第21話「年寄りの話とクソエイマー」
遠く彼方より、疲れ果てた賢人がこの大地にやって来た。
賢人はこの大地を旅の果てとし、ここを自らの墓所とすべく、野山を切り開くための子らを創造した。巨人である。
巨人たちは疑いもなく、主の言いつけ通りに野山を切り開き、主の墓所とした。
その墓所が出来上がるまでに幾百の巨人が土になり、骨になり、残った者たちはその身体に苔と草を蓄えていた。賢人は愚鈍だが純粋な巨人たちを見て嘆いた。
賢人は、遺される巨人たちを哀れに思い、より聡明で善良な種族、巨人の善き友としてエルフを、そして未開の野山を駆け巡る獣を、野山に宿る妖精たちを創造し、終わりなき眠りについた。
善き世界はこうして創られた。
光に照らされ、賢人の英知と想像力によって支えられた世界は、数え切れぬ時を巡り、唐突に変化を迎えた。
それは、賢人を追ってきた。
それは澱みである。
澱みは光に影を生み、生に死を生み、始まりに終わりを生んだ。
それよりこの世界は終わりに向け時を刻んでいる。続けている。
それがこの善き世界、終わりを運命付けられし我らが世界である。
―――
語り終える頃にはエアメルはパイプ草を吸い終えていた。
一方のオレは語られた話を前世のそれと比べて、なんとか理解しようとしていた。
この物語だと、疲れ果てた賢人が、前世でいう創造神になる。創造神がなにもない土地に辿り着いて、そこから巨人たちを遣って野山を切り開いて墓所を作った。墓所が完成するまでかなりの時間を要し、巨人たちは多くが倒れ、残った巨人たちも苔や草が生えるほどだった。
墓所の完成を目にした賢人、創造神は、そこでこの巨人たちを置いて死ななければならないという現実を突きつけられ、巨人たちを孤独にさせまいとエルフと獣、妖精を生み出した、と。
「……あれ、人間は? この話、人間がでてきてないけど?」
「人間が生まれたのはこの後じゃ、髭のないドワーフよ。澱みが溜まるにつれ、世界は変わっていったのじゃと言われておる」
曰く、エルフたちは不老だが不死ではなくなり、土の妖精のドヴェルクは澱みに触れドワーフとなり、澱みを恐れ立ち向かう為に獣は人へ進化した。
しかし、巨人だけは変化に追従できずに徐々に数を減らし、最後の善良なる巨人、ハウヌーアの死をもって神の時代の生まれた者たちはすべて死滅したという。
「そして面白いことに、この物語にはあっしらファロイドはおらんでな。だからファロイドは『いつの間にか世界に現れていた』というのが定説なのじゃよ。ほっほっほ」
「いつに間にかって……、おいおい、そんなあいまいなんでいいのかよ、ファロイド族は」
「いいのさね。あっしらファロイドは過去に囚われないのさ。各地をさ迷い歩いて好奇心に生き、好奇心に殺される。あるいは、死ぬまでファロイドの村で一生を過ごす。それがファロイドの生き方さね。もしかしたら、髭のないドワーフのようにどこぞの世界からこっちに飛ばされてきちまったのかもしれんな。あっしらは冒険ってものと狩りと歌が好きじゃから」
ほほほ、と年相応に老いぼれた笑い声を浮かべながらエアメルは言う。
「髭のないドワーフ、あるいは転生者のコウとやらよ。覚えておくといい。この世は均衡を崩しつつあることを。冒険者としてやっていくのなら、なおさら心しておくべきじゃぞ。善と悪、光と影の均衡さえもが揺るいでおるのじゃからな」
「よく分かんねえ話だけど……その、戦争が起こりそうなのか?」
「いつかは分からぬが起こるじゃろうのう、善と悪の、あるいは光と影の戦争が。まあ、たかがファロイド一人、おんしはドワーフ一人、抱え切れるものではあるまい。あっしらは賢人の存在を信じておるが、今の人間はほとんどその存在をなかったことにしようとしておる。故に、《澱み》の存在などただの古臭い御伽噺としか受けとらなんだよ。もはや人は金を中心に巡る欲の種族となってしまったからのう」
パイプ草に火を点け、ぷかぷかと吹かしながらエアメルは自嘲気味に笑った。
元人間のオレではあるものの、ぶっちゃけこうして髭なしドワーフとして暮らしてきたからか、あるいは転生した時にドワーフであることを無意識の内に受け入れていたからか、目の前で人間がぼろくそに言われても、とくになにも感じない。
「………そっか。この世界にも、歴史ってもんは、あるんだもんな」
「転生者はよくそこを見紛うもんじゃろうからな。見ず知らずの異国についたら、その文化程度は知っといた方が後々のためになるもんじゃ。しかし、おんしが澱みについて知りたがっていたのは良い偶然じゃ。髭のないドワーフよ、おんしが知っているものは確かにこの世にはないものじゃろうがな、しかしこの世すべてをおんしが知っているわけではないのじゃ。努々、その事実を忘れんようにの。今年で八十八になる忍びからの助言じゃて」
