第79話「軍議閉幕」
ベルツァール王国を統べる王、ジグスムント四世の言葉を胸に、オレは自分に問いかける。
王の言ったとおり、オレは諸侯でも貴族ですらない身であって、おまけに国中に名が轟く人気者でもない。
責を取りなにかしらの地位から降りるということもできず、かといって、名声に傷がつくわけでもない。
なぜなら、オレという存在はこの異世界において、ベルツァール王国北部タウリカ辺境伯領に現れたドワーフの転生者。
ちまちまと地道に特許を取ったり、あれやこれやと他人のツテで王都のギルドに手紙で提案などしたり、いろいろしているがただそれだけ。
オレがやったことというのはつまるところ、世界を変えるほどのものではなく、それほどに小さく、ささやかなものだったのだ。
ささやかなもので、良かったはずなのになと、オレは杖を握りながら思う。
円卓の面々を順々に見つめてはみるものの、誰がなにを考えているかなんて、オレにはちっとも分からない。
分かる必要も、いや、―――分かってやる必要もたぶん、きっと、ない。
「……覚悟しています」
自分でその言葉を口にしたのだと自覚するまで、少しばかり時間がかかった。
けれども、よくよく考えてもみれば死をそこまで恐れる必要はないのではないか、と思う。
騎兵の突撃の矛先を、地鳴りがなるような突撃の恐ろしさを、オレは身をもって知っている。
血が失われ、身体が凍えるほど寒いのに、恐怖よりも先に強烈な眠気を覚えてしまうことを知っている。
たとえ火薬と鉛球という武器を持ってしたところで、精巧な技術で作り出された分厚い装甲を貫くことはできないことも。
そして、いざ死の縁に立ってみたとしても、特別なことなどなにもできない、ということさえも、だ。
死は、この世界では常にそこにあるものだ。
夜に野犬に襲われれば死に、流行り病にかかっては死に、食べ物がなくなっては死に。
国家による福祉などは前世と比べるまでもなく、死にあたっては粛々と、行事のように人が動く。
死は意外なことに、夢溢れるはずの世界において、とても身近なものだ。
冒険者たちなどはもっとも身近にそれを感じているはずで、だからこそ死者を送るときは歌を歌って踊りを踊る。
死は、ずっとオレたちの傍らに居るし、それを拒むことなどできはしない。
だからオレは、自然とそう言っていたのだろう。
どこにいたって死からは逃れられないのだから、責任を取るための死を。
日常として語られる死よりも、歴史の一行、その中の一部になるような死を、オレは選んだのだ。
「であれば、やってみるが良い」
静かに頷きながら、ジグスムント四世は口元を緩める。
「とはいっても、無名の者では下に付く者も承知せぬだろう。パラディン伯の二人の内、一人を指揮官として仰ぐが良い。名を借りてお前が指揮を取り、戦をやってみせよ」
「は、はい!」
「此度は劣勢。防衛戦となるであろうから、ヘレン・ロウワラが適任であろうな」
「いえ……その逆を、ロンスン・ヴォーン卿に指揮官をお願いしたいと思います」
「ふむ? とのことだがどうだね、ロンスンよ」
不思議そうな表情でジグスムント四世が、赤髪碧眼の男に声をかける。
それまで向かいの席の女ドワーフ、ヘレン・ロウワラを睨みつけていたロンスン・ヴォーンは、突然の指名に訝しげな表情を浮かべる。
目つきの悪いエルフの宮中伯とどっこいの目つきの悪さに、不良のような荒っぽい雰囲気を漂わせている。
着込んでいる服も国王たるジグスムント四世より派手で、黒地に金の縁取りがされたサーコートなどは文句なしにかっこいい。
騎士らしい服装ではあるが、それをきちんと装飾していて、その装飾にしても成金染みた趣味の悪さはなく、すごく伊達な感じがする。
それらを着こなしていてなおも不良じみた雰囲気を漂わせているのだから、これはもう人柄という他ないのではないだろうかとさえ思う。
「あー……俺なのか? 俺はそこの女ドワーフみたいに城に篭るのはゴメンだぜ。時機とやらを待ってたら根っこ生えて頭にはカビが湧いちまうからな」
