第2話「異世界転生ですが第一町人が空腹です」
中世風な光景の中に現れたその人物は、この場所が異世界なんだろうなと思わせるには十分な格好をしていた。彼女はぼろぼろで継ぎ接ぎのとんがり帽子を風に飛ばされないように華奢な左手で押さえ、右手には身の丈ほどの長さがある木製の杖を持っている。杖の先端はかたつむりの殻みたいにぐるぐると渦巻き型に曲がっている。帽子と同じくこれまた継ぎ接ぎの目立つ黒く長いローブは、風のせいでばたばたと暴れまわっており、裾を踏んづけて転びそうだとオレが思った瞬間、見事に予想が的中し、
「んぎゃっ!?」
という尻尾を踏んづけられた猫のような悲鳴とともに、とんがり帽子の第一町人は前のめりに若草色の地面にぶっ倒れた。見事な転びっぷりに驚きつつ、オレはそろりそろりと一応警戒しながら近くに歩いていくが、一向に立ち上がる気配がない。
死んだか気絶したかと物騒なワードが頭を過ぎるが、彼女はごろりと仰向けになって口をへの字に曲げて情けないくらいに大きな腹の音を響かせた。
「うぅぅ……お腹空い、た……?」
「………ど、どうも?」
大の字に寝転ぶ彼女と目が合い、思わず口から言葉が飛び出す。
「あ、はい、どうも?」
紺色の綺麗な瞳を一つ、パチクリとさせながら彼女は言った。こんなところに人がいるなんて思っていなかったような、そんなきょとんとした表情だった。
綺麗な白い肌が少しづつ赤くなっていく。そりゃ恥ずかしいだろうなとオレは彼女から目を離して、わざと遠くを眺めながら彼女の格好について考えを巡らせることにした。
魔法使いのような恰好と杖。右目を覆う黒い眼帯。目鼻は整っていて、長い黒髪は鴉の濡れ羽色と言うに相応しく、少し青みがかっている。やぼったいローブはとんがり帽子と同じく継ぎ接ぎだらけで、けれどもなかなか肌にぴったりと張り付いていて、女性のスレンダーな胸元からくびれまでのラインをよく浮き出している。そして、とても細くて痩せている。胸も尻も慎ましい。
「あぁ、えぇ……っと。すいません、かれこれ五日ほど水しか口にしていなくて」
「なる、ほど……? いや、そんな状態なのに歩いてきたんですか?」
「それは私の仕事というか、責務というかですね……そう、やらなければいけないことがあるんです。それでその、ちょっとお手を貸してもらってよろしいでしょうか?」
「まあ、それくらいなら……」
大の字で力なくぶっ倒れる彼女の華奢な手を取ると、ひんやりと冷たい。
人間、二日か三日ほど食べ物を食べないと体内の栄養を消費していく。この華奢な女性はただでさえろくに蓄えてもいなさそうなのに、さらに脂肪分などを燃焼してしまった計算になる。そりゃふらふらにもなるしぶっ倒れもするだろうなと思いながら、オレは彼女が立ち上がるのを手伝った。
一応起き上がる気はあったのか、彼女はオレが立ち上がるのを手伝ってあげると、ふらふらとしながらもなんとか二本の足で直立し、土と草で少し汚れてしまった枯葉色のチュニックをぱんぱんと白い手で叩くと、目深に被っていたとんがり帽子を取って頭を下げ―――ようとしてまたふらつき、オレに寄りかかるような体勢でぼそぼそと言った。
「ありがとう、ございます……、すいません。ちょっとまだ本調子じゃないみたいで、もう少しこのまま……」
「?!」
女性に免疫のない自分の口から出たのは、小動物の悲鳴みたいな変な声。
耳まで真っ赤になっているのを自覚しながらもオレはそんな女性を支え、なんでこんな綺麗な人があんな見事にぶっ倒れて飢え死にしかけてたんだろうかと考えようとしたが、緊張でろくに舌が回らず口も開かずに言葉は出ない。
ごくりと唾を飲み込む。それでも、オレは聞きたいことがあった。
この世界が異世界であることを、確認してみたかったのだ。