第52話「ラッシュ」
再生自体はすぐに始まったはずだが、再生する速度が眼に見えて遅かった。
抉られた傷跡は抉れたままで、その傷口から黒いどろどろとした肉のようなものが、蠢いている。
まるで傷口に蛆でも湧いたように蠢いているので、背筋がぞわぞわっとして鳥肌が立つ。
目を逸らしたいのを堪えながら、オレはその瞬間、頭の中でかちりとピースが嵌る音を聞いた気がした。
魔法とは、世の理を捻じ曲げる法のこと。
"澱み"や多種族との戦いにおいて人間が脆弱であるが為に、生み出された禁忌なのだと。
ならば、それがこの"澱みの化け物"に対して威力を発揮するのは、当然のことだ。
人間はエルフほどの力も聡明さもなく、ドワーフほど鉱物に精通しているわけでも、屈強なわけでもない。
ファロイドほど足も速くなければ、半獣人のような感覚の鋭敏さと強さを秘めているわけでもない。
それを補う為に賢人の術を研究し解析し、ついに魔法を生み出し、力として行使してきた。
それが魔法使いであって、魔法という力によって種族の垣根を越えた集団と化し、そして打ち倒された。
その魔法使いが本来戦うべきであった敵と、オレたちは対峙している。
闇よりも濃く、深淵よりも深く、なにものよりも恐ろしい。
この善き世界に噴き出した、影。
その実体である《澱み》の化け物と。
化け物の目と、オレの視線が重なる。
冒険者たちが矢を放ち、リンたちが残ったボーラや石を投げるが、効果はない。
白い枝のような腕に握られた杖が、オレへ向けられると同時に、ルールーの声が弾ける。
「略式五型!」
耳を劈く轟音と、青白い壁、そして黒く蠢くもの。
その蠢くものの中に白い歯や骨が見える。これが死か。
オレは倒れてしまわないように両足を踏ん張って、声を張り上げる。
「……ルールー! ルールーが守っちゃだめだ、攻めろ!!」
「っぅ………分かりました! どうなっても知りませんからね!!」
「ああ、どうなってもオレの責任だ! 野郎共と淑女方は聞け!!」
エアメルやリン、冒険者たちやアイフェルの視線を受けながら、オレはロングライフルを肩に掛け、剣を化け物に突きつけて叫ぶ。
手がカタカタと震えていて、剣先も無様にぷるぷるとしているが、そんなことはいつだってしていたように、無視して叫ぶ。
それでも、高らかに叫ぶ。
震え声であったって構うものか。
声はいつだって響くのだ。
声はいつだって届くのだ。
届かせ、響かせ、虚勢を張ること。
能力なしの転生者が、いつだって出来ること。
それを今、オレがやるだけの話だ!
「……ルールーが化け物を殺すのを、全力で援護するぞ!!」
「「「応!!」」」
冒険者たちやアイフェル、エアメルやリンたちが、手に持った武器を構え答え、駆け出す。
青白い壁は消え去って、腐肉の塊のようなものがべちゃりと地面に落ち、そこに生えていた草が瞬時に腐り果てた。
そして始まったのは、化け物による虐殺―――ではなく、ルールー・オー・サームの本気の攻勢だ。
魔法陣が幾重にも展開し、回転しながら広がり、光は強く煌き、収束していく。
歌うように、教えを説くように、ルールーはその桜色の唇から言霊を紡ぎ、詠唱し、杖を振るう。
魔法陣が砕け散り、空中にその破片が撒き散らされたと思ったのも束の間、
「――破片の剣!!」
それらはすべて短剣となって化け物に降り注ぐ。
青白い魔力で出来た短剣は化け物に突き刺さり、ルールーが杖を振り下ろすと同時に、炸裂した。
百本近く突き刺さった短剣が一斉に炸裂した勢いは凄まじく、爆風が吹き抜け、一繋がりになった爆竹のような炸裂音が響く。
化け物の黒々とした体液が、まるで血飛沫のように周囲に飛び散った。
しかし、ルールーはすでに次の魔法陣を展開し、別の詠唱を口ずさんでいる。
中空に浮かんだ魔法陣は輝きを増してゆき、そこからルーン文字のようなものが浮かび上がった、大剣が姿を現す。
魔法陣が現れ、それが大きくなって光り輝くたびに、空気はびりびりと震え、風が吹き荒ぶ。
処刑人の持つ剣のように、切っ先のないその剣は、ルールーが杖で指し示した方向へと向いている。
無数の蛆に集られたキメラの死体ような外見の、化け物目掛けて、ルールーはなんの躊躇も容赦もなく、
「――半典す叡智の剣」
剣によって化け物を、刺し貫く。