第85話「再考」
国家総力戦という言葉を持ち出せば、銀髪の幼女ローザリンデ・ユンガーはさも愉快そうに唇を緩める。
その言葉の意味するところは、つまるところ諸侯や王という括りもなく、国家という単位で総力を結集する戦のことを言う。
純粋な軍事力のみならず、技術力、科学力、政治力、はては文化や思想といった面に至るまで、すべてを戦へと傾けるのだ。
なに、戦争というものはえてしてそうではないか、と思う人間もいるかもしれないが、違うのだ。
国家総力戦とういものは、日常を完全に放ってしまって、国家に属する者すべてに非日常である戦時を要求する。
関わらなければ大丈夫だ、という生易しい考えは通用せず、国家という組織が戦争に特化してしまう。
これを実現するには、いくつもの壁がある。
その壁一つ一つだって、本来なら数十年のいざこざがあって緩やかに是正されていくようなものばかりだ。
しかし、現実にオレはそうした数十年かけるはずの問題を、解決できてしまう奴らを知っている。
オレたち、転生者。
数千年の歴史の積み重ねに生きていた、現代人の中身を持った者達。
その一人、ローザリンデ・ユンガーは、よく通るソプラノの声で言う。
「転生者とは厄介なものじゃないかね、髭のないドワーフ。我らご同輩、ご同郷の輩どもは、こちらの世界からしてみればまったくの異物だ」
両手を広げ、さも愉快だと全身で感情を表現しながら、銀髪の幼女は笑う。
「我らはこの世界に無き思想を、哲学を、倫理や道徳、そして技術をもたらして成長を活性化させる。そしてこの世界は富んで往くのだ」
「けれども、オレたち転生者だって万能の利器じゃない。オレたち一人一人が好き勝手にそんなことをすれば、体系は歪になる」
「分かっているとも。髭のないドワーフのコウが言いたいことは、つまりこういうことなのだろう?」
嘲笑にも似た笑みが、オレに向けられる。
「十分に成熟していないこの世界が、はたして多量の人命を糧とする近代の戦争で干上がってしまうのではないか、と」
「言わずとも分かっているなら、あんたの答えはもう決まってるんだろうな」
「ああ、もちろんだ。私の答えは、―――それがどうした、だ」
「なんだって?」
「くはは。私はご同輩と言ったが訂正しよう、私の方が先任であるしなによりこの世界を知っている。ガルバストロのような男には適わぬが、私だってそれなりに知識はある」
「オレだって―――」
「書物の知識は経験に劣る。では、私の真なる答えを言ってやろうではないか、髭のないドワーフ」
ビシッ、とローザリンデ・ユンガーはオレを指差しながら、勝者の風格をもって宣言する。
「貴様は異世界を舐めている。たしかに文明も思想も、技術もこの世界は稚拙かもしれん。だが、考えても見たまえ。私達の世界では、我々人類が誕生してこの方、小手先の進化で文明を二〇〇〇年以上やってこれたのだぞ?」
「………」
「構造的に我々と変わらぬどころか、むしろ優れているエルフやドワーフどもがいるこの世界が、どうして我々の世界の稚拙で劣った文明と同じだと言えるのかね?」
「オレはそんな―――」
「思っていたさ! でなければその考えに行き着きはしまい! お前は己の持つ先進さが世界を、いや国を滅ぼすと危惧している。私から言わせるならば高慢と偏見も大概にするがいいといったところだ」
風に弄ばれる銀髪を指で解きほぐし、幼女は天を仰ぐ。
空は曇り空だが、幼女の瞳は秋空でも見ているように遠くを見ている。
その小さな身体に、オレは威圧されている。
「この世界は手強い! 実に手強いぞ! たかが転生者一人の脳味噌でどうにかなるなどと自惚れていれば、世界はあっという間にお前を主役から蹴落として、お前はなんでもない脇役に格下げだ!!」
「モ、モブって……でも、そんなこと言って、もし歯止めがかからなくなったらどうするんだ? いったい、誰が止めるっていうんだよ」
「ふふ、それを止めるのも転生者の役割だろう。現に、リンド連合に対峙するために私と貴様と、内政エルフの三人がもう集まっているじゃないか」
「……!」
「それが私の答えだよ、髭のないドワーフくん」
小さな身体に得体の知れない中身、そんな幼女が不敵に笑っている。
そうして、オレに対してこの幼女はこう言ったのだ。
お前一人で出来ることが、数万、数十万、数百万のこの世界の民を絶滅させることに繋がるものか、と。
たしかに、考えても見ればそうかもしれないと思える点はある。
前世において、ごく少数が一つの文明を破壊したことがいくつかあるが、それは大きな後ろ盾があってこそだった。
その少数の人間達にしても、オレのような一般人ではなく、熱意と経験を持った者たちが行ったのだ。
それに比べてオレはただの一人、腕っ節もなく、まだなにも為しえていない。
そんな男がどうして、オレは世界の常識を壊してしまうかもしれないだの、人命の消費についてとやかく言っても、なんの説得力もないのだ。
