第35話「帰ってこれる場所」
実を言えばルールーにセクハラをかましたのは、これが初めてではない。
たとえば地酒の飲み方を間違って飲みすぎで酔っ払って子供みたいに抱き着いたこともある。あれはいい匂いがした。あとは旅人の勧めで吸ってみた煙草がなにやらアッパー系のヤバイもので頭がパッパラパーになってお尻を揉んだこともある。あれは無茶苦茶柔らかかった。指が吸い付くような未知の感触だった。あとあとさらには、水浴びをしているところにばったりと遭遇してその慎ましく無駄のない完成された女体をガン見したこともある。絵画にしておきたい一瞬ナンバーワンだ。
そしてその結果は知ってのとおり、巨大空気砲を至近距離でぶっぱなされた芸能人みたいに吹っ飛ばされるのだ。
殺されないだけマシなのだ、ということは、魔法使いという存在を知れば知るほど身に染みてくるが、いかんせん、自分の意思でスケベセクハラをかけているわけではないので、オレとしてもどうしようもない。さすがに、酒の制限はしたし、旅人の勧めは断るようになったが。
「……んで、なーんでリンちゃんまで食卓に並んでるんですかねぇ……?」
「んにゃぁー……だめだったかにゃ?」
「いやだめじゃないが」
「にゃらいいじゃないかにゃー。はい先生お肉ー」
「いやはいじゃないが」
焼いた豚肉の塊にフォークをぶっ刺してオレに食わせようとするリン。
さすがにそのサイズとなると喉に詰まらせて窒息死するわ。
ナチュラルに殺しに来ている。
しかも無自覚。
「いいじゃないですかコウ。こうして可愛らしい客人が食卓に並ぶのも」
「ルールーは食費のこととかちょっとは考えた方が良いぞ、割とマジで」
「あぅ……い、今はそういうの関係ないじゃないですかぁ………」
涙目になって否定しようとするルールーである。家計に無頓着な奴がお人よしに振舞うと、一瞬で赤字になるのだ。
とりあえずオレはリンの差し出してきた豚肉の塊をやんわりとお断りして、鍋からスープをすくって、固いパンをナイフで薄くスライスして取り分ける。現代世界の食パンみたいに柔らかいパンではなく、スープに浸して柔らかくしないと歯が欠けそうになるような代物だ。
というわけで、オレはスライスしたそれをスープにぶちこんでしばらく放置することにした。
「………で、ルールーはリンがここに来た理由、聞いてるの?」
「え? えぇ、一応は聞きましたよ? 良かったですねコウ、味方が増えて」
「いやいや、かつての教え子が味方に来てくれるってたしかに感慨深いけどさ。オレの覚えによれば半獣人とエルフっていがみあってて、どっちかが変に動くとなんかヤバイってそんなアトモスフィアだった気がするんだよ。対立民族的な構図だったと思うんだよ」
「あー……たしかに、そんな話もありましたね」
世間一般に疎いことがよく分かる反応ありがとうございます。
人間中心のコミュニティ――つまるところは、タウリカという領主の庇護下にある地域にいるから実感しづらいのだが、ベルツァール王国というのは、割と他民族国家染みていて一纏まりになることの方が珍しいのだ。
まさにあっちが立てば、こちらが立たず、という問題が今もあちこちで続いているらしい。
そもそも、生活文化も様式も、さらに言えば民族どころか種族自体が違うのだ。そうなってしかるべきだろう。前の世界で言うところの、オーストリア=ハンガリー二重帝国やら、後のユーゴスラビアみたいだ。どっちも後のことを考えると、あまり比較対象にしたくはない国なのだが。
「んー? にゃーがなんかだめだったのかにゃー?」
「そんなことはないけど食べ零し多いぞリンちゃん」
「あにゃ?」
手持ちの手ぬぐいで口元をごしごししてやりつつ、オレはルールーに聞いてみることにした。
「ルールーは今回のいざこざには介入できないんだよな」
「もちろんです。私は仕事上の立場というものがありますから。そう簡単に動くことは赦されてないんです」
だからってルールーはさすがに自堕落生活送りすぎではないか。
自堕落な生活を夢見ていたオレでさえ、さすがに少しイラっとくるくらいの自堕落っぷりである。
まるで我輩は猫であると豪語するかのような日向ぼっこと昼寝の様子は、感銘すら受けそうになる。
これでいて写本やらなにやらの仕事は一応しているらしいのだから、むしろ逆にいつ仕事しているのかとびっくりするくらいだ。
