第65話「責任を取れ」
細く長い指が地図の上を滑り、山岳の少ないベルツァール王国の南部を超え、リンドブルム公国の名前で止まる。
地形は山がちな沿岸部といくつかの半島、そして島々を抱えた海洋国家に見え、そこに書かれている国旗には赤い竜が描かれている。
この地図が描かれた当時はこの国土はリンドブルム公国のものであったらしい。
軍勢が国境を超えたという言葉よりも、オレはガルバストロ卿の言葉に引っかかりを覚えた。
国家の軍勢が国境を超えたというのは文字どおりだとしても、その前の言葉の方だ。
南部のリンドブルム公国改め、自称《リンド連合》という言い方は、かなり引っかかる。
「いったいリンドブルム公国で、なにが起きたんだ?」
「お前が転生して初めて顔を合わせた時に言っただろう。"王家が転生者の政治団体の扇動で根絶やしにされた"とな」
「公国が連合に……それで越境………いやまさか、革命とかってんじゃないよな」
「革命で正解だ。ついでに言えば、南部諸侯の連合が革命阻止を狙って独断で介入したが失敗している」
えっ、とオレは固まった。固まっただけではなく思考まで停止した気がする。
前世の歴史において革命といえばまさにフランス革命で、その革命と国王と王女の処刑に端を発したフランス革命戦争がある。
国民衛兵と呼ばれる民兵と、優れた指揮官たちによる軍の新陳代謝は、当初フランスへの介入戦争だったこの戦争を、逆にフランスが他国へ侵略する戦争へと変えたほどだった。
リンドブルム公国で起きた革命がどんなものであったにせよ、それが無血であるとは考えられない。
実際、リンドブルム公国――公国というのだから恐らく大公家だろう――が根絶やしにされたという。
そしてこれに介入しようとして、ベルツァール王国の南部諸侯は失敗したとなれば、
「………た、対仏大同盟を要求する」
「その同盟相手を怒らせたのがお前だろうが!!」
「そ、そうでした」
冷や汗が噴き出してきたオレに対し、ガルバストロ卿は目尻を揉みながら溜息を吐き、続ける。
「はぁ……それでだ。諜報網の情報を統括すると《リンド連合》の動員数は最大四十万、少なくとも二十万は確実と見られている。そのほとんどは民兵だそうだが」
「でも、いきなり四十万が越境したってわけじゃない……、ですよね?」
「顔つきが変わったな、ようやく胃がキリキリ痛み始めたか。越境したのは四万ほどだそうだ」
「……それが一個軍団とすれば、最大で一〇個軍団を相手は保有しているってことになるな。ベルツァールの内情は歴史で学んで、内部ガタガタってのは理解してるんだが、越境した軍団に対抗可能な兵力はどれくらいになるんだ?」
「ふふ、食いついてきたな。南部諸侯を掻き集めて一万に足りるか否かだ。都市国家群にも派兵要請はしたが、どこまで数を出してくれるやら、望み薄だな。統一された指揮系統も存在せず、さらに言えば南部諸侯は革命介入失敗による損害から回復しきっていないだろう。リンドブルム公国からの難民の流入も止まらず、胃痛が酷くなる一方だ」
胃の辺りを摩りながらガルバストロ卿が言うので、オレは「お疲れ様です……」と小さく言う。
動員数四十万と言われてもピンとは来ないが、こちらが一地方で兵を掻き集めて一万という中、四万というのは不味すぎる。
戦争というのは基本的に数学と変わりなく、それらを補填するために戦術や戦略の優位性を説く軍事学が存在する。
誰も彼もが、十分に整った人的資源を徴兵でき、それらすべてに武器と装備を配給できるわけではない。
国力というのは莫大なリソースだが、軍事力という消費に対して投資する時、その投資は無制限に出来るわけではない。
なぜなら軍事力というのは、たしかに戦時においては必要だが、平時においてその重要性は低下するものだからだ。
ここからどうやって四万の軍勢と、その後方に控えている四十万を倒すのか。
どうやってこの革命戦争を終わらせるのか、その終着点、あるいは落着点をどこにするのか。
そういったことすべてが、このガルバストロ卿の双肩に掛かっているのだろう。
大変な仕事だなと同情していると、ガルバストロ卿は不意に口元に笑みを浮かべた。
まさかこんな時に正気度がファンブルして発狂してしまったのかと思ったが、その目は相変わらず目つきが悪いだけでまだ理性の光は消えてはいない。
いったいなにを考え付いたのやらと、他人事のように考えていると、
「誰かにこのストレスを肩代わりさせたいくらいにな」
「………」
にぃっ、とサディスティックな笑みを浮かべるガルバストロ卿が言い、その目はじっとこちらを見つめている。
まるで宝石のように綺麗な瞳なのに、なんでこんなに目つきが悪いんだろうかと現実逃避に入りながら、オレはルールーを見た。
ルールーはオレに見られているということに気がつくと、関係者じゃないよオーラを出しながら視線を泳がせた。
「………オレ?」
「ああ、お前だ髭なしドワーフのコウ」
ぞわぞわ、と肌が粟立つのを感じながら、オレはガルバストロ卿の次の言葉をただ聞くしかなかった。
「この責任を取ると、そう言ったのだろう? ならば取って貰おうじゃないか。この戦争の責任を」
胃がキリキリと音をたてて痛んでいくような、そんな気がした。
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