第6話「異世界の先任エルフ」
頭の中で全日本童貞国民の夢と希望が粉砕され、悲しみにくれる同士の声が聞こえるような気さえする。
そんな汚部屋を自分の部屋だというルールーは、そのままベッドに杖を置いて、平積みになった本の山をどっかんばっかんと怪獣特撮みたいに壊しながら、なにかを探し始めた。SAN値チェックに失敗したオレは、前に自分が扱っていた商品にもっとも近い存在であろう古書がぞんざいな扱いを受けていても、もはやなにも感じることはかなわぬのであった。
「あ、あったあった。ありました。お待たせしました、コウさん」
「なにがあったのかは知りませんけど、この中からよく見つかりましたね」
「自分の部屋ですからどこになにがあるのかは、きちんと把握してるんですよ」
掃除しろとがなりたてるお母ちゃんに、オレもそんな言い訳をしていた覚えがある。
というか、今さっき本の山を掻き分けながらあれおかしいなとか口走ってましたよね。とかなんとか、思うところありまくりなわけではあるが、それを口にするオレではない。薄い胸をえっへんと張るルールーに生暖かい視線を送ると、さすがに恥ずかしくなったのか顔を赤らめていそいそとまたなにか作業をやり始めた。
そのルールーの背中を見ながら、オレはほっぺたを両手で叩いて気をしっかりさせる。この異世界に飛ばされてきたのはついさっき。ここでルールーの機嫌を損ねて放逐されたら、その先にあるはずのルートが閉ざされてしまう。そう、――ここは分岐点なのだ。ルート選択をさりげなく迫られているのだ。間違えると死が待っているタイプのエロゲみたいな分岐点に違いない。
ルールーが持っているのは、どこにでもありそうな普通の手鏡だ。鏡といってもたしか中世期だと、たしか製造に一ヶ月は掛かる上に水銀を使うものだったような。手間がかかっているということはその分だけお高いということで、日本基準でどこにでもありそうなといっても、この世界ではどこにでもないのではないかという気もしたが、定義問題は考え始めると沼にはまるので深くはつっこまないでおく。
オレの視線に気がついたのか、ルールーは笑顔になって手鏡を持ち上げ、口を開いた。
「ああ、これはただの手鏡ではなくてですね。これにこうしてこうして……」
手鏡にチョークでなにやら紋様らしい図を描いていくルールー。
「仕上げに………ああ、あれが丁度良いですね」
「はい?」
「えい」
ぴちゅ、と変な声がした方を見ると、窓からこちらを眺めていた小さい鳥が捕縛魔法っぽいなにかでつかまっていた。あれのなにが丁度いいのだろう、とオレがぼけっとしていると、ルールーはその小さい鳥を自分の手まで引き寄せて、慣れた手つきでその細首を指先でぺきっとへし折り、腰帯に挿していた短剣を抜いて首に刃を軽く突き刺しては、水平にした手鏡の上にぽとりと置いた。
「……え、なにそれこわい」
「これは必要なものですから、いたしかたありません。では、偉い人に繋いでみますね」
「電話するだけなのに小鳥一羽がいるのかぁ……、電話って便利だったんだなぁ」
ぶつぶつとオレが二十二世紀の文明力学の強さを体感していると、ルールーはベッドに置いていた杖を手にし、再び杖を掲げ、なんだかよく聞き取れない言葉をぼそぼそと呟く。
手鏡の上に置かれた小鳥の屍骸からは血が少しずつ流れ出していき、チョークで描いた紋章に吸い込まれていく。それは徐々に青白い光を放ち初め、ついにはルールーの手を離れて空中で浮遊し始める。ルールーは歌うような声でなにか喋っていたものの、呪文なのかオレには理解できなかった。
そして手鏡全体が青白く光り出し、小鳥の血がすべて紋章に吸い取られると、今度は鏡の中に小鳥の屍骸が沈み込んでいった。この世界に来てから始めて目撃する魔法なのに、純粋な驚きと感動で見ることが出来ないことだけが心残りである。
小鳥の屍骸を飲み込んだ手鏡は、音もたてずに砕け散り、円状に広がって青白い膜を作り出す。ルールーの杖の先端からは青白い光がその膜に向けて注がれ、やがてその膜は手鏡のものと遜色ない鏡面となってオレやルールーを映し出した。そしてルールーはそれを見ると、小さな声で、厳かに言った。
「贄よ、その命は賢人の下へ、輪廻を巡りて生誕せんことを祈らん」
こん、と杖を床につき、ルールーが振り返る。
ついさっき小鳥を生贄に回線を繋いだお姉さんとは思えない、綺麗な笑顔だ。
たぶん、これが中世の文明レベルってやつなんだろうなと思いながらオレは震えそうになる手を思いっきり握り込んでなんとか誤魔化そうとする。
『――ルー? ……――、――? ――……なってる』
「んー、ちょっと魔力が足りなかったかも。ええと、ここら辺にたしか……」
「また生贄とかですかもしかして!?」
「いえいえ、とんでもない。魔力を封じた宝石がここに……あ、あったあった」
おおよそ魔法使いらしくない仕草で高価そうな宝石を鏡面にポイっと投げ込むルールー。すると鏡面が光り出して、徐々にではあるが、ここではないどこかを映し出す。
鏡面に映っているのは作りも仕上げも良さそうな執務机と、その上に大量に積み重なっている書類のような山、そしてそんな山々の真ん中で不機嫌そうにこちらを睨んでいる、びっくりするくらい整った顔立ちの、エルフの男だ。目つきが悪いせいか、あるいは顔の線が細いせいか、なんだか神経質そうに見えるのは気のせいではないだろう。
『……ルールー・オー・サーム、どういうことだ? 予算削減のために定時報告の回数まで減らしているのに、そっちからいきなり魔法通信とは。しかもこの私の執務室直通でだ。こちらも暇ではないのだと何度言ったら理解してもらえるのか、そろそろ聞かせてもらってもいいだろうか?』
「いきなり通信を開いたのは詫びます。ですがそれも、報告すべきことがあったためです。宮中伯、ニルベーヌ・ガルバストロ卿」
『タウリカの《監視者》から報告すべき事案と伝えられるのは、宮中伯、ひいては議会、そして国王にとって、えてして悪い方向に作用するということを知っての発言だろうな? 私の私兵ならば今はロウワラの案件の後処理で手一杯だぞ』
眉間を揉みながら剣呑な声音で言うエルフ、宮中伯、ニルベーヌ・ガルバストロ卿、とやらはそのまま言葉を続ける。
『ただしだルールー、そこにいるファロイドだかガキだか分からないヤツが転生者であって、なにかしら素晴らしい《贈り物》を貰っているという報告なら私も喜ばしい』
「《贈り物》がなんなのかはまだ分かりませんが、彼が転生者であるということは確実です。あなたと同じ、日本の出身の方だそうですよ、ニルベーヌ」
「あー……どうも、春日井 光一です。あなたも転生しちゃった系の人?」
『ルールー、私とこいつが話している間に調べてくれ。いろいろ説明が必要だからなにを貰っているのかくらいは分かるだろう』
「分かりました」
ちょっと失礼しますね、とルールーがまた呪文らしきものを呟きながら杖を掲げる。
どうやらオレのほうでなにかする必要はないらしく、それで《贈り物》とやらが分かるらしい。
なんか良いチート能力でもついてねーかなーと思いながら、オレは鏡面に映るエルフの宮中伯に目を向けた。