第90話「勲功」
ヴァレスに帰還してからなにを指示したのか記憶はあるものの、具体的になにをしていたかの記憶がない。
いったいオレはいつこの宿屋の一室で横になって爆睡したのか、いったいオレのラバはどこにつながれているのか、さっぱり分からない。
酒で記憶をなくした男のような状態になりつつも、とりあえず宿屋のオヤジすら逃げ出してもぬけの殻である宿屋から這い出して、近くの川で顔を洗って歯を磨いた。
ヴァレスは相変わらず、特に教会のある辺りが慌しい。
教会の関係者が総出で負傷者などの治療にあたっているし、怪我の程度が酷いものは後方に輸送するのだが、それにも順序を決めなくてはならない。
包帯の数などは足りるわけもなく、血まみれの包帯を籠にいれて、川でばしゃばしゃ洗って再利用、その繰り返しだ。
補給でやって来る馬車は食料や医薬品、武器などを下ろして、負傷兵などを乗せて帰路につく。
ヴァレスに居た鍛冶屋などは壊れた武具の修理などで今でも炉に火をくべているし、なんならアイフェルもそこに加わって金槌を振るっているはずだ。
タウリカ辺境伯シェリダンの一人娘にして代理人、アティアは相変わらずお嬢様らしからぬようで、薪割りやらなにやらを手伝ってはシンを振り回している。
ルールーは南部の魔法使いたちと書物などの退避状況などを話し合っているし、あれこれと魔法でお手伝いもしているらしい。
魔力上限の云々あたりはどうなったのかと聞いてみれば、どうもガルバストロ卿があの手この手で「その件につきましては当方の国難を乗り越えてから」ということにしたとか。
ただし、なんの処分もなしということにはできなかったため、王都に召還して事情説明や報告書の作成などはするはめになったようだが。
そこら辺はオレの管轄外、いわゆる外交というものなので、深くは聞かないでいる。
軍に一応は属していることになっているオレが、そういうのを気にしてあれこれ聞くと、周囲になにを言われるか分からない。
前世でもそういうのはテレビでよくスキャンダルとか言われたりするので、身分を意識しておこうという、オレなりの考えだ。
「簡潔に申し上げますと……パラディン伯たるロンスン・ヴォーン卿の高名、そしてローザリンデ・ユンガー卿、ヒュー・バートン卿のお力添えもあり、昨夜の戦いは勝利いたしました」
そしてオレは今、南部諸侯の前で戦闘のあれこれを報告している。
場所はヴァレスの迎賓館、品のいい調度品などが並び、いい雰囲気の建物だが、今は諸侯達とその世話係などが住み込んでいる。
長机に並んだ南部諸侯は、南部諸侯を統括するローベック・トリトラン伯爵、オスカー・カリム城伯、アレクサンダル・マクドニル子爵。
目の下に隈をつくっている歳若いローベック・トリトラン伯爵に、神経質そうなオスカー・カリム城伯と、怒れる老人アレクサンダル・マクドニル子爵。
パッと見た感じ、そんなところだろうかとオレは杖を握りなおして不安になりそうな自分をなんとか奮い立たせる。
ちらりと目線を横にずらせば、そこにはふんぞりかえっているパラディン伯ロンスン・ヴォーンがおり、その隣にはオーロシオ子爵家の隻腕のスクルジオが並んでいる。
「この南部の地で続けて勝利をもたらしたのが、我らではなく王都からの援軍とはな」
「マクドニル子爵、今は勝利こそを喜ぶべきでしょう。これならば負け続けよりもまだ、交渉の余地があるというものですよ」
「ハッ、カリム城伯は交渉交渉などと言うが、とうの城伯はどこのだれと話し合うつもりなのかも知らんだろうに!」
「冬が近いのですよ、マクドニル子爵。リンド連合とやらも自然の前には勝てるわけがありませんよ」
「それで貴様は我が領地を売りに出して、和平とやらを持ってくるつもりか!」
マクドニル子爵が我慢ならんと机に拳を叩きつければ、カリム城伯はうんざりした顔でまた口を開こうとする。
それを統括役のトリトラン伯爵が止めるのかと思えば、なんとそっぽを向いて葡萄酒を飲み始めた。
王都バンフレートの宮殿軍議では、パラディン伯のロンスン・ヴォーンと、ヘレン・ロウワラが口喧嘩してたわけだが、ここでのそれは訳が違うとすぐに分かる。
