第86話「髭なしドワーフの戦い」
日が落ちた南部の丘陵地帯を、兵たちが進んでいく。
月はほどほどに地面を照らし、ぼんやりとした中途半端な雲が時折悪戯じみた子供のように月光を邪魔していた。
ランタンを手にすることも、松明を掲げることもなく、兵たちは文句もなくひたすらに歩いている。
ヴァレスを出発した部隊は、数にして一〇〇〇にもならない。
そのうちの五百は銀髪の幼女、ローザリンデ・ユンガーが率いるユーダル独立砲兵連隊であって、残りはほとんどが南部諸侯の一人、ヒュー・バートンが掻き集めた民兵だ。
理由は、騎士修道会は野戦医療の専門家なのでヴァレスで負傷者の治療に当たってもらいたかったから引き抜けないのと、ヒュー・バートン配下は士気が高かったからだ。
ユーダル独立砲兵連隊は、待ち伏せで敵の前進を破砕して波に乗っている。
一方のヒュー・バートンの民兵達は、前領主であるリー・バートンの弔い合戦ならばなんでもすると意気込んでいる。
とはいっても、さすがに民兵そのまんまを丸ごと連れて行くわけにもいかないので、五〇〇足らずを選別してきたのだ。
選抜の条件は簡単なもので、掌サイズの石を思い切りぶん投げられること、突撃に耐えうる靴を履いていること、従軍経験があること。
この三つの条件に加えてさらに、三十歳以上であること、自前の武器を持っていること、と言えば、ある程度の数は絞り込めた。
そうして集まった連中を即行で睡眠を取らせ、夜に慣れされたりなんだりして、今オレたちはここにいる。
「しかし、なかなか良い手を考えるものだな、ご同郷」
「月明かりの中でよくもまあ、オレの位置を見つけ出せるなローザリンデ卿……」
「なに、文明の灯火から解放されて十数年の身だ。これくらい容易いものさ」
「オレもこっちじゃ数年過ごしてるはずなんだがな」
苦笑しながらオレは言うが、ローザリンデの声がした方を見ても表情は伺えなかった。
夕方、ヴァレスより出発したこの少数の部隊は別働隊のファロイド偵察班と、スクルジオ率いる北部騎兵二〇騎を目として、敵の占領している平野部への行軍を続けている。
ファロイド偵察班は冒険者連中なのでこうした荒事には慣れているし、北部騎兵もノヴゴールの鎮撫で手馴れている。
この偵察二部隊によって、敵の偵察網はかなり薄いものであることも把握している。
そのため、ヴァレスからえんやこらと夜間行軍しても、敵がこのことを知る術はない。
あったとしても、それらはファロイドや北部騎兵によってすでにこの世から消えているだろう。
「ユーダルは……そっちは万事順調か?」
「ふふふ、諸侯どもの私兵と違って私の連隊は準備がいいものでな。万事整っている」
「そうか。それなら心配はないな」
ラバの騎乗から問いかければ、自信に満ちた答えが返ってきた。
ユーダル独立砲兵連隊はこの作戦の肝だ。
彼らの火力は多少の時間と大量の火薬によって発揮されることを、きちんと頭に入れておけば、これほど心強いものはないのだ。
翻って、月光に照らされながら歩く兵たちをオレは見る。
先頭はヒュー・バートンと、緒戦を生き延びたバートン男爵家旗下の騎士達だ。
音の出る鎧は着込まずに、民兵達と同じ扱いで徒歩行軍の列にいるが、むしろそのことが一体感を生むのか士気は高い。
民兵達も若き領主の背中に黙ってついていき、にわかに殺気が漂っている。
緊張感があるのはいいことだ、と兵たちを見ながら、オレは思う。張り切りすぎも良くないが。
その民兵達の後ろには、遠目に見ても分かる樽のような体系のドワーフたちがいた。
砲を牽いて、えんやこらと民兵達の後ろを追う、同族たちだ。
同族とはいっても、オレにドワーフとしてのアイデンティティもなければ、髭もない。
それに、指揮官である以上、種族がどうのこうのといって、厚遇したり贔屓にするわけにもいかないのだ。
「………くそ、手の震えが止まらねえな」
痛む関節、激しく脈動する心臓、震える手足に、噴き出す冷や汗。
