第20話「冒険者ってそんなものね」
遅い昼飯をご馳走になってきたルールーに、今晩はオレがいないので晩飯は自分で作ること。明日の朝はオレが爆睡している予定なのできちんと自分で起床すること、朝飯を作ること、洗濯をすること。それらを告げ、涙目でイヤイヤと縋ってくるルールーに納得させる作業が終わると、なんとお天道様が寝る時間になっていた
「っと、駄々こねすぎだろルールー……オレが来る前までいったいどうやって生活してたんだよ……朝起きられないわ放っておいたら昼まで寝るわ、作る飯は味がない水っぽいわ……」
ぶつぶつと呟きつつも、オレはブリガンダインの上に不要な布切れで仕立て上げたコートを纏い、剣帯をしっかりと締め、ロングライフルを肩に担ぎ、冒険者の店『彷徨い猫の囁き亭』に向かう。盾は作ってみたはいいものの、ライフルを使う上で勝手が悪いので冒険者に売り飛ばしていた。
さて、そのまま受付嬢からあれこれ聞いて夜警の初仕事だと張り切って『彷徨い猫の囁き亭』の戸を開けようとすると、後ろからハスキーな声が呼び止めた。
「蹄鉄屋のコウとはおんしの事ではなかろうか、髭のないドワーフよ」
「……いかにもオレが駆け出し冒険者コウで間違いないんだが。そういうあんたは?」
振り返ったオレの前にいたのは、『彷徨い猫の囁き亭』の前で安楽椅子に腰掛け、ぷかぷかとパイプ草を吹かしている壮齢のファロイドだった。
ただのファロイドではないのは一目瞭然。なぜならこのファロイド、忍者の格好をしている。色合いこそファロイドが好む緑系統の配色になっているし、布もあちこちがぼろぼろではあるものの、見た目が完全に忍者だ。頭に乗せている深緑色の手ぬぐいは顔に巻き付け覆面にするものだろう。
懐かしい和風の匂いがする装束に、オレは戸惑いつつもぼそりと呟く。
「に、忍者? 忍者なんで?」
「然り。あっしは遠く昔、遥か東より参った島国人より術を授かったファロイドの忍びの一族の一人、貫きのエアメル。おんしの到着が遅いものだから、一人で待っておったのだ」
ぽい、と忍者ファロイド―――エアメルがなにかを投げたので、オレはそれをキャッチする。
手の中にあるのは安っぽい形の警笛だった。
「コウ、一つ忠告しておくぞ。夜警の仕事は退屈極まりないが、無碍にもできん。冒険者は信用をなくしたら終わりじゃ、少しは時間にも気をつけい」
「は、はい……」
「反省したら、ほれ、あっしの隣に座れ。それで少し、あっしの話し相手になっておれ」
「は、はぁ……?」
「夜警の仕事は退屈極まりないんじゃ」
もしや腰に巻いた剣帯とこのロングライフルの存在価値がなくなったのではなかろうか、と危惧しながら、オレはエアメルの言葉に従って空の安楽椅子に腰を降ろす。座り心地は上々で、このままぼんやりするも良し、仕事がなければ寝ても良し、といったところだ。さすがに夜警が寝てたら怒られるだろうが。
『彷徨い猫の囁き亭』は今日も盛況なようだ。煙突からは煙がもくもくと立ち上り、丈夫な黒胡桃の木材で作られた扉越しにもファロイドの奏でる楽器の音色や、冒険者たちの武勇語りや泣き声や怒鳴り声、そして歌声が聞こえてくる。
それに混じって聞こえるのは、秋――収穫季に顔を出す虫たちや鳥の囀り、風の吹く音だ。見れば、雲の少ない空は綺麗な青白い月明かりに映し出され、儚げながらも幻想的な風景を作り出している。夜空には星々が煌いていて、それぞれが微妙に色彩の異なることが分かる。暗闇に月光を透かした布地に、宝石のような星を散りばめた芸術品こそが、タウリカの天蓋になっている。
四方を山で囲まれたタウリカの空は、他の地域と比べると少しばかり小さいらしいけれども、それでもオレには十分広く、果てのないものに見える。