なにせ、周囲の空気がめちゃくちゃギスギスしている。
いつもこんな感じだ、と言うでもなく、トリトラン伯爵でさえ苛立たしげに杯を机に叩き付けるようにして置き、侍女にそれを注がせている。
戦場での劣勢は人間の精神に作用するわけだが、これは一番ヤバイパターンかもしれない。
ちらりと横を見ればロンスン・ヴォーンは口論する二人を見て溜息をついている。
総司令官で偉いのだからもうちょっと立派に威張ってほしいと思った矢先。
ロンスン・ヴォーンの隣に座っている、スクルジオが銀髪を揺らしながら立ち上がり、南部諸侯らに毅然として言った。
「我々がペルレプで戦っている間、話し合う時間はたっぷりとあったはずだ。南部諸侯、ひいてはトリトラン伯爵としての意見はないのですか?」
「スクルジオ卿……我々はあなた方がここに来るまで、あの大軍を相手にしてきたのだ。話し合う時間など―――」
「トリトラン伯爵はなにか勘違いをなされているようですが、……私はあなたの意見を聞いているのですよ。南部の総司令官はあなたでしょう、ローベック・トリトラン伯爵」
「私は……ローベック・トリトランは、あくまで南部諸侯の統括者だ。兵の指揮は諸侯それぞれが執っている」
「この期におよんで未だに指揮系統の体系化もできていないと。―――南部ではどうかは知りませんが、北部においては兵を率いているもっとも爵位の高い者がそれを勤めるものです」
「だが……、だが、そう言っても……私には戦の仕方が、分からんのだ……」
「ならば、昨夜の戦を考え出した者にそれを任せるのも一考でしょう」
「昨夜の、だと? まさか……そこの、そこのドワーフにか?」
「あなたがやらないと言うのならば、戦についてのみ考える者にその地位を与えても問題はないでしょう」
唖然とするトリトラン伯爵がなにか言葉を紡ぎ出す前に、青ざめた顔のカリム城伯が声をあげる。
「―――スクルジオ卿、あなたは自分がなにを言っているのかお分かりですか?」
「もちろん、私の発言の意味は私が一番よく知っているとも、カリム城伯」
「我々を……南部諸侯に、なんの爵位も土地すらも持たぬドワーフの言うことを聞けと?」
「負け続けたあなた方よりは、確かな一勝をもたらしたそのドワーフのほうが適任であるのは明らかだ」
「っ……、スクルジオ卿は我々を侮辱する気か!?」
斜に構えて話し合いをと言っていたカリム城伯が、隣のマクドニル子爵を放って激昂する。
当たり前だとオレはそっと椅子に座り込み、胃の辺りが締め付けられるような痛みに耐える。
ネット小説だろうが海外小説だろうが、貴族というのを怒らせると基本的に面倒くさいことになる。
ただ面倒くさいならまだ耐えられる。
だが、今は戦争真っ只中のなんなら負け込んでる状態で、そんな面倒くさいことは避けたいのだ。
避けたいのだが、―――隣の隣のスクルジオは、逆ギレした。
「侮辱だと仰られるが……あなた方はなんの方針も定められず、思考停止している。その時点で戦の将ではない。それになぜ、自分らで気付かないのだ!!」
「当主ならいざ知らず、次期当主であるあなたがそのような発言をする権利はないはずだ! 我ら南部諸侯は、なんの爵位も土地すらも持たぬドワーフの下になどつかない!」
「カリム城伯の言に乗るのは気に食わぬ。だがマクドネル子爵家当主として、我が領地の惨状をもって無能と謗られるのには我慢ならん!」
「………スクルジオ卿、このローベック・トリトランとしてもその発言、無視できるものではないぞ」
カリム城伯がブチギレ、マクドニル子爵もスクルジオ卿を睨みつけ、トリトラン伯爵すらも顔を顰めている。
場の空気が溶鉱炉もかくや、机の上で目力ビームがバチバチと炸裂し、今にでも手袋が宙を舞って血潮舞う決闘が繰り広げられそうである。
逃げられるものならここから全力で逃げたい。誰か胃薬を持ってきてくれ。
どこか逃げるタイミングがないものかとちらりと隣の総大将を見れば、やっぱりふんぞり返ってこっちを見て笑っている。
―――ちょい待ち。ロンスンさんよ、なぜこっちを見て笑っているのだ? その笑い方、なんかガキ大将がしてやったりという時に浮かべる顔じゃないか?
