼ね。私のママと透ちゃんのパパが再婚してから、10年も一緒に暮らしてきたのよ。このくらい分かるわ」

すっかり紅里のペースだ。俺は深いため息をついて負けを認める。

するとそれを見ていた桜井が言った。

「確かに、紅里はブラコン・・・あ、失礼、兄さんが好きなんだな。いつでも兄さんの話が出るし、俺は何度も兄さんの自慢話を聞かされてるよ。兄さんの出したCDが1位になったときなんかシャンパンまで買ってきてお祝いしたし。」

すると紅里は俺に抱きついた。

「だって大好きなんだもーん! 私は自他とも認めるブラコンなの!」

俺は一瞬あせったが、すぐに平静を装って言った。

「早く嫁に行ってくれて良かったよ。これじゃ俺は恋愛もできないしね」

「あ、ひどーい! それなら、女優Aって誰かしら〜?」

今日週刊誌で見たあの記事のことだ。『某ロックバンドのボーカル』とは俺のことだ。俺はそこそこ名の売れたロックミュージシャンで、ときどきこうしてゴシップ記事になったりもする。

写真の男は確かに少し俺と背格好が似ていたが、俺じゃない。紅里も分かってて言ってるのだ。そして俺がその手の記事を目にすることが大嫌いなことも。

紅里は、

「ごめんね。そのせいでイライラしてるんでしょう?」

とすまなそうな顔をするので俺は足を組むのを辞めて、鍋の中を覗き込んだ。

「おい、しいたけ入れるなって言っただろ?」

「私しいたけ好きだもん。透ちゃんが食べなければ済むことでしょ?」

「他の材料に味がしみこむだろ」

「だから美味しいんじゃない」

と二人でやりあってたら、桜井が間に入ってきた。

「まぁまぁ。次回はしいたけ抜きで食べましょう」

次回もあるのかよ。

と思ったが口には出さなかった。

「はい、透ちゃんのご飯」

紅里は屈託のない笑顔で俺にご飯茶碗を差し出した。俺は思わず微笑み返す。

俺は紅里の笑顔が好きだ。笑顔だけじゃない、紅里のすべてが好きだった。

紅里は俺が音楽で成功して有名になる前もなった後も全く変わらない数少ない人間の1人だった。


にぎやかな(?)夕食の後、桜井は自分のアパートへ戻った。紅里は結婚したらそこへ引っ越すことになっている。

明日は紅里の結婚式だ。

紅里は今夜は俺と過ごしたいと言って俺のマンションで眠ることになった。

「透ちゃん、入ってもいい?」

ふと背後で声がして、振り向くとそこには紅里がいた。俺の部屋のドアを開けて顔をのぞかせていた。

「ノックしたんだけど返事がなかったから」

と肩をすくめる。俺は「ごめん、ちょっと考え事してたから」と言うと吸っていたタバコをもみ消して、紅里を招き入れた。

紅里は俺の隣に腰を下ろした。

「とうとう明日だわ」

俺は何も言わなかった。

「なんかフクザツだわ。私一生お嫁に行かないで透ちゃんといるって決めてたのに」

「おまえのブラコンが直ってくれて嬉しいよ」

「言ったわねー!! そういう透ちゃんだって、私のこと結構必要としてるんじゃないの?私、これでも家事は得意だったし透ちゃんの部屋の掃除だってしてあげてたんだから」

俺は、”結構”どころか、”かなり”必要だよ、という言葉をのみ込んだ。

「そうだね。紅里はいい奥さんになるよ」

俺が紅里の肩を抱いて言うと、紅里は頭を俺の肩にのせた。

「大好きよ。透ちゃん。今までいろいろありがとう。」

そして紅里は俺を見た。その目にはうっすら涙が浮かんでいた。

俺はわざと明るく言った。

「ど、いたまして。おまえ、明日は結婚式の後すぐハネムーンだろ? 早く寝ないと式で居眠りするぞ」

「透ちゃんは、明日全国ツアーの最終日だね。私も行きたかったなぁ」

俺は、ちょうどツアーの最終日と重なってしまったので、紅里の結婚式には出席できなかった。

はっきり言ってほっとしていた。紅里の桜井に向ける幸せな顔を見ていたくなかった。

「ライブくらい、また見れるさ。俺こそ式に出れなくて悪かったな」

