第87話「破砕」
発砲音が散発的にペルレプの町から聞こえてから、しばらくは人の声があちこちで響いていた。
それが眼に見えておかしくなったのは、一〇分か二〇分ほど経過したあたりだった。
郊外にいくつも張られていたテント群の一角から、火の手が上がり、怒号が山々に響き渡る。
一人、単眼鏡でその様子を眺めていたヒュー・バートンは、その様子を見て顔を歪めた。
黒髪を油でオールバックに整え、父であるリー・バートンそっくりな気難しそうな顔に恵まれた体躯。
気弱とは無縁そうな男が顔を歪めているのだから、なにが起きているのかを察するのは簡単だ。
ヒュー・バートンは父の形見である単眼鏡を、配下の騎士達に貸してそれを見せた。
騎士達でさえそれを見れば顔を歪め、理解に苦しむというような声をぶつぶつと呟き、次の者へ単眼鏡を渡す。
手から手へ、リーの単眼鏡はかの地の光景を人々に共有していき、ヒューの手元に返ってくる。
彼らが見たのは、私刑だった。
燃え盛るテントの中から男が這い出せば、農具で突き刺されて死んだ。
弁明する男が燃え盛るテントの前に突き出されては、そのまま投げ込まれて焼かれていた。
なにが起きているのか、ヒュー・バートンには分からない。
だが、この一〇〇〇にも満たない軍の中には、あの光景の意味を理解できる者がいるのだ。
とくに、そうなるだろうと予見していた者が。
「……よし、もういいか。バートン男爵、松明とランタンを灯そう」
「うむ」
やや震え気味の声が投げかけられ、ヒュー・バートンは配下の騎士や領民たちに火を灯すように促した。
火を起こしてランタンや松明に移していく作業を隅に、ヒュー・バートンは騎上の人である小さな人影に言葉を投げかける。
その人影は青年のような体つきで、青年のような顔つきの、なんてことはない、どこにでもいそうな人に見えた。
「あれを、ああなることを、貴公は予想していたのか」
「……その様子だと考えうる最悪を相手は踏んでくれたわけだな。次もはまるといいんだが」
「答えになっていないぞ、貴公」
「ああ、申し訳ない。ある程度の予想はしてた」
「そうか。……次はどうなる」
「分からない。けどまあ、こうして火を灯してるわけで、次には―――」
瞬間、月光と松明の明かりよりも強烈な閃光と轟音を響かせ、ドワーフどもの大砲が唸りをあげる。
小さな人影はラバが驚いてどこかに行ってしまいそうになるのをなんとか落ち着かせて、ふう、と一息つくと、ガリガリと頭を掻き始める。
明かりに照らされた人影は、人間ではない。
髭のないドワーフだ。
動作一つ一つが落ち着きがないが、目だけは泳いでいない。
その目はずっと敵を、敵の方を見つめている。
敵の動き方を見つめ、味方の状態を見定め、それを天秤にかけているようでもある。
落ち着きなく身体を動かして、手で頭を掻いたり、剣の柄に手をかけたりしているが、目だけは泳がないのだ。
なんとも変な男だ、とヒュー・バートンは思う。
「―――さすがに、大砲をぶっぱなせば相手も気付くだろ。敵がくるだろうから応戦する」
「手はず通りに、か」
「その通り。こっちの考えたとおりに敵が動いてくれれば、大分楽だ」
言葉とは裏腹に、松明の明かりに照らされたその表情は硬く、じっと眼下の敵方を見据えていた。
―――――――――
テッサロ義勇兵の反乱に可及的速やかに対処した後、リンド連合第四軍は混乱状態にあった。
とくにテッサロ義勇兵を多く抱えていた連隊などは対処という名の粛清に脅え、まともな状態にあるとはとても言えない。
そんな中、大砲の砲声が断続的に響き渡り、一度は敵を追い散らしたはずの丘の上に灯火を見た彼らは、憤った。
よりにもよって、今かと。
テッサロの連中はいったいどこまで内通していたのだ、と。
そうして憤ったのは、兵だけではなかった。
整列! と短槍を持った士官が連隊を集める。
連隊長は連隊が集まったのを見て、すぐに号令をかけた。
視線の先、足先は、忌々しい灯火だ。
「連隊、行進初め!!」
号令の後、兵たちは足並みを揃えて歩き始める。
踏み固められた道を行き、手に武器となる農具などを手にし、荒い息を吐きながら。
そうして丘の麓まで辿り着いたとき、連隊指揮官は小銃で武装した正規兵に装填を命じた。
正規兵の数は少ない。
連隊が三つの大隊と連隊本部という、四つの部隊で構成される中、正規に訓練された兵は大隊の三分の一ほどだ。
それ以外はほとんどが義勇兵、つまりは民兵であって、小銃で武装しているのは正規兵か、その扱いに長けている一部の民兵たちだけだ。
