第71話「キングメーカー」
変わらんな、とニルベーヌ・ガルバストロはタウリカ辺境伯シェリダンを前にして笑みを浮かべた。
端正な顔立ちのエルフがそうして笑みを浮かべると、実にさまになっていて恨み言の一つでも浮かびそうなものだが、シェリダンは静かに頷いて頭を垂れた。
向こうにしても同じ感想を抱いているであろうな、とガルバストロは思いながら、事務的に短く、
「頭を上げよ」
「は。お久しぶりですな、ガルバストロ卿」
「五年ぶりになるか。まあいい、今回の訪問は親交を深めるためのものではないのだ。まずは互いに座ろう」
「では失礼して」
のっそり、とシェリダンが椅子にその巨体を沈めるのを見ながら、ガルバストロは静かに腰を降ろした。
シェリダンの熊のような体躯は昔からだが、会う度に横幅が増えていっている気がするが、彼はなにも言わないことにした。
相変わらずタウリカ辺境伯の屋敷は巧みなもので、金をかけずに金をかけたように見せる術を心得ている。
それでいて、とガルバストロは座り込んだ椅子の肘掛を指で軽く叩きながら、口元に笑みを浮かべる。
それでいてタウリカ辺境伯は血筋によるものか、はたまた偶然によるものか、調度品と装飾の趣味がいい。
ここでの居心地の良さは、ここがベルツァール北方の要衝、かのノヴゴールへと続く辺境であることを忘れさせる。
ベルツァール王国の実質的宰相、空位にあった王室に再び王を迎えたキングメーカー。
森に住まず今や王国の中枢で権力と権限を持つ長命なエルフが、安らぎを見出す場所が辺境の屋敷とは。
まったく、世のなかはなかなか、ままならぬものだとガルバストロは足を組みながら苦笑し、口を開く。
「この度、化け物と戦うはめになったそうだな?」
「はい。魔法使いともまた違う、まったく異質な化け物でございました。少女の似姿をとっておりましたが、化けの皮が剥がれると異様な姿に」
「それが自ら名乗ったそうだな。ミレア、だとか」
「ええ、ルールー・オー・サームは、澱みの魔女と。……澱みとは、ファロイドや獣人が吹聴する御伽噺では、なかったのですな?」
「御伽噺であれば良かったのだがな。卿は王都バンフレートに広がる、救身教という邪教の存在は知っているか」
「貧民を中心に広まっているとか。何分、北方の守備を仰せつかった身であるため、見たことはありませんな」
「そうか。私も見ないで済むなら見ずに済ませたいが、どうもそうはいかんのだ」
疲れの滲む笑みをうっすらと浮かべるガルバストロに、シェリダンは苦笑を返す。
「その救身教とやらが、黒幕というわけですかな」
「今回の事件については、そうだろうな。オーロシオ子爵家では屋敷の関係者が八名、領地内全体で十八名が行方不明だ。オーロシオ子爵のガルベルトは、健在だったが」
「……邪教を叩くことは出来んのですか?」
「教会にも魔法使いにもせっつかれている。だがな、救身教は隠れ蓑に過ぎん。あれの裏には、澱みと呼ばれる異形の者たちが関わっている。邪教だけを潰しても、意味はない」
「二兎追う者は一兎も得ず、と言いますぞ」
「芋を掘る時になにも一つで満足する者はいないだろう。親鳥を撃ち殺しても、まだ巣が残っていては、意味がない」
「ガルバストロ卿がそうまで言うのなら、当てはあるのでしょうな?」
「ああ、おそらく彼奴らの根源はノヴゴールにある」
「………では、邪教を滅するその時まで、ガルバストロ卿は我輩にあのような化け物どもからタウリカを守れと仰るか」
「魔法使いの補充はすでに計画済みだ。帝国との条約改定を進めれば、魔法使いたちが本来の力を振るえるようになる」
「その本来の力で、彼奴らがまた魔法国家なぞ作るのではないですかな」
「そうしたところで利はない。そうなるように私がしたのだ。現状、魔法使いはベルツァール王の庇護下にあるほうが、損をしないのだ。あれは基本的に利害で動くからな」
利害関係ほど信頼できる堅実な関係を、ガルバストロは知らない。
