第75話「リンド連合第四軍」
ドワーフのコウが馬車で移動している間、南部においてはリンド連合の軍が侵攻していきます。
今回はそのリンド連合の、とある二人の話になります。
ベルツァール王国南部、マクドニル子爵領クルストール村。
占領したばかりの村の郊外、リンド連合第四軍はそこに野営地を設営し、緒戦の損耗と疲れを癒そうとしていた。
その野営地の真ん中に、歳若い男女が焚き火一つを共にしている。
空を飛べればな、と彼女がハスキーな声で呟くのを、彼は聞き逃さなかった。
竜眠季に入ったこともあり、夜風は少なく、肌を撫でるような弱々しい風も少しばかり冷たいように思えた。
だからと思って多めに薪をくべていたのだが、ついさっき彼女に無駄遣いだとぼやかれてからは、焚き火には薪をくべていない。
地図から目を上げて、彼は焚き火のそばで布を敷いて座り込んでいる彼女を見た。
炎龍の鱗のように濃い赤髪は焚き火の光りを受けて、キラキラと光っているようだ。
そしてその双眸は、赤髪とは正反対の、海原のように蒼い瞳だった。
乳白色の肌は磨かれた大理石のように美しく、色の薄い唇もあいまって作り物めいて見えた。
着込んだ服の色合いは地味だが、それらは民兵の服と違って仕立てもよく、汚れも少ない。
美しい顔立ちには若干の疲れが見えたが、それも当たり前だと彼は叱ってやりたくもなった。
その者は女であった。
年頃というには若すぎ、幼いというには年を取っている。
難しい年頃だと言えば、その通りだろう。
実際、堅苦しい言葉遣いの割りに繊細で我が侭で強情なところだってある。
甘いものが苦手でスープが好きで、子羊なんかを見るとまるで縄で引っ張られたかのように歩いていってしまって、恐る恐る頭を撫でたり毛をもふったり。
―――そんな女が今や、連合中央議会長、そして人民代表者として国の長になっている。
「僕から言わせてもらえば徒歩行軍、しかも敵襲を警戒しながらの状態で一日五キロ。この前まで農奴だったと考えれば、早すぎるくらいだ。上々だろうさ」
眼鏡を外して目頭を揉みながら、彼は彼女に咎めるように言った。
咎めるといっても攻めているような口調ではなく、言い方に気をつけるようにと叱る、教師のような言い方だった。
それほど年齢に差があるわけでもないのに、教師のような振る舞いをする男に、彼女は苦笑を返す。
作り物のような美しさが、そうして笑みを浮かべるだけで、夜の闇が幾分か晴れた気分に彼はなった。
彼は彼女の肩が華奢なことも、そこまで体つきがいいわけでもないことも、あまり力も体力もないことも知っている。
他にもいろいろなことを知っていて、知っているからこそ、彼女のそういう表情の変化で心が癒されるのだ。
「そうなのだろうがな」
彼の方を一瞥し、優しげな視線を送ると、彼女は言葉を続ける。
「我らが目指す地は、まだ先にある。そのことを考えると、皆が鳥のように飛べたら楽であったろうにと、そう思うのだ」
「……ベルツァールを墜とすという覚悟が鈍ったわけじゃ、ないんだな?」
「そういうわけではないよ、サトル。私はただ、御伽噺を考えているだけだ」
「御伽噺?」
「ああ、御伽噺だ」
どういう意味だろうかと、サトルは首を傾げる。
針金のように硬い黒髪は短く、眼鏡をかけていることもあって、学者のように見える。
背丈はなかなかあるものの、かなり細身で、お世辞にも戦いに向いているような体型には見えない。
肌はうっすらと日に焼けた跡が残っていて、手にも肉刺が何度もつぶれた跡があった。
ただ部屋に閉じこもったり、図書館で本の虫になっていたり、写本で稼いでいる学者ではない。
そこらの民兵と変わらぬ格好でも、腰に帯びた皮のベルトと、ベルトから吊るされている何丁もの拳銃が、彼がただの民兵ではないことを示している。
もちろん、彼はただの民兵でも、ただの人間でもなかった。
彼は転生者であって、リンドブルム公国の革命の発案者であり、主導者の一人だ。
そして、今は対ベルツァール王国の最前線に、彼女と共にいる。
額にかかった髪を手で払いながら、彼女は焚き火を眺めながら口を開く。
「犠牲もなく、我らの世界をあるべき姿に戻すのだ。これが御伽噺でなく、なんであろうか」
「その犠牲は必要な犠牲だと、分かっているだろ。ウィクトリア」
「分かっているさ、サトル。分かっているからこそ、御伽噺と呼んでいるんだ。……皆が分かり合え、まことの敵と戦って勝ち、すべてが報われ、すべてが幸せに終わる」
「ウィクトリア……」
「そうであれば良かったと、何度思ったことか。そうはならなかったのだと、何度失望させられてきたことか」
「…………すまない」
「そこは、ごめんと言ってほしかったな」
「ごめん」
「うん、そっちの方が私好みだ」
ころころと楽しげに赤髪の女性、ウィクトリアが笑えば、サトルはなんだかなと頭をガリガリと掻いた。
そんなサトルの頬が少しばかり赤く見えたのは、焚き火の光のせいではないだろう。
眼鏡を掛けなおしたサトルは、赤くなった顔を逸らして、再び地図に向き合ってしまう。
「心配しなくとも、私の覚悟が揺らぐ事はないよ、サトル。私はお前に誓ったように、お前は私に誓ったように、決して離れぬ半身同士なのだからな」
大きくも頼りがいがありそうにも見えない、細く華奢な背中に、ウィクトリアは言葉を投げかけた。
「……ああ、分かってる。僕もそうだ」
サトルは振り向きもせず、淡々とそう答えた。
それでもウィクトリアは満足そうに微笑むと、焚き火に両手をかざして故国の歌を口ずさむ。
彼女が上機嫌そうなのと、サトルの耳が真っ赤になっていたことは、きっと無関係ではないのだろう。
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