弾の装填が終わったことを、士官が声をあげて報告する。
連隊長はそれを聞き、再び行進の号令をかけ、同じ号令が背後から聞こえたことに心強さを感じた。
奇襲に対応しているのは我々だけではないのだと、連隊長は安堵する。
実際、砲声と灯火に対処すべく出撃したのは、一個連隊だけではなかった。
最初に出撃した一個連隊のあと、もう一個連隊が出撃し、テッサロ義勇兵を抱えていた連隊が、内部に残ったテッサロ出身者を粛清して不揃いな強行軍で後を追っていた。
丘は急ではないが、草に覆われた未整地の地面は行進速度を否応なく低下させる。
軍靴の配給もできない状態で、まともな訓練も受けていない義勇兵が大半の連隊である。
ただでさえ遅かった行進速度は見るも無残なほどに低下し、草に足を滑らせて転倒する者もあれば、足並みを乱して前を歩く兵の足を踏む者までいる始末だ。
それでも彼らは丘を登っていき、じりじりと近付いていく。
相手には大砲があるが、丘の下へ直接射撃するには射角が足りないはずだ、と連隊指揮官は思った。
それに、稜線に砲兵が姿を現したときには、正規兵たちの自由射撃の方が早いはずだ、とも。
だからこそ我々は丘の上に蔓延る敵軍に対して、突撃を成功させることができるはずだ、と。
連隊長はそう考えていた。考えていたが、それが実現することはなかった。
彼がそれを実現する前に、彼がそれを実行する前に、彼がそれを口にする前に、ちらりと火の点いた丸いつぶてが稜線から弧を描いて飛んできた。
投石だとだれもが思ったが、そのつぶては彼の頭上で炸裂した。
飛び散った鉄片が肉を貫き、切り裂き、隊列の一部が崩れる。
爆発に戦いた戦列にはさらにつぶてが降り注ぎ、頭上で、足元で、あるいは目の前で次々に炸裂した。
つぶてを恐れて松明を掲げた民兵は、そのつぶての正体を知った。
それはつぶてなどではなかった。
それは丸く整形されていたが、導火線がついており、導火線にはちりちりと火が点いていた。
知識がない者にはそれがなんなのか分からなかったが、士官の一部はその正体に気がついた。
「榴、弾……!?」
砲音などしなかったぞ、と士官は叫ぶ。
目の前で炸裂した榴弾に頭蓋を吹き飛ばされ、士官の身体は丘から転げ落ちていった。
しかし、こうした奇襲の中において生き残った士官はすべきことをした。
短槍を掲げ、血まみれの連隊旗を地面から拾い、彼は「列を崩すな!」と怒鳴る。
正規兵は怒号を受けて踏みとどまり、民兵も正規兵と張り合うかのように後ろに向きかけていた足を前へと向け直す。
榴弾の攻撃が止み、しばしの間があくと、連隊旗を掲げながら士官は叫んだ。
「連隊各員、突撃―――!!」
月下、彼らは鬨の声をあげる。
血まみれになりながら剣を抜き放ち、ある者は肉切り包丁や山刀を片手に、丘を全力で駆け上っていく。
そんな彼らの目には稜線でこちらをじっと見据える影が、きっちりと見えていた。
正規兵たちがその影目掛けて次々に小銃を撃つが、全速力で駆けている中、狙いが定まるわけがない。
馬上にあるその影の人物は、右手に剣を抜き放つ。応戦するための号令かと、士官はその動きを見てほくそ笑む。
後続がいる以上、この連隊が白兵戦に持ち込めれば総兵力の差で押し切れるのは目に見えている。
士官は勝利の一端を見据えたと思った。
しかし、勝利の女神はそれほど甘くはなかった。
連隊に再び稜線の影から、ものが降り注ぐ。
それは無数とも言える数の四角形の石だった。
ただ純粋に四角形に切られた石が、頭上から無視できない重さで降り注いでくる。
頭に当たった者は白目を剥いて死に、身体に当たれば呻き声を上げることしかできない。
「っ、ぐぅ……! 怯むな、突撃だ! 前へ進め!!」
短槍を掲げた士官が、声を張り上げながら正規兵も民兵も、前へと押し立てた。
逃げようとすればどうなるかというのは、士官の持つ短槍を見ればその気も失せる。
士官の短槍は敵に使うよりもさきに、脱走を試みる味方に対して使うものなのだ。
「連隊よ、前進だ! 前へ進め、足を止めるな!」
生き残った士官たちはその任務を全うし、なんとか連隊を前へと進ませることに成功した。
だが、足先を前へと進め、丘の頂点を見上げた彼らを見下ろしていたのは、勝利の女神ではなかった。
彼らを見下ろしていたのは、ずらりと並ぶ大砲の砲門であり、ドワーフの砲兵であり、そして―――、
馬上からじっとこちらを見据えている、髭のないドワーフだった。
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