単純で理に適っている上に、そこに感情的なものが介在しないため、分かり易い。
これが人情や忠誠などと言ってくる輩になると、複雑で面倒になる。
だから、ガルバストロからすれば一番扱いにくいものは、己の国の諸侯たちだった。
王都バンフレートを中心としたベルツァール王国は、北部、南部に諸侯たちを抱え、西に王国の権威下にある都市国家の連合を含む。
まだ自分達の懐を鑑みて物事を判断する西の都市国家連合に比べ、南部と北部の諸侯は、一部を除いて未だに王への忠誠と貴族社交界を天秤にかけている。
北部を抜けた先、ノヴゴールなどはもっと混迷としていて、ガルバストロでさえ全貌が把握できていない。
先住の有力氏族たちと、ベルツァール王国からノヴゴールに居を移した諸侯も居り、そこに商人や活動家が複雑に絡み合っている。
一つの国家のように見えて、王国の実情は領地を治める諸侯たちを、ベルツァール王室が繋ぎとめている形に近い。
そこにエルフやドワーフ、半獣人といった他種族を抱え込み、ノヴゴールという実質的植民地、あるいは従属国を従えている。
改革をしようにもあっちを立てればこっちが立たず、そもそも諸侯が抱える領地はベルツァール王室のものではないため、手出しが出来ない。
取り込みを行おうとしても、諸侯たちは自分の利権にかんして敏感で、高圧的に動けば他諸侯も警戒してベルツァール王室の権威が転覆しかねない。
―――そんな状態で『邪教徒』どもを根絶やしにしようとするのだから、証拠は確実で情報は精確を喫したいのだ。
でなければ、この国の諸侯どもを団結させてノヴゴールへの再遠征など、出来るわけがない。控えめに言って、不可能だ。
ルールー・オー・サームや魔法使い、そして教会の奴らがどれほどせっついてきても、今、行動を起こすことはできないのだ。
「……ガルバストロ卿、率直に聞きますが。南部は持ちますか?」
重く、シェリダンが口を開くと、ガルバストロは苦笑する。
そんなことを私に聞いても分かりはしないのだ、という言葉が喉まで出かかっていた。
南部諸侯の連中がどこまで戦えるかなど、彼ら自身にだってよく分かっていないだろうに、とも。
けれども、そんな言葉を今ここで吐くわけにはいかなかった。
ガルバストロは宰相であって、王の補佐であって、国の未来を嘆くだけの詩人でも、愚痴っぽい世捨て人でもない。
胃の痛みを抱えながらも仕事をこなす、ただそれだけの元日本人、現エルフなのだ。
「持たせるだけ持たせよう。あの髭なしドワーフがどれだけ足止めできるかにもよるが、少なくとも南部諸侯が斃れれば他諸侯も無視出来まい」
「我ら諸侯や貴族を搾取階級だの、腐敗した者たちだの、堕落主義だの、さんざんに言っておると小耳に挟んだのですが」
「卿の小耳は随分と大きいらしい。……富の分配、私有財産の禁止、だのなんだのと、そういう思想を持っているらしい」
「我々と相容れぬどころではないですな、それは」
「実際に搾取されている農民からすれば、そうは聞こえんだろう。もっとも、そのようなことをしている領主など、もうベルツァールにはほとんどいないが」
「ノヴゴールの方が深刻でしょうな。……それで、彼奴らは諸侯と貴族、そして王を廃するつもりだと?」
「ああ、そうだ。自らの手足でその座から降りぬなら、首を柱にくくるとな」
「………厄介ですなぁ」
「厄介だな。私は明日からそいつらを相手にせねばならん」
「難儀ですなぁ」
「難儀だな。難儀だが、国の命運が掛かっている。逃げるわけにもいくまい」
「……変わりませんな、ガルバストロ卿は」
「私が変わってすべてが変わるなら、変わってもいいかもしれんがな」
自嘲気味の笑みを浮かべながら、目つきの悪いエルフは小さく言った。
「今はまだ、その時ではあるまい」
がっはっは、とシェリダンの笑い声が、部屋に響き渡った。
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