主の感情の揺れを感じ取って不安げにするラバがいななけば、それをなだめるために足を止める。
肩から吊るしたロングライフルと、腰にぶら下げた剣の重みで自分を奮い立たせながら、オレたちはただ歩いていく。
歩いて歩いて、目的地についた時、オレは騎乗でランタンの火をつけ、頭上でそれを振り回した。
―――
リンド連合第四軍が占領し、駐屯している町ペルレプの郊外まで忍び込んだファロイドたちは、稜線に光る灯火を見て行動を開始した。
頭にはテッサロ地方で農民がよく被っているつばの広い日よけの帽子を被り、手には各々が使い慣れた手斧や金槌や短剣ではなく、拳銃を持っている。
使い方は教わっているし、グリップを削り込んで持ちやすいようにはしてあるが、ファロイドにとってはなかなかこれが重い荷物だった。
なにせ丈夫で重い木材と金属細工の塊で、おまけに火打石まで使っているにも関わらず、雑草の一本すら満足に刈り取れないときた。
おまけに鉛玉をぶっぱなせると説明されたはいいものの、一発ぶっぱなしたら穴にまた鉛球を入れて、火薬を補充して、―――あいや、火薬を先にいれるのだったかしらん?
ともかく、そんな道具を使えと言われたので、なんとか持ってきたはいいものの、さらに言えば絶対に捨てたり失くしたりするなと命令があるのだから、もはや苛立ちもしまい。
エアメルたち二〇名のファロイドは雑草の只中に隠れながら、この日よけ帽を被った各々の顔をみて噴き出しそうになるのをぐっと堪えた。
月明かりの中でもファロイドという種族はそれなりに夜目がきくので、小さな身体に不釣合いな大きな帽子を頭にのっけている、出来の悪いわら人形みたいな姿も見えてしまうのだ。
そんな出来の悪いわら人形たちは、雑草の只中で小さな握りこぶしをぶつけあいながら、口々に言うのだった。
「あのロクデナシのリーのために」
「あの小便垂れのリーのために」
「リーに貸した金貨二枚となつかしのパイプ草のために」
「わしらの庄をちっとも庇護しとらんかったな、あのボケは」
「そんでも、悪い思い出はちっともありゃあせんじゃろ」
「ああ、そうじゃな。―――リーのために」
「おうさね。また会おうぞ」
そうさね、とファロイドたちは草の中を駆けていく。
履物もなく素足で地面を蹴って、草の只中をまるでそよ風のように音も静かに駆け抜ける。
それぞれの利き手に拳銃を携えて、草原を駆ける者たちはぼんやりと歩哨をしている兵士たちに迫る。
歩哨たちはまず、特徴的でどこか前時代的な日よけ帽子が見えた。
なんだテッサロの連中か、こんな夜中にどうしたんだと、歩哨は欠伸を噛み殺しながら思った。
仕事ではあるために誰何の声はあげはするが、大方どこどこのだれの靴が壊れただの、備蓄はないかだのだろうと。
ここまでの行軍で無理はしていなかったが、それでも靴は壊れるものだ。
支給されているならまだしも、各地方から着の身着のままで従軍している者も大勢いる。
靴の予備は共通財産として数はまちまちだが、連隊ごとにそこそこ備えてはあるが、靴の大きさはまちまちだ。
だから靴はあるのに、サイズが合わないということがよく起きていた。
民兵が連隊間をさ迷い歩いて靴はないかと問いかける姿は、なにも不思議なものではない。
不思議なものではなかったが、誰何に応答しないのは変と言えば変だった。
―――テッサロの連中、どうしてあんな低いんだ? 腰でもかがめているのか?
もしや、腹でも下して余裕もないのかと浮かび、歩哨が鼻で笑った瞬間、暗闇の中で火が爆ぜた。
発砲!? と歩哨は面食らって声をあげようとしたが、喉から発せられるのはひゅーひゅー、ごぽごぽという音だけだった。
どんな人間であっても、喉元を鉛玉でぶち抜かれた状態で声をあげるなど、できるわけがない。
ペルレプのあちこちで、まるで子供が無秩序に花火をあげているかのような、乾いた破裂音が響いていた。
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