「あの木で、金魚と、君を埋めた。」
僕にはずっと好きな人がいた。同じクラスの樋口だ。
三年生に進んで、ようやく同じになった。樋口はひどく無口で教室の隅の席に座っては、窓の外を眺めていた。本を読んだりもしていたが、僕は本を読まなかった。
樋口に片思いを続けて三年目。機会という機会を逃し、卒業式の日の後、僕はついに告白をすることを計画した。卒業後、僕は進学で、埼玉のほうへ、樋口はそのまま東北で専門学校に行くと耳にした。今しかない。僕は樋口になんて言おうと思った。さんざん考えた結果、ラブレターを書くことにした。樋口は活字が好きそうだったからだ。
ただ、文が思うように言うことを聞いてくれない。整ってばかりの字が、ナンパな言葉に染め上げられてばかりだった。ついに出来上がった手紙は、言葉の軌跡でぐしゃぐしゃだった。わずかな彼女について知っていることと、想いの丈を思い切って綴ってみた。しかしペンで紙を傷つけたばかりの言葉は僕に痛く映った。けどこれでいい。僕は卒業式の前日、初めて感じるような不安を抱えながら眠った。
その夜、樋口が死んだ。
発作だった。僕はクラスのグループラインでそのことを知った。学級委員が先生と話しながら、樋口のことをどうするか話し合っている。樋口の席に花を立てることになった。
僕はそれを朝に知った。不思議と早起きだった僕は、液晶に映った活字をみて、ただ立ち尽くしていた。
「あら、死んでるみたい」
一階から、母親の間の抜けた声が聞こえる。
僕はゆっくり階段を下りていくと、母が玄関の前で水槽を眺めていた。そこには鮮やかでお腹を丸くさせて金魚が仰向けに浮かんでいた。母はこちらの足音に気づくと
「やあね、不吉」
とだけ言って、キッチンに戻っていった。
僕はその金魚をしばらく見つめていた。数年飼っていた金魚で、いつやってきたのか覚えていなかった。名前もついていなかった。けれど僕は、衝動がこみ上がってくるものを感じた。嗚咽に近い、内側の膨張。
僕はすぐにビニール袋を持ってきた。
教室に着くと、ざわついていた。
担任は涙を流しながら、皆んなと向かい合っている。ただその時も僕は、そわそわしていた。
バスケットに入ったカスミソウは、異質に咲いていた。
卒業式が終わり、僕は居てもたってもいられなくなった。
教室を飛び出し、人で混み合う前にどうしても終わらせておきたかった。
僕は朝持ってきたビニール袋を下駄箱から出した。ただ一心不乱に不格好に走り続けた。
『知ってる?あの木。本当は何の木か誰もわからないんだって』
『樋口は何の木だと思うの?』
『うーん。なんでもいいかな』
樋口の横顔が映った。
気づいたら僕は涙を強く流していた。息を切らしながら、素手で土を掘り始めていた。
「わからないままでごめん」
ただ、勝手に体が動いていた。
僕はこの木に意味を与えたかった。この金魚のこともずっと覚えていようと思った。
君が本当に、そのままのことを言っているなら、全部僕の勘違いだ。でも。
僕はわからないから、君の見る景色を信じるしかなかった。
僕は卒業式の日に、あの木で、金魚と、君を埋めた。