というか、その隣で逆ギレなされていたスクルジオも笑ってるあたり、嫌な予感しかしない。
マジで逃げるべきだ、これは絶対ろくなことにならない。
味方である二人が笑顔になっていて、残り一人が困惑している状況ならば、つまり笑っている二人が残る一人に対してなんらかのアクションを取る可能性が非常に高い。
それでいてわざと相手を怒らせて本音を語らせ、後戻りできなくなった状態にしたということは。
「それなら話は早いじゃねえか。そこのドワーフの勲功を認め、爵位と領地を与えりゃいいんだろうが」
「………は?」
凍りつく南部諸侯一同、アホ面で首を傾げるオレ一名。
そして、やってやったぜといわんばかりのドヤ顔のパラディン伯と、したり顔のイケメン、スクルジオ卿。
ギギギッ、と潤滑油足りてないような動きで南部諸侯らに目をやれば、三人とも口をぽかんと開けて再起動待ち。
「パラディン伯はろくな領地を持てねえからな。領地も爵位もやるのはスクルジオ卿だがよ」
「では、パラディン伯ロンスン・ヴォーンを立会人とし、戦地における簡易の叙勲を執り行ってもよろしいか?」
「よろしいともスクルジオ。俺様、このロンスン・ヴォーンが立会ってやろうとも」
「………え、ちょ、スクルジオ卿、今、ここでやるの?」
「もちろんだとも、髭のないドワーフ」
なぜお前はそんなに嬉しそうなんだ、スクルジオよ。
ふんぞり返っているロンスン・ヴォーンは、ようやく再起動に成功した南部諸侯を渾身のドヤ顔で威圧している。
自分らから怒声をあげて言った上に、戦で勝ったのはたしかに――勝った実感がないにせよ――事実は事実であるために覆せない。
名も領地すらもないただのドワーフが、勲功をあげたのならば叙勲するべきだという正論。
おまけにその名と領地を南部諸侯とは関係の無い、北部諸侯たるオーロシオ子爵家が与えようというのだ。
南部諸侯がそれを咎めたり、止める手立ては、ない。
スクルジオはそのまま上座に歩き、腰に帯びた剣を抜き放つ。
ただの剣ではなく、騎兵として戦うために作られた、大振りのサーベル。
それを手馴れた様子で扱い、スクルジオはサーベルで床を示す。
「立ち上がり、我が前で跪け、髭のないドワーフのコウよ」
「………りょ、了解」
拒否権はないし、断ることはできそうにない。
オレはこの南部救援軍の参謀としてここに居るため、自らの叙勲で指揮系統が改善するならば、拒否することなどできない。
杖をつき、立ち上がり、オレは間接の痛みと胃の痛みに耐えながら、スクルジオの前へ立ち、ゆっくりと跪く。
「スクルジオ卿は現当主ではないはず……叙勲の権利が彼にあるとは思えません……」
「トリトラン伯爵の言い分はもっともだがな、そんなのは現当主に許しを貰ってら済む問題だろうが」
「しかし……」
「しかしもなにもねえだろ。スクルジオ卿は北部で何人か、配下の騎士を失ってんだ。その補充だ補充」
「っ………」
唇を噛みトリトラン伯爵が沈黙すると、その横に並ぶカリム城伯もマクドニル子爵も口を噤む。
ロンスン・ヴォーンはにぃっと不敵に笑い、オレを見下ろすスクルジオ卿の口元も緩む。
この二人、仕組んでいやがったな? とオレは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
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