第47話「世の淵にても」
以前にタウリカ辺境伯邸で見かけた執事らしい壮齢の男で間違いない。
背格好も顔つきも、着ている服も、すべてがオレの記憶に残っているものと合致する。
その男が、血まみれで磔にされていた。死んでいるのは明らかだった。身体のあちこちに槍の刺突で出来ただろう、小さな傷跡が無数にある。何度も何度も繰り返し突かれたからか、服がどす黒く赤く染まって、血が足を伝ってぽたぽたと地面に落ちていた。
彼は複数の槍を組み合わせて作った十字架に、短剣を打ち込まれ、縄で固定されていた。それが騎兵隊とエアメルたちの間に、ぽつんと立っている。距離はまだあるのに、血生臭い。
あまり見るなと理性が警笛を鳴らしているのに、目が〝それ〟から離れない。
「おぇっ、ぇ……」
気持ち悪い。
そう思うと身体がずっとそうしたかったかのように、胃の中身が逆流して口から噴き出す。
死体を観察するもんじゃないとオレは吐きながら思った。
真っ赤になっている腹は流血ではなく、内側まで見えているからそう見えるだけ。
やたらと顔に目が誘導されるのは、両目から血が流れているように見えるから。
死体は滅多ざしにされ、両目を抉られ、粗雑に、見せしめのように磔にされ、そこにある。
「なんだよ……あれ」
「これ以上、近付くなっちゅう意味じゃろな。大丈夫か、髭なしの」
とことこと歩いてきたエアメルが、騎兵隊の方を見ながら言った。
死体を見てゲロる新人冒険者はよくいるのか、オレが吐いたことにはなにも触れない。
「ゲロった。でも、今は大丈夫っぽい……」
「よくあることじゃて。ほれ、こっちゃ来い。ここに居るとまた吐くでな」
「自分のゲロで貰いゲロは嫌だな……」
あまり腹にものを入れてなくて良かったと思いながら、オレたちは半獣人の一団の中に入った。
ぞろぞろと半獣人たちが道を開けて、やたら首を捻ってはうーんうーんと唸っているリンと合流した。目の前の光景から逃げるように、オレはその頭をわしゃわしゃと撫でまくる温もりと柔らかさと、耳のもふもふが心地よい。日向ぼっこばっかしているからか、干した布団のような匂いもする。
グロッキー状態から幾分か回復したかとほっとしながら、オレはリンの頭を撫で続ける。
「んにゃにゃ、先生。あいつらあそこから動かないにゃ。これはあれよりこっちに来たら攻撃するとか、そんな意思表示だと思うにゃ」
「だろうな。なんでそんなことするのか、理由が分からないが」
「ろーじょーせん?」
「篭城するなら篭城する目的がなきゃだめでしょ。たかだか二〇数人で、あの屋敷の全体を守れるにしたって、持って一週間だな。馬を屠って飯にする前に、人数不足でどっかからか浸透されて詰みだ」
「にゃふん」
「………でも、それじゃなんであそこで止まってるんだ」
執事を殺して磔にして、これではあなた方の敵ですと言っている様なものだ。
いや、ただ単にあなた方の敵ですと言うならまだしも、これはもっと大きな意味がある。
ここはタウリカであるというのに、私はタウリカ辺境伯の敵ですと言っている様なものだ。
タウリカ辺境伯邸だけ押さえても、町の方には衛兵や冒険者達がいる。
北部諸侯はタウリカ辺境伯だけではないから、スクルジオの家、オーロシオ子爵が反乱を起こしても、鎮圧されるのは眼に見えている。大体、反乱を起こすなら速度が命になるから、篭城なんてした時点で詰んだようなもんだ。
つまり、相手には篭城する意味など無い。であれば、これは篭城などではないと考えるべきか。だとしたら、これはなんなのか。
「………わからねえな」
相手の目的が特許絡みで、フェーデや決闘をするのなら、タウリカ辺境伯の使用人から死人を出すのは不味い。不味いどころか、これは宣戦布告と同義だ。最悪、北部諸侯が連盟してオーロシオ子爵家の家督没収を王室に伺いたてることもある。
なら、相手の目的はそうじゃないと考えるべきだろう。
目的が分からない。
こいつは最悪だ。なにをしてくるかまったく分からない。
どこからスタートしても線が途切れる、正解の見つからない線引き問題だ。
ああでもない、こうでもないとオレが考えている間も、半獣人や冒険者たちは騎兵隊とにらみ合っている。ただにらみ合っているだけで、武器を構えるわけでも、弓を射掛けるわけでも、筒先を相手に向けるわけでもない。ただ、死体を間に挟んで、にらみ合っているだけだ。
その時、
「あらぁ? 此方がこれから呼んで回ろうかと思ってたんですよぉ……なのに来ちゃったんですねぇ、悲しいですねぇ、哀れですねぇ……」
鈴が鳴るような声と共に、黒い外套を羽織った小さな影が、騎兵隊の列から現れた。影は少女だった。
蝋人形のように白く整った肌を恥ずかしげもなく晒している。黒い外套の下には黒い下着のようなものしか着ていないが、誰もそれについて言葉にする奴はいない。
少女の纏っている雰囲気が、おかしいのだ。フル装備の騎兵隊が目の前で横隊を組んでいるのに、それ以上に少女の方に目が引き寄せられる。距離が離れているのに声高に叫んでいるわけでもないのに、少女の声は身近に響いている。
「んふふ……派手に殺して回って此方たち楽しくやろうと思ってたのに、酷いじゃないですかぁ……」
鈴が鳴るような声が、ころころと、けれどなぜか耳に粘りつくように響く。
唇は赤く、瞳は紫色で、髪の色は少し青みがかった黒だったが、それらすべてがまるでパレットで作った色を配色したように見える。
んふふ、と粘っこい笑い方をしながら、その少女はにたぁ、と笑った。
「世の淵にても、常闇は我らを救い給う……ですよぉ?」
誰に言われずとも、全員が反射的に手にしている武器を構え、弓を射掛け、筒先を向けた。
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