なぜならば、オレが危惧しているのは直感と、責任に対する恐怖からであって、分析によるものではない。
オレが押し黙っていると、ローザリンデは少しだけ優しさのある笑みを浮かべて、背を向ける。
「私はこの身で吸血鬼どもと戦争をしたさ。奴らは思った以上に手強く、しぶとかった。思い知らされた。私はただの一人の人間なのだとね」
「あんた……」
「ローザリンデと呼んでくれ給え。今の私は一人ではない。連隊という家族がいるのだ。―――ではな、私は連隊に戻らせてもらうよ」
「あ、ああ、気をつけてな。もしかしたらあちこっちにパルチザンやらゲリラみたいに、敵の遊撃部隊がいるかもしれない」
「山賊に出会う確立の方が高いと思うがね」
こちらを振り返りもせずに片手をぶらぶら振ってみせるローザリンデと入れ替わりに、緑色の小人が駆けて来た。
それは見間違えることはないであろう、ファロイドの忍びにしてオレの冒険者仲間である、エアメルのものだ。
目元だけを露にして、頭も口元も布で覆っている上に、小さくてすばしっこいので草地に伏せるだけでどこにいるのか分からなくなる。
南部に入ってエアメルが旧友たるヒュー・バートンの戦死を知ると、この小さなファロイドはすぐに知り合いのファロイド二〇人を掻き集めて全員が従軍することを決めていた。
義勇兵で構わんと言うのを無理言ってやめさせ、後払いで報酬を払うという契約書をしたためて、二〇人分の偵察兵として指揮下に置いたのだ。
もちろん、総指揮官のロンスンには言ってあるし、なんなら徴募してもいいんだぞとまで言われたが、さすがに他人の領地で徴募はまずそうなのでやめておいたのだった。
「それでエアメル、偵察はどうだった?」
「お前さんの言った通りじゃわい。あいつら冬用の備蓄を略奪しておるぞ」
「まあ、だよな。むしろそれ狙ったフシもあるっぽいし。……それで、肝心の野営の方式はどんなだった?」
「野営つっても、おんしの言った通りじゃな。部隊っつーか、ある一定の人数ごとに分かれとるわい。塊は全部で四つじゃったな。徴用された建物にも寝泊りしとるかもしれん」
「やっぱり師団ごとに野営も分かれてるわけだな。そんで、陣地とかは作ってたか?」
「陣地はつくっとらんかったが、馬防柵は張られとったな。歩哨も立っとったが、あっしらを見つけられるほど聡くはないのう」
「歩兵以外の敵は見えたか?」
「小さいが砲がいくつか。それとなんぞ、軽騎兵が走っておったな。数は多くない、およそ一五〇から二〇〇ほどかのう。が、ありゃいい軍馬じゃ」
「偵察用の騎兵か……? 兵士の服装はどうだった、全員揃いの服だったか? それとも郷土ごとに違ったか?」
「揃いの服ではなかったが、郷土ごとっつーわけでもなさそうじゃな。郷土の服っぽいもん着とるのはいたんじゃが」
「いたのか?」
「そりゃいるじゃろう。同じところで徴集されたんじゃろうて」
「同じところに固まっていたのか? バラバラになってたか?」
「同じところで固まっとったな。出身で部隊を分けとるんじゃろう。郷土愛もあわさって士気は高こうなる。―――なんじゃ、いきなり頬を緩めおって」
怪訝そうなエアメルの表情を見て、オレは自分が笑っているらしいと自覚する。
戦闘を前にして武者震いがして過緊張で顔の筋肉が吊り上がっているのだろうと思いたかったが、そうじゃないことは自分が一番よく知っている。
見つけたぞ、見つけた、見つけてやったぞと、オレは歓喜の声をあげたいのを必死で堪えている。
「それで、そいつらの格好はオレたちでも真似できるか?」
「羊毛さえありゃあ、作れんことはないじゃろう。あっちのテッサロってところで農民が被ってる帽子じゃわい。作るとなると、時間の出番じゃろうが」
「時間はない。シルエットだけでも似せる。代用品でダメならルールーに無理矢理作らせるぞ」
「な、なんじゃそんな意気込んで。なにをしようっていうんじゃ、おんしは。敵は万じゃぞ、万」
こっちは数千、とエアメルは教え諭すように言うが、オレはそれに対して言ってやった。
「何万だろうと同じことをやる。潜入路の確保の目安はついてるだろ?」
「そりゃついとるがな、さすがに千の部隊を隠せるような道はここにゃありゃせんぞ」
「数十人で十分だ。退却路も目星はついてるよな?」
「そっちもついとるが……、待て待ておんし、まさか攻撃するなんて言わんじゃろうな」
「優勢な敵に対してすること、しなければならないこと、……それはまず、一発ぶん殴ることさ。よし、論より証拠、善は急げだ」
エアメルの肩を叩きながらオレはそう言い、ロンスンの許可と準備のためにラバに飛び乗る。
が、しかし、老人レベルにまで低下しているオレの身体はやる気満々の頭についていけなかった。
気がついたとき、オレはラバから見事に転落して少しぬかるんだ地面に後頭部を強打して、雑草にまみれて転げ回り悶絶していたのだった。
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