第84話「懸念」
うっすらと霧がかった空の下、緑に覆われた丘や山が連なっている。
平地を追い出された南部諸侯連合軍は、この起伏の激しい地形を越えてきたという。
その際にだれがやり出したかは定かではないが、あちこちの石畳をずたぼろに崩して道を破壊していた。
「とはいっても、これくらいしか壊せていないんじゃ歩き辛いって感じるくらいだろうな……」
統率されていない破壊活動、しかも遮二無二構わず逃げている道中の誰かがやった行為。
それはたしかに戦略的に見て正しい行為なのかもしれないが、善意の集まりよりも統率された集団の方が効果が高いのは明白だ。
せめて予備戦力かどこか別の駐屯戦力を引き抜いていれば、と頭に考えが浮かぶが、オレはそれを否定する。
血まみれで、汗まみれで、泥まみれで。
死が背後に差し迫っている状況にも関わらず、周囲から罵声や、蔑みや、哀れみなどを受けてなお。
戦略的に正しい考えに行き着いた人間がいるのだ。
オレにはそれが誰なのか、いまだに生きているのか死んでいるのかも分からない。
道中で倒れたまま死んだ者も、街について安心してしまって事切れた者も、タウリカで見た光景とはまた違った死があちこちにあった。
日常という平凡で穏やかな時間が、死と血と暴力によって失われたところに、またオレは身を置いている。
「……日常が非日常に塗りつぶされて、いったいどんな日常がここにあったのか……、オレには分からねえよ」
誰に言うでもなく呟けば。
収穫季、秋のさらっとした肌触りのいい風が丘に吹く。
その風に濃厚な火薬と鉄の臭いが混じっているのに気がついて、オレは苛立ちを抑えるために痰を吐き捨てる。
「でも、オレだってなんでもない日常の大事さは知ってる。だからオレは戦った。戦えたんだ。それをここでもやって、この南部に日常を取り戻してやらなきゃな」
そうだろオレ、と。
自分自身に問いかけてみるが、答えはいつだって同じだ。
無言、無返答、無回答。
いつだってそうだ、オレはオレに対して都合のいい存在だ。
不安なときには出てこないし、どうでもいいときにはなんか閃いてギャグをかます。
だからこういう時には話し合える友人なり、なんなりが必要なんだと痛感する。
さて、状況は最悪だ。
ヴァレスという谷の合間にある街を一通り見れば、南部諸侯連合がどんな状態かは分かった。
彼らは完全に打ち負かされて敗走し、士気も低く、再び戦える状態になるためには十分な補給と補充が必要だ。
武器も手放して遁走した奴らもいるようで、剣すら持っていない者までうろうろしている。
迎賓館でロンスン・ヴォーン相手に状況を報告する諸侯たちによれば、すでに一人の諸侯が逃げ帰ったと。
南部諸侯連合の残存は消耗仕切った兵力がおよそ五〇〇〇少々、もしくはそれ以下だと。
「南部諸侯連合が使い物にならないってんなら、実働戦力は―――」
「そちらの先発隊一七〇〇と、我がユーダル独立砲兵連隊の五〇〇、合わせて二二〇〇となるな」
「うおっ!?」
いきなり背後で声がして変な声をあげると、ラバまで驚いて跳ね上がって馬上のオレはなんとか振り落とされずにすんだ。
不器用なりにラバを動かしてやって声のした方を見れば、
「はへ、あ、ちっちゃ!?」
「第一声から第二声に至るまで失礼の塊だな、髭なしのドワーフ殿」
ソプラノの声でそう言いながら苦笑するのは、灰色の軍服姿の幼女。
豪奢な銀髪と小さな体躯、胸も尻もない完璧なつるぺた幼女体系。
そんなギャップ駄々漏れの見た目にギラギラと輝くのは、琥珀色の瞳と幼女らしくない妙に年を食った笑みだ。
幼女の皮を被ったなにかが目の前にいると、オレの脅えを感じ取ったラバが嘶く。
よしよしと首を擦ってやりながら、オレは自分の立場を思い出してさらに恐怖する。
オレは指揮権は与えられているが、身分としてはただの平民で、あちらは―――。
「も、申し訳ない! ユーダル独立砲兵連隊のローザリンデ・ユンガー、で合ってます、かね?」
「その通り。ニーニャ勲功爵のローザリンデ・ユンガーだ。よろしく頼む」