にぃっ、と不敵な笑みを浮かべてロンスン・ヴォーンは腕を組んでふんぞり返る。
初対面の人間が腕組んでふんぞり返っても、ロンスンがそれをやると、まあやって当然かと思ってしまうのがなんだか面白い。
このロンスンという赤髪碧眼の長身の男は、粗にして野だが卑ではない、という言葉が似合う気がする。
一方で、右のロンスンに対するヘレン・ロウワラと言えば、口をへの字に曲げていた。
深い青の瞳に長い黒髪の可憐な女ドワーフは、種族柄として背が低い。およそ一五〇あるかないかと言ったところだ。
椅子に座っていてもロンスンとの身長差がはっきりと分かるくらいなのだが、小さな彼女はロンスンを睨みながらぼそり、と言った。
「猪突しか取り得のない人間はいつだってそう言うのよ。特に考えなしは尚更ね」
「んだと手前ぇ……」
「敵軍は最大四万、対してわたしたちは一万足らず。聞いていなかったわけではないでしょ。そんな状態で攻撃なんて、猪であってもしないわよ」
「バカは手前だろうが女ドワーフ。防衛でどうにかできる数かってんだ。篭ったところで包囲されて飢え死にするか降伏するかのどっちかだろうが!!」
「地の理は我々にあるのよ、アホのロンスン。第一、まだトリトラン伯の領地まですら攻め入られていないの。二ヶ月もしない内に、竜眠季に入る」
「だからなんだって言うんだ? その二ヶ月でいったいどこまで敵がやって来るか、お前なら分かるってーのか?」
「南部領すべてを戦場として良いなら、わたしなら二ヶ月持たせて見せると言っているの」
「それで竜眠季が明けて、再侵攻されて終わりってオチなんだろうが」
「分かるように言ってあげるわ。わたしならば二季、時間を稼げる」
「時間を稼いでどうするんだっつー話で―――」
「もう良い。ロンスン・ヴォーン、ヘレン・ロウワラ」
はあ、と溜息に似た息を吐きながら、ジグスムント四世が二人の会話を遮る。
二人揃って身体を乗り出してにらみ合って言い争っていたというのに、ジグスムント四世の言葉は落ち着いていた。
というか、言葉からも態度からもどこか「いつものことだ」とでも言いたげな雰囲気が漂っている。
トリーツ大司教のオットー四世もやれやれと首を横に振り、ボラン女男爵は鼻を鳴らし、スクルジオ卿は苦笑している。
後ろに控えている騎士達などももはや恒例行事だから無視しようと決め込んでいるようで、あからさまに興味なさげに視線を逸らしている。
それらの諸卿を見回し、やれやれと言った風にジグスムント四世は口を開く。
「言いたい事はあるだろうが、この軍議の決定として、我らは指揮官としてロンスン・ヴォーンを当てる。諸卿ら、異議はあるまいな?」
沈黙。
一人だけ、ヘレン・ロウワラが口の中でもごもごとぼやいているが、ジグスムント四世はそれを無視して言葉を続ける。
「よろしい。では、指揮官をロンスン・ヴォーン。軍師としてドワーフのコウを。準備出来次第、南部へ出発せよ」
「おうよ、ロンスン・ヴォーン。主命を拝命する」
がたり、と音をたてて立ち上がり、ロンスン・ヴォーンが不敵な笑みを浮かべて胸を叩く。
オレはそれを見て、この男が指揮官として上にいれば、下手な文句など言えないだろうなと思った。
であればオレの作戦も通り易いと思ったが、オレはオレでこのロンスン・ヴォーンに作戦を通さねばならない。
前世の歴史上、指揮官と参謀が何度も体験したであろう関門だ。
命令する立場の人間と、作戦を考える立場の人間の不和は致命的だ。
それを避けるには、双方の理解と分別が必要になる。
どこまで臆せずに話し合えるか、己の作戦を押し通せるか。
指揮官に対して及び腰になって、妥協の産物を前線の兵に押し付けたくはない。
握りなおした杖を再びカツン、とついて、オレは静かに立ち上がる。
「髭なしドワーフのコウ、主命を拝命いたしました」
そうして、王都バンフレートの宮殿軍議は閉幕したのだった。
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