第57話「暗闇に」
気付けば、肉片どもは一匹残らず殺し尽くされ、他の面々も静かにこちらの状況を飲み込みつつあった。
エアメル、リン、アイフェルの三人を筆頭に、半獣人たちと冒険者達の一団は、オレを見ると息を飲んであきらかに戸惑った。
オレごとこの化け物を攻撃するか、どうするか、そう考えているのが表情で分かる。
あのルールーが、ぎりっ、と歯を食いしばりながらオレの背後を睨みつけていた。
ああ、そんな顔するんだな、とオレは怖くて怖くて、無様に震えるしかできない。
日向ぼっこで寛いで、昼過ぎまで気持ちよさそうに寝てて、朝飯をねだってくる魔法使い。
それが、殺意を剥き出しにして杖を構えている。
魔法陣が複雑に絡み合い、直線と曲線が溶け合って一つの巨大な魔法陣が展開される。
そこに存在するだけで大気がビリビリと震えるほどの魔法陣を背に、ルールーは言葉を紡ぐ。
「澱みの魔女……今すぐコウを放しなさい」
「此方にもミレアというお名前があるんですよぉ……ああぁ、大丈夫ですよぉ? あなたの大事な大事な転生者さまはきちんとお返ししますからぁ……それよりもぉ、此方はあなたに一つ言いたいことがあるのですよぉ」
「墜ちた魔法使い如きが、いったいこの私になにを言おうと言うのです。我ら魔法使いは、叡智を求めることを至上とする。それに背いて"澱み"に墜ち、人ですらなくなったのでしょう!」
「あはぁ……? まるで魔法使いが人であるかのように言いますねぇ。欺瞞ですねぇ、怠惰ですねぇ、許されざる忘却ですねぇ……かつて、叡智のためとうそぶいて死体の山を積み上げた魔法使いの言い草とは思えませんねぇ?」
「私は―――!!」
「私も此方も関係ないのですよぉ……ルールー・オー・サームさぁん」
ぐりっ、と背中に硬いなにかが押し当てられる。
嫌な予感どころではなく、生物的な危機を感じたオレは無意識に踵で後ろにいるミレアとか言う奴を蹴っ飛ばそうとしたが、それもなにかに掴まれ無力化される。
おかしいだろ。だって両手はオレの腰をがっちりホールドしてて、掴める部位なんていったいどこに残ってたっていうんだ。
だらだらと冷や汗が流れていく。
なんだこれ、なんなんだこれ、怖いなんて文字で表現できるものじゃない。
オレの背中にいるこいつはいったいなんなんだ?
「知りたいという欲求は果てのないものですよねぇ……ああぁ、此方はあなたの未来と行く先も気になってしかたがないんですよぉ、転生者さん」
「オ、オレ……?」
「ええぇ……あなた、《贈り物》がないと思ってますねぇ。でも考えてみてくださいよぉ、なにも《贈り物》がないドワーフが、どうして領主と繋がりを持てて、どうして魔法使いと仲良くなれて、どうして半獣人たちを手なずけられて、どうして冒険者たちも引き連れられて、どうして戦いの処女を切ったばかりなのにそれなりに戦えちゃってるんですかぁ?」
「………ぇ?」
「あはっ♪ 幸運ですねぇ、愚かですねぇ、可愛らしいですねぇ……。転生者さんは知っているはずですよねぇ、現実は理不尽で不合理で一貫して善いことなんてないんですよぉ。忘れているわけないですよねぇ?」
「な、なにを言って、るんだよ……」
現実の理不尽、不合理?
一貫して善いことなどないという、真理?
耳元で囁き掛けられているようで、頭に直接吹き込まれているような、気味の悪い言葉が何度も何度も再生される。
ルールーがなにかを叫んでいる。
エアメルも、アイフェルも、リンもアティアもシンも、みんなが叫んでいるような気がする。
けれど、オレは思い出していた。
死ぬ前のことを。
頑張っても頑張っても、それでもオレは普通以下なのだという現実。
精一杯考えていても、それすら相手に伝わらないという現実。
見たくない、知りたくない、自覚していたくない。
そんな現実をずっと自覚して生きていたら、生きていけない、自分。
そうやって自分の無力さ、ちっぽけさを、ずっと笑いものにしてきたじゃないか。
そうやって現実の見たくない部分を、受け入れたふりして、生きてきたじゃないか。
今までも生まれて死ぬまでそうだったのだから、今更、なにがどう変わるというのだろうか。
ずぶずぶと、思考が暗い闇の中へと沈んでいくが、けれどもオレは、不思議と心地よさを感じていた。