リンがフォークをぶっ刺したままの豚肉の塊を、ナイフで一口大に切り分け、手で細切れにしてスープにぶち込みながら、オレは言葉を続ける。
「んじゃあ、オレがなにかを頼んだってなんもできないってことだよなぁ……」
「そうなってしまいますね。私としても心苦しいですけど、こればっかりはどうにもならないので。あ、お肉、私の方にも」
「はいはい。――リンちゃんは肉いr」
「いるにゃ」
「ですよねー」
はてさて、なぜオレが飯の切り分けをやっているのだろう、とかもう何度目か分からないこと思いながら、ナイフをてきぱきと動かす。
現代世界じゃまずほとんど使うことのないナイフ。しかし、この世界じゃナイフは日用品だ。書き間違えた羊皮紙の表面をがりがり削るのもナイフ、飯を切り分けるのもナイフ、なにかを切るにもナイフ。ここらでハサミを使ってる奴らと言ったら、家畜の移動でたまに立ち寄る羊飼いたちくらいなものだ。
この普段使いのナイフは研ぎ忘れると恐ろしく切れなくなるし、汚れたままにすると途端に錆つくんだよなぁ、とぼやきつつ、リンの分をかなり多めにして豚肉を二人にそれぞれ渡してやる。
「ありありにゃー、んぐ」
「ありがとうございます、コウ。それでなんですが、私が出来るのはこれくらいです」
「ん? なにこれ?」
「この間、あなたに約束した品物ですよ。魔法の加護が施された指輪、です」
にっこり、と素敵な笑みを浮かべて布袋を手渡してきたルールーに、オレは咄嗟に感謝の言葉が出なかった。
まさか本当に、魔法の加護が施された指輪、などというファンタジーなアイテムをこの手にすることができるとは、思っていなかったのだ。
「こここ、これが、魔法のアイテム………っ!?」
「とはいっても、時空が歪むような性質のものではありませんよ。これは文字通りの加護の指輪、あなたの幸福と安寧を願ったものです。だから、これを指に嵌めたからと言って力が強くなったり、賢くなったり、身体が丈夫になったりはしません。そうした加護というのは、いずれその人の心を歪めてしまいますから」
「えーっと……つまりこれは、お守りみたいなものなん?」
「そうですね。私の加護が掛けられているといっても、それは悪や闇を遠ざけるだけです。私が出来るのは、これだけです」
どこか儚げな笑みを浮かべながら、ルールーはオレに言った。
オレはルールーが本当なら手助けをしたいのだろうな、と思った。
なにせ、お人好しで魔法使いで世間知らずの、オレの保護者なのだ。
「……ありがとな、ルールー」
「いえいえ、どういたしまし―――」
「これでいつも洗濯役と買出し役と料理役に掃除役その他諸々兼任してたのチャラだな」
「なんでいつもそういう方向に繋げるんですかぁ!? 嫌いなんですか!? 私、嫌われてるんですか!?」
「ははははは! いや、そうやってツッコミ入れてくるルールーが可愛くってつい」
「可愛くってついで私をおちょくらないでください!! これでも本気で心配してるんですよ?!」
「分かってる分かってる。おいリンお前肉食い過ぎだろ食費請求すんぞ」
「もぐにゃー?」
「あー! 可愛いなもう!!」
このこのこのこのこの。
と、オレは真っ赤になって怒ってるルールーを無視して豚肉の塊をもぐもぐしているリンを撫でまくる。これはこれで楽しい。
むしろ、こういう身近な笑顔や幸せこそ、異世界で楽しむべきものなんだとさえ思えてくる。 戦うべき時は、こうした笑顔や幸せを守るためであって、自分の利権云々ってのはちょっちエゴにすぎるかとも思えた。
その先にもっと大きな幸せがあるかもしれないという、期待や夢があるとはいえ、だ。
「なあ、ルールー……」
「ん? どうしましたコウ、お腹でも痛くなったんですか?」
「いんや。たださ、もし死んだら、ごめんなって。そんだけ」
「………前にも、私にそう言った人がいました」
昔を懐かしむような、少しだけ悲しそうな表情でルールーが言った。
「でも、その人は結局死んだりなんかせずに、ちゃんと帰ってきました。だからきっと、あなたも帰って来れますよ」
「そうだと良いなぁー。帰ってきて飯作って洗濯して、掃除して、仕事に行って帰ってきて洗濯物取り込んで、飯作って……いつも通りに戻りゃいいなぁ」
「んみゃー、んみゃー」
手でリンを撫でながら、その体温を手で感じる。
幸薄気なルールーも、オレの言葉に苦笑している。
戦いが終わった後、ここに戻ってきたいなと、胸の奥にじんわりとしたものが広がるのを感じながら、オレはその日の夕食を終えた。