第72話「馬車は往くよどこまでも」
タウリカでの最後の晩餐で、手持ちの酒という酒をすべて三人で飲み干した翌朝。
ルールーとアイフェルに挟まれ川の字で寝ていたという事実を朝一番に突き付けられ、オレは逃げるように出立に際して荷物の点検を初めた。
ロングライフルはあの戦いの後、アイフェルが手をかけてくれたらしく、状態は最高だ。
剣はいくつか刃こぼれがあったらしく、アイフェルがすでに屑鉄として売却済み。
黒色火薬と弾丸製作用に細かいインゴットにしておいた鉛は、ルールーが火薬箱にまとめてくれている。
その他、執筆に必要な羊皮紙の束とインク壷に愛用のペン、それらがきちんと荷物の中にあることを確かめた。
この荷物の点検している時が、すごく旅してる、って感じがするのはオレだけだろうか。
遠足や修学旅行だって、その準備をしている時が一番ワクワクしていて、実際に行ってみると楽しくってワクワクが吹き飛んで、思い出してみれば一番ワクワクしているのは準備段階だったんじゃねえか、と疑問が浮かぶわけ
だ。
とはいえ、その準備を経て出発した先、遠足や修学旅行、あるいは旅行などでの体験は、そのワクワク以上の素晴らしい思い出でもあるのだが。
さて、そんなこんなで点検を終え、三人分の朝食を作って三人で朝食を終え、三人は出発の時に至る。
使用人に呼ばれ、ルールーは杖と鞄を持ち、アイフェルはあのデカイ鉄槌と持ち運びできる仕事用具一式を持ち、オレはライフルとかごたごた持ちながら杖をついて歩く。
朝早く、前世で言えば日の出から一時間か二時間ほどの早朝。
畑仕事を控えた人たちはすでに仕事仲間やらと談笑しながら畑に向かい始め、店も開き始める具合だ。
今日もまた、タウリカの人々は冬の前にここに訪れる隊商たちから金を落とさんとしている。
冬になれば気温もさることながら、ノヴゴールへ続く道は雪や氷結で危険度が増す。
完全になくなるわけではないが、それでも夏などに比べると隊商の数は激減するのだ。
だから、そうなる前に稼げるだけ稼ぎ、彼ら彼女らもまた、冬越えの準備に入らなくちゃならない。
冬越えか、とオレは秋に入ったこのごろの季節に想いを馳せる。
もう少しで冬がやってくるというのに、オレたちは住処から離れ、今から、南へと向かうのだ。
そうしてタウリカの南側まで歩いていくと、日頃見慣れた荷馬車とはまったく違う馬車がずらりと並んでいた。
その馬車は綺麗な緑色に塗装されていたし、なにより泥で汚れていなかった。
乗っている御者たちも仕立てのいい揃いの服を着込んでいて、手に持つ鞭からブーツにいたるまで汚れもなく、綺麗だ。
そんな馬車が四台、列になって並んでいる。
オレたち三人はこんな馬車に乗るのかと感心していると、荷馬車から御者がやって来て荷物を積むように指示をくれた。
言われたとおりにいそいそと荷馬車に荷物を積み込みをしていると、見慣れた物品が荷馬車にちらほらと積まれているのに気がつく。
アティアの使っていた大剣に、タウリカ辺境伯の紋章が描かれた大きな鞄と、冒険者たちがよく使っている使い込まれた皮袋。
他にもいくつかの荷物が積み込まれていて、オレはアティアとシン、そしてエアメルがすでに馬車に乗り込んでいるのだと知った。
使用人が荷物を受け取って荷の位置をあーでもないこーでもないと頭を悩ませる傍ら、オレたちは前の馬車へと歩いていき、そこであの目つきの悪いエルフと再会する。
馬車のステップから降り、こちらを値踏みするような目で見るのは、ニルベーヌ・ガルバストロだ。
「はぁ……タウリカ辺境伯の娘と世話役は仕方ないとして、お前の友人を追加で二人も乗せていくわけか?」
「荷馬車もあって、三台も馬車があって、連れて行けないってわけじゃないだろ。それに、エアメルは冒険者で南部諸侯のバートン男爵と面識があるらしいし、親方……じゃなくって、こっちのアイフェルも王都に知り合いがい
るって話だ。パラディン伯……の一人だっけ?」
「ん、そう。パラディン伯のヘレンはわたしと同郷」
「で、タウリカ以外に知り合いがいないオレとしては、どっちに行くにもツテがあったほうが良いって思ったわけなんだけど」
「……ふむ」
ガルバストロは鼻で笑ったような相槌を打ちながら、腰を曲げてアイフェルを見た。
アイフェルの背丈が小さい上に、エルフであるガルバストロは背が高い。
ガルバストロがかなり腰を曲げても、膝をついたりしない限り目線は合わせられないだろう。
もっとも、立場が明確に上である以上、ガルバストロがアイフェルに膝をつくなどということはないのだろうが。
そうして暫く値踏みするような目でアイフェルを見つめてから、ガルバストロは溜息を一つ吐き出く。
それは苛立ちというよりも、自嘲気味な溜息で、アイフェルに注がれる視線もなぜか柔らかいものになっている。
「ヘレンと同郷ということは、あのロウワラの生まれか」
「そう。わたしはヘレンと知り合い。幼馴染」
「………ならば、私がお前を乗せぬという選択肢はない」
「ん、感謝」
アイフェルが頭を軽く下げ、ガルバストロはそれを手で制して止める。
なにやらガルバストロがやけに気を使っているように見えるのは、気のせいではないだろう。
その証拠に、オレがなにかを言い出す前に、ガルバストロは口を開いている。
「ルールーと貴女は二番目の馬車に乗れ。すでに辺境伯令嬢のアティアが乗り込んでいる。粗相なきようにな」
「わかった」
「はい、わかりました」
御者が補佐しつつ、二人はタラップを上って馬車に乗り込む。
窓越しにアイフェルが元気一杯にニッコリと笑顔で手を振ってきたので、とりあえず手を振り返す。
なんというか、貴族の令嬢というよりも幼馴染の女の子みたいで先生はとてもかわいいなって思います。
二人が馬車に乗り込み、オレとガルバストロは先頭の馬車に乗り込む。
身体の節々が痛む老人体力のオレは、御者が引っ張り上げてくれたお陰で大分楽に乗り込めた。
馬車は内装も立派で、座席などはふかふかでいつまで座っていても疲れなさそうなほどだ。
杖をついて、一息ついたオレを尻目に、ガルバストロは御者にタラップを仕舞わせ、扉を閉めさせる。
少しして馬車は静かに動き初めて、ガルバストロはおもむろに懐から紙束を取り出して、オレに差し出した。
それを受け取って眺めてみると、『ベルツァール王国諸侯解説書』と書いてあった。
「……これって、今読んでいいやつ?」
「読ませる為に書いた。これから会っていくはめになる諸侯について、少しでも知っておいたほうがいいだろう」
「まあ、たしかに」
「それじゃ、読み終わったら声をかけろ。私は疲れてる」
「へいよ。お疲れさん」
オレが紙束を捲ると、ガルバストロはそのまま楽な姿勢をとって目を閉じる。
どうやらマジで寝るらしいなと思いつつ、オレは目つきの悪いエルフを意識の隅においやって、紙束の中身に意識を向けた。
ごとごとと、馬車は進んでいく中、オレは乗り物酔いのことをすっかり忘れてその紙束を読み始めてしまったのであった。