俺が言うと紅里は首を振った。そのとき、紅里の目から涙がこぼれ落ちた。

「おいおい、マリッジブルーか? 泣くことないだろ」

俺がそこにあったティッシュを渡すと紅里はそれを受け取って涙を拭いた。

「透ちゃん」

紅里はまだ涙でぬれた目で俺を見た。

俺は紅里を強く抱きしめたい衝動にかられたが、それを必死に制した。

紅里は明日結婚する。愛している男は別にいるのだ。

愛している男は別にいる。

俺はゆっくり紅里を自分から離すと、紅里を見た。紅里はうるんだ目で俺を見上げていた。

俺はそっと紅里の額にキスをした。

最初で最後のキス。

そしてそっと紅里を抱きしめた。

ずっとこうしていたかった。

俺は溢れ出そうになった涙をこぼさないように上を向いた。


翌日、コンサートライブを終えて楽屋に戻ってきたとき携帯電話がけたたましく鳴り始めた。

俺がそれに応じると、

「警察です」

相手は事務的に話し出した。

紅里の乗っていた航空機が空中爆発を起こして炎上し、乗客全員死亡したとのことだった。

俺は耳を疑った。

そしてそのまま力なく座り込んだ。

−−−「大丈夫。絶対プロになれるわ。ここで挫折したらダメよ!」

−−−「この曲、大好き。絶対売れる!」

−−−「タバコは控えめした方がいいわ。明日スタジオ録りなんでしょ?」

−−−「もう少し、愛想良くしないとファンが逃げるよ」

−−−「透ちゃん、大好き!」

俺に見せた沢山の紅里の顔が、次から次へと浮かび上がった。

俺を支えてくれた紅里。明るくて世話好きで、でも実は甘えん坊で寂しがりやの紅里。

もう顔を見ることも声を聞くことも出来ないなんて信じられなかった・・・。



数日後。

俺は紅里の遺品から1冊の日記帳を見つけた。俺はそれを手にとって、ページををめくった。紅里は1日1日の出来事や感じたことを数行にわたって書き留めていた。

内容は、ほとんど、俺と桜井のことだった。


○月○日

今日は、透ちゃんに雄くんを紹介した。透ちゃんは人見知りするからあまり雄くんに話しかけなかったけど、あの態度は認めてくれたってことだろう。まるで、娘を持つ父親みたいで私はちょっとおかしかった。


△月△日

今日は、透ちゃんの機嫌が悪い。どうもまたマネージャーとやり合ったようだ。家に帰ってからも全く私に話しかけなかった。でもちゃんとインコのアシュラに餌をやっていた。動物好きなところは昔からずっと変わってない。でも、今更ながら透ちゃんは名前をつけるセンスないなぁ(笑)』


自分の日記なのに、ずっと人のことばっかだった。それがまた紅里らしいのだが。

そして、最後のページ、結婚式の前日の日記を読んだ。


□月□日

明日は結婚式だ。新婚旅行のあとは引越し。新しい生活が始まる。ここからはちょっと遠く離れてしまうので、透ちゃんともしばらく会えないだろう。

だから今夜は透ちゃんのそばで眠りたかった。

透ちゃんはすっかり人気者になっていつもファンの子たちに取り囲まれていてちょっと疲れてるみたいだけど、アルバムの売れ行きも絶好調で心配することもなくなった。

実は料理もしないだけで、たまーに作ると私より美味しいし、ゴミ出しもちゃんとしてるし(笑)、寂しいけど私がいなくても全然大丈夫。透ちゃんも早く恋人作って幸せになって欲しいな。


そして、最後に、あとで書き加えたと思われるピンクのペンでかかれた行があった。


ずっと気付かないフリしてて、ごめんなさい。

なんとなく気付いてたけど、確信が持てなかった。

もしもっと早く気付いてたら、何かが変わっていたかも知れない。

でも、これも運命なんだろう。

愛してるよ、透ちゃん。

私は幸せになります。


涙があふれてきた。

紅里の日記に涙が落ちて、ピンクの字がにじんだ。

生まれて初めて声を上げて泣いた。

紅里への気持ちを吐き出すかのように・・・・。


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