「ベルツァール南部救援軍、参謀長のコウでございます! 申し訳ありません!」
「いやいや、転生して数年で軍の参謀長とはすばらしいじゃないか。私などまだ連隊長だ」
「とはいっても転生ものとしては出世ペースも遅いと………え、私など、って」
ラバを撫でながらオレがローザリンデを見下ろせば、彼女はにやりと笑う。
その笑い方は、十歳かそこらの幼女が見せるような笑い方ではなかった。
少なくとも、オレの知る幼女はこんなに口角を釣り上げて悪役のような笑みはしなかった。
「おや、あの内政エルフから聞いていなかったか。私も転生者なのだよ、ご同類」
「あー、オレとは間違いなく考え方とか、異世界転生してからの目指してきた夢とか、いろいろ違うっぽいな」
「もちろんだろう! 私は最強の砲兵を作り上げる夢がある! 目指せフレンチ七五だ!!」
「………そうか。そいつはいい夢だな」
「いい夢だとは思っていないような口ぶりと表情だ。髭の無いドワーフがそんなに分かり易い表情でいいのかね?」
「これで結構押さえ込んでるつもりなんだが……まあ、そうだな。オレはあんたの夢を邪魔するつもりはないよ」
「それは良いことを聞いた。それで、その苦虫を潰したような表情の理由を聞かせてもらおうかな?」
ずかずかと、笑みを浮かべながらローザリンデはオレの本心に問いかける。
私のしたいことはこうだが、それに苦い顔をするお前のしたいことはなんなのだ、と。
それに対する答えは、実を言えばオレが転生してきてずっと、胸の奥底で燻っていた言葉、あるいは信念だ。
けれども、この言葉は我ながら傲慢で上から目線ではっきり言って気に入らない。
自分で考えて自分で指針にしておいて、それを気に入らないし偉そうだとか言うのは変かもしれない。
でも、こればかりは一人で自己正当化して、それを他人に押し付けるのも嫌なのだ。
ラバの体温と呼吸を指先に感じながら、オレは丘から見下ろした南部の光景を眺める。
霧は薄くなってきたが、いつ濃くなるか晴れるかが分からない不確定なものだ。
風は涼しく乾いていて、これが戦時でなければ観光でずっと眺めていたいくらいだ。
日常が戻ってここに来れたら、パイプでも吹かしながらのんびりとしてみたい
観光っていうのは平和な時でなければ成り立たない産業だから、戦争を終わらせなきゃいけない。
オレは自分が感じられる一番身近な、してみたい、を動機にして、ローザリンデの目を見つめ返しながら、言った。
「……オレは、この世界に近代戦争をもたらしたくないんだ」
「ほう。その訳を私に聞かせてもらえるかね。互いに、共に戦う前に腹のうちを知っておこうじゃないか」
「目つきが怖いんですが」
「これは生まれつきだよ、ご同輩」
「マジか……。まあ、うん、それは置いておくとして、そうだな」
よいしょ、とオレはラバから降りて少しばかりぬかるんだ地面に足をつける。
ラバの手綱をしっかりと握って、痛む関節が吹き付ける風に軋み、じわりと痛むのを感じる。
空いた片手が握るのは、腰から吊るしているなんてことない剣の柄だ。
ローザリンデは、まるで獲物の出方を伺っているようにこちらを見つめている。
銀髪はまるでライオンのたてがみのようであり、琥珀色の瞳は猛禽類のもののように見える。
その視線を一身に受けながら、オレは足が震えないことを祈りつつ、胸の奥底から問いを引っ張り出した。
「ローザリンデ・ユンガー、あんたはこの世界の現状が、この国の現状が、近代戦争に耐えられると思うか?」
なにかを言おうとしたローザリンデを手で制して、オレは続ける。
オレが思っていたことを、オレが懸念していることを、そしてなによりも。
オレがこの考えを傲慢で上から目線で偉そうと思っていることを、この幼女が理解してくれるはずだと祈りながら。
「国家の力を結集する戦争、―――国家総力戦に」
銀髪の小さな獅子は、こちらをじっと見つめ返している。
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