普段は青空教室や蹄鉄屋の手伝いばかりで、日が暮れるころになるともう家に帰って晩飯の仕度をする生活に慣れていたオレは、夜のタウリカの風景をぼんやりと眺め、ほうと息を漏らす。電気がない生活に慣れてきはしたけれど、電気のない世界の夜空は、とてもとても、言葉に言い表せないくらい素晴らしいものだ。
そう夜景に見とれていると、エアメルがパイプ草の紫煙をぷかぷか吐き出しつつ、口元を緩める。
「……しかし、なんだ。あっしはこのタウリカに腰を据えてから二十年だが、髭を生やさない男のドワーフに会うのはこれが初めてだわい。彼奴らは山にばかり篭って、たまに街へ降りてきては飯を食い散らかし髭をエールで濡らし、食べかすだらけの服で山を登っていくもんじゃが、どうやらおんしは違うようだの」
「まあ、自分の素性もよく分からないはぐれドワーフなもんでして……というか、エアメルさんはどこでオレのことを?」
「エアメルでよいわ。なに、領主のとこの知り合いから又聞きしたまでよな。これまたどこぞの世界から弾き出されてきた転生者とやらだとな。おんしで間違いなかろ?」
「間違いないです、はい」
「畏まった言い方もやめい。気持ちが悪いわ。気など使わずになんでもかんでも聞けばよかろう。おんしが世間知らずで学があるのにものを知らないのは、それこそ又聞きしておるからのう」
「……ああ、話し相手ってそういうことか」
安楽椅子の背もたれに寄りかかりながら、オレはエアメルの方を見遣る。
彼はパイプ草を相変わらずぷかぷかと吹かしているだけで、自ら言葉を紡ごうという気はないように見えた。
さて、どうしたもんかとオレは頭を悩ませる。
この世界の戦術などはシンから貸してもらった本などでだいたい把握してはいるものの、その他一般常識、とくに前世で存在しなかった魔法などに関する知識はまったくない。なにもしなかったわけではなく、ルールーに何度か聞いてはいるのだが、その度にはぐらかされてなにも教えてくれなかった。というか、あれはオレがまだ魔法を使うのをあきらめていないと勘違いしている気がする。あとで言って訂正しておいた方がいいかもしれない。単なる知識欲の発露なのだ。
ああでもないこうでもないと唸り声をあげながら考えて、オレはエアメルに言った。
「ああ、そういえば。《澱み》ってなんなんだ? ドワーフって、妖精が《澱み》を受けて変化した形だ、ってのは聞いたことあるんだけど……」
「ほっほ。《澱み》か。それは良い質問じゃあな。ある者は寝物語の御伽噺、ある者は実在するおぞましいもの、ある者は夜の闇より暗く底に溜まったさらなる闇と言うものじゃ」
パイプ草の煙で輪を作って遊びながら、エアメルはくつくつと笑う。
そしてどこか懐かしそうな表情で言葉を続ける。
「しっかし《澱み》なぞ、魔法使いや呪術使いたち、エルフやファロイドたちくらいしか、もはやまともに受け取らぬ言葉じゃて。人間同士の輪の中で暮らしておる者たちには、現実とは思われとらんじゃろう。それは遠く遠く、神の時代から続く歴史の産物なのじゃから、しかたなきことではあるがの」
「なんか、やばそうなものなのか?」
オレの言葉に、エアメルは深く息を吸い込み、吐き出す。
「危険じゃというのなら、その通りじゃ、髭のないドワーフよ……。《澱み》とは、おぞましいものじゃ。闇よりも濃く、深淵よりも深く、なにものよりも恐ろしい………御伽噺によればの、この善き世界に噴き出した、影、じゃよ」
「影?」
「そうさね。善きものが光ならば、それは影といえよう。……ふう、それじゃ、髭のないドワーフに一つ神の話を話してやろう。神の時代、光に満ち溢れた善き世界の時代をな」
吸い終えたパイプ草を継ぎ足しながら、エアメルはこの世のあらましを語り始める。
「それは、ファロイドたちが見つけ出した最後の巨人、ハウヌーアが遺した物語でな……」
今回はここまでとなります。
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