双方、なんだかしみじみしながらぼけっと夜のタウリカを見つめる。
『彷徨い猫の囁き亭』からは相変わらずどんちゃん騒ぎがくぐもって聞こえてきて、夜警の仕事をしているのだということを忘れそうになる。
「しかし、夜警の仕事なんてこんなもんか。平和だな、ここは」
「戦乱と戦乱の合間に平穏があるように、なにもないときは平和なのじゃよ。おんしには平和に見えるかもしれんが、あっしにゃ不穏じゃわい。聖王アルフレートが《五州平定》を成し遂げ、ノヴゴールの魔王を滅してから今年でだいたい二百年じゃが……ノヴゴールとベルツァールの狭間のタウリカは、どうもきな臭い匂いがするのじゃ。お前さんが来る前の話しになるが、ノヴゴールから奴隷商人どもが来たときなんぞ、衛兵と冒険者が肩を並べて奴隷商人の私兵どもと戦ったもんじゃて」
「聖王って、そんな昔の人だったのか……やっぱ偉人なのか?」
「人間と異種族たちをまとめあげ、ベルツァールという国を興したのはあの王のおかげじゃて。そうさな、今から五百年前は戦国時代といってな……異種族、魔法使い、人間がベルツァールでもう長いこと土地を取り合っておったんじゃ」
「へぇ……って、おい。この音、警笛の音じゃねえのか?」
「むむむ」
ピィーッ、っという甲高い警笛の音が闇夜を切り裂く。
安楽椅子から飛び跳ねるようにして立ったオレとエアメルは、警笛のした方向をじっと見つめた。
「髭のないドワーフよ、弾を込めい。そいつが要りようかもしれん」
「あ、あぁ、分かった」
さきほどまでの好々爺とは一転し、気骨ある戦士のような顔のエアメルに気おされながらも、オレはロングライフルを両手で持ち、装填作業を始める。
腰のポシェットから羊皮紙に包んだ一発分の黒色火薬を銃口に注ぎいれ、首から下げていた穴だらけの木板を銃口にあてがう。穴にはリネンに包んだ鉛弾がはめ込まれている。オレはその一つをポケットに入れていた小型の押し込み棒でぐっと力を込めて、鉛弾を銃口に落としいれる。小型の押し込み棒をしまったら、銃口の下に押し込んである別の押し込み棒を取り出し、それを銃口につっこみ銃口内部の鉛弾をしっかりとガンガンと押し込んで、鉛弾がしっかりと銃口の最奥部に納まったことを確認し、押し込み棒をしまう。それから火蓋を開け、黄鉄鉱が挟み込んであるハンマーを安全位置に上げる。キーと呼ばれる器具を使って発火機構のホイールを巻き、首から下げてある瓢箪状の火薬入れから火皿に黒色火薬を注ぎ込む。
すべての工程をミスなく済ませ、オレは言った。
「よし、終わった!」
「遅いわいこのド阿呆!!」
「し、しかたないだろ! オレは素人だし……第一、前装式の装填は大英帝国の赤服熟練射手がやっても、プロイセン歩兵がやってもどんだけ短くたって十五秒かかるんだぞ!!」
「ダ×エーだかプロテインなんとかだか知らんがもっとすばやくやれい!」
「実はあんた転生者じゃないの!?」
左手に金槌、右手にクナイという世にも珍妙な装備をしたエアメルに怒鳴られつつも、オレはロングライフルを抱えて店の前に飛び出す。
警笛が鳴ったということは、なにかがあったということであって警戒するにこしたことはない。周囲に銃口を巡らせながら目をこらすオレの横では、エアメルが目を閉じて音を聞き取ろうとしている。
いやそんな特殊能力者でもない限り、それじゃ敵は見つかるわけないだろと思っていると、エアメリがぎょっと目を見開いて叫ぶ。
「………むっ、右、廃教会の屋根じゃ!」
「え、マジかよ見つけやがった。―――ってかオレの家じゃねえかよそこは!」
「口の前に手を動かせ馬鹿者っ! 狙って撃て!」
「泥棒ってわけか!」
暗闇にぼんやりと浮かぶ廃教会のシルエットの中に、さらにぼんやりと人型の影があるのが見えた。オレはすぐさまハンマーを射撃位置にセットしてストックを肩にぴったりと密着させる。
左足を前に、左足を後ろに。
そして体重は左足にかけて、やや前のめりに構え。
照準を合わせて、
(こんなもんで当たるもんかな……)
とか思いながら、覚悟とかそんなもの考えることもなく、すぱっと引き金を引く。
キュルルルルッ、と巻き上げられたホイールが回転して黄鉄鉱と擦れ合い、火花が散り、その火花が黒色火薬に火がつき、銃身内最奥部――俗に言う機関部の炸薬に点火、炸裂する。
―――ズパーンッ!
銃声が闇夜を引く裂く。
少し間をおいて、ギャッ、という小さな悲鳴が響いて、次にどさり、となにかが落ちた。
エアメルがよくやったとかなんとか褒め言葉を呟いて廃教会に兎みたいな速度で走っていく。
「え?」
一方、銃口から立ち上る硝煙越しにその様子を見ていたオレは、冴えない声と表情でぼけっと突っ立っていた。
理由はたった一つ。
「……マジかよ、当たったよ!?」
オレ自身、当たるとは思っていなかったのである。