第44話「影は貴方の傍に」
落としてしまった干し肉に別れを告げると、ちょうど半獣人の一団がさわがしくやって来た。
露出の多い格好に猫耳猫尻尾な面々が、腰にナイフや山刀やボーラや手斧などを携えている。
その先頭に立つのは、青空教室の野生児兼半獣人の猫娘、リンだ。髪の毛も頭から灰を被ったような色合いに、眼だけがエメラルドのような綺麗で澄んだ緑色をしている。
半獣人たちの武装は、基本的に日常生活用品から派生しているものが多い。山刀は邪魔な枝やらを切るのに使うし、生物を屠る際にも使う日用品の類だ。大振りの鉈も同類だろう。
ボーラというのは、獲物を捕らえるための投擲武器だ。南米大陸で栄えたかのインカ帝国ではこいつが遠距離での戦闘で主力だったらしい。
構造としては極めて単純で、ロープの両端に重りとなる石を結びつけたり、両端に石を結びつけたものの真ん中にロープをさらに結びつけて持ち手にするものなど、種類もいろいろある。ようするに、捕縛用の投げ縄だ。
見る限り、半獣人の一団はそういった方式を各々好き勝手に作って使っているらしい。
そしてその半獣人の一団の雰囲気が、少しおかしかった。
リンの隣の白黒毛並みの半獣人などは、両手に山刀を抜き身で持ち周囲を警戒している。
後続の連中も鼻をひくつかせてなにかを警戒しているようで、さすがに冒険者や住民達すら後ずさりして距離を取ろうとしていた。
エルフ並みの戦闘力がある半獣人どもがいきなり暴れ出したら、大災害どころの話じゃない。
衛兵が出張ってくる前にこの緊張感をどうにかしなきゃなと考え、半獣人の一団の後ろからついてきた知り合いの衛兵に「ちょっと待って」とジェスチャーを送る。
リンのことだからなにか勘違いでもしているんじゃないかと思いながら、オレは右手を揚げながら声をあげた。
「……おいリン! よく来てくれたな。んで、なんだ、どうかしたのか?」
「にゃ、先生。この道がよくない臭いしてるんだにゃ。これは災いの臭いだってみんなが言ってるにゃ」
「臭い? ……スクルジオの連中が通ったからじゃないか? 馬の手入れで使ってる油とかがこっちと違ったりとか、そういうのあるだろ?」
「んにゃー……違うんだにゃ先生。これはそういう臭いじゃないんだにゃ。んにゃうー、こういう時なんて言ったらいいのか思いつかないにゃぁ………」
国語とか表現系統の成績は良かったリンが、こういう時に言葉を見つけられないのは珍しいことだ。
というか、考えても見ればエルフと渡り合えるだけの戦闘力を持つ半獣人たちが、こんなに警戒しているのも変だ。動物並みに臭覚や聴覚が優れているとすれば、ここを通った連中の臭いに警戒しているはずなのだが。
「……おい待てよ。スクルジオの騎兵隊は、ここを通っていったよな?」
「なんじゃい薮から棒に。たしかに朝方にここを通っておったの。馬車もおったが」
「リン、さっきからよくない臭いっていってるのは、そいつらの臭いなのか?」
「違うにゃー……ファロイドのおじーちゃん、よくなくって災いな臭いのするもの知らないかにゃ?」
「そんな漠然としたこと言われても分からんに決まっとろうが。そんなもん《澱み》かなんかじゃなきゃ―――」
「それだにゃ!」
ぴんっ、と尻尾と耳を立ててリンが叫ぶ。
ぽかんと鳩が豆鉄砲でも食らったような顔になりながら、エアメルがオレの方を見てくるが、オレはそれどころではない。
今、なんて言った?
この通りを《澱み》が通ったって?
「なあ、エアメル」
「……この半獣人の娘っ子が性質の悪い冗談を言っておるようには見えんな」
「《澱み》ってのは、本当にあんたが言ったようなものなんだろうな?」
「あっしが知っとるのは、ノヴゴールで手酷くやられてきた連中の話ばかりじゃ……じゃが、嘘ではない」
「…………」
「半獣人の。おんしらも《澱み》についちゃ、知っとるんじゃな?」
エアメルが声をかければ、リンを初めとした半獣人の面々が首肯する。
それは災いだと、良くないことの塊だと、獣よりも荒々しく、ドワーフよりも欲深で、人間よりも嫉妬深いと。口々にそう言いながら、まるで同情するような目をオレに向けてきた。
オレは、その目の意味が分からなかった。
けれども、リンまでもそんな目をしていることに気付く。
なんでお前までそんな目をしてんだよ、似合ってねえよと空元気を出そうとして、ハッとした。
ここを通ったのは、スクルジオの騎兵隊。
行き先はタウリカ辺境伯邸で、間違いない。
そしてそこにいるのは、
「………アティア、シン……」
血の気が引いていくのが分かる。
二人の顔が頭に浮かんで、それが消えていくイメージが浮かぶ。
風に弄ばれる黒髪に、その隣で響く大人しい声。
元気一杯なお嬢様の姿と、それを支える少年の姿。
なにをするにも二人一緒で、仲の良さは教室の中じゃ一番だ。
どちらも成績が良くて、文字も算数も掛け算もすぐに覚えて。
オレの教え子のところに、《澱み》が通って行ったって?
おぞましく、闇よりも濃く、深淵よりも深く、なにものよりも恐ろしいもの。
―――この善き世界に噴き出した、影とやらが?
呼吸が早くなり、心臓がばくばくと早鐘を打つ。
落ち着けと自分に言い聞かせても、オレの頭の中の二人の記憶は消えてはくれない。
肩に吊っていたロングライフルを片手に握り、気付けばオレは走り出していた。
タウリカ辺境伯邸へ向かって。
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