第5話「タウリカ・ヒッチハイクガイド」
あらすじ。
オレはなぜか異世界に来てしまった。
以上。
タウリカというのは、この街の名前であると同時に、辺境伯領の名前らしい。
ルールー・オー・サームに連れられて、オレはこのタウリカの門をくぐる。門の周囲には鎧と武器を手にした衛兵が立っていて、物見櫓の上では弓を持った兵士がやる気なさそうにこっちを見ていた。
目の前に存在している中世ファンタジーな光景にオレは興奮しっぱなしである。なにせ鎧に剣に弓矢ときて、しかもオレの前を歩いているルールー・オー・サームときたら、魔法使いだ。
日本では実家暮らしで彼女なし童貞魔法使い一歩手前―――なオレだったが、ここならなんとかなるのではないかという希望が湧いてくる。
「とりあえず……、日本の方だそうですので、同じく転生者で日本出身の偉い人に連絡をとります。あなたも少し話をしたほうがいいでしょう。その間に能力などの詳細を観測しておきますから」
「あっ、はい。や、やっぱり転生者って、特殊な能力とかあったりするんです?」
「ある事の方が多いですね。魔法使いの分派、所謂、星読師たちの仮説では、星の暦と密接な関係があるとか、ないとか……対して占術師たちは規則性がある可能性がある、とか、いろいろ論説がありまして、最近だとそれを専門で研究する魔法使いもいるくらいなんです。なのでやっぱり、詳しく観測てみないことには」
たしかに古本も実際に本の状態やら見てみないと値段つけられないもんなぁ、とオレはうんうんと首を縦に振る。
本屋に勤める前は古本屋のアルバイトであったオレの経験上、本のタイトルだけで早合点して観測をすっとばすと、ページの落丁や書き込み、ページの折り込み、破れ、日に焼けにカビや水濡れなどといった、とんでもない見落としをすることがある。大抵、そういうのは見てみないと分からないし、本を持ってくるお客さんたちも全部把握しているわけではない。
なので、やっぱり最後は自分の手で触って目で見て確認することが大事なのだ。こういう手順というのは、どんなものでも変わりないらしいと思っていると、石造りの無骨な建物に行き着く。建物とは言うが、天井が壊れて鐘塔も半分なくなっている有様なので、廃墟と言ったほうが良いかもしれない。
「ここの地下が私の住居になっています。元々は土着宗教の教会、だったらしいのですが、長いあいだ放置されていたらしくて」
「ほーう」
「あ、こっちです」
ルールーに促されて教会跡地に足を踏み入れると、たしかに長椅子や祭壇らしきものがあった。
あった、というのは、それらのほとんどが長い年月を経てぼろぼろに朽ちているからで、祭壇も崩れた天井に半分以上が押し潰されている。
こんなところに住んでるのか、とちょっと引きながらも、オレは地下の階段へと足をかけ、転ばないように気をつけながら降りた。
階段を下りると、そこにあったのは鉄で補強された木製の扉だ。ルールーは扉を前にして杖を掲げ、なんだかよく聞き取れない言葉をぼそぼそと呟く。それがなんらかの呪文だったのか、ガチャリ、と大きな音をたてて鍵が外れ、扉が開いた。
「あぁー……は、ははは。散らかってますが、どうぞ気にせずに」
「大丈夫です大丈夫です、オレの部屋だって大概もしっちゃかめっちゃかで……。って、えぇ………」
愛想笑いを浮かべながら部屋に入ったオレを待っていたのは、ここに女性が住んでいるなんて考えたくないような汚部屋なのでした。
なんだろう、うん。アレだね皆、彼女なし童貞が見るにはたぶん、刺激が強すぎたっていうかなんというか、もうすごい汚部屋っすね。すごいというかここまでくると、むしろむごいっすね。
そして、しばし佇んだ後、オレは、意識を取り戻して現状の把握に努めることにした。
まず部屋は石造りになっていて、そこに丈夫そうな木製の本棚が壁を覆い隠すように置かれている。天井近くには窓が一つあって、その下に羽ペンとインク壷が置かれた机と椅子があり、隣にはなんと換気用の煙突付の石ストーブがあった。
まあ、ここまではよくあるだろう。というか、中世ファンタジーな御部屋で終わってオレも感動で涙ぐんでいただろう。
しかし、そうはとんやがおろしてくれないのがルールー・オー・サームの汚部屋であった。
鈍器のように分厚い革張りの本がマットも敷かれていない床に平積みになり、本棚には羊皮紙らしいものが小学生のプリント保管技術の集大成のような有様でぐっちゃぐちゃに押し込まれている。隙間という隙間に紙を押し込む必要があったのだろうかと、勘ぐってしまうような有様だ。なんか紙一枚一枚がかなり大事そうな代物なのもあいまって危険がやばそうでオレは唖然とするしかない。
いくら生活能力の低いフリーターであっても、この汚部屋には呼吸器がついていけない。なんだか窓から差し込んでいる光に照らされてきらきら光っているけど、あれは絶対に部屋の中に舞っていちゃいけない光なんだ。絶対に呼吸器系にダメージを与えそうなそんな予感のする光だ。つーか埃。うん、あれはすっごい量の埃なんだ。
「………あーはい」
呆然、唖然、幻滅。
おかしい、ありえない、えっとちょっと待ってくれるかな、とオレの脳が処理限界を迎える。
そう、オレの考えた女性の部屋というのはほわわーんでぽっわーんて感じのいい匂いのする部屋。誰がどう暗黒面に落ちようともこんな、三十路童貞非正規雇用のオレの部屋と同じような汚部屋では、断じてない。あってはならない。いや、言い過ぎたか。ともあれ、全日本童貞国民の夢と希望を粉砕してはならないはずなのだ。
しかし、オレの目の前にあるリアル現実は、コレ。この有様。
なんという無常。悲劇。悲愴。
この世界に来てから何度目か分からない、夢が崩壊していく音が遠く響いている気がした。