第153話「昇降機」
お目当てとなる第3縦坑は、それまで見て通り過ぎてきた縦坑とは明らかに違っていた。
閉鎖するものなど何もなかったし、下へ降りるための昇降機まで設置されている。穴はしっかりと拡げられ、今なおドワーフがそこで採掘仕事をしているのだと言われたら納得してしまいそうな説得力があった。たしかに滑車には錆が浮いていたし、縄もよく見れば古いものだと分かるが、それらの汚れ具合がより一層、この暗く閉塞した空間においては、使い古されているような雰囲気を感じさせるのだ。
土埃で汚れた木桶が、予備と思われる縄の束が、かつてここを掘り進めていたドワーフたちの存在を物語っている。その息吹と作業風景がふと頭に想像されてしまうくらいには、この縦坑はそれほどに手がかかっていて、人の指と手と足で作られたのだと意識させる。
数人のドワーフが装備を点検していた。肩紐を締め直す者、斧の柄にひびがないかを確認する者、そして昇降機の滑車に油を差す者。それぞれが静かに、だが確かな手つきで作業を進めていた。どこか張り詰めた空気があったが、それを口に出す者はいない。
「昇降機設備自体は油も差したし点検もばっちり。三人ずつ降りていく」
「じゃあ、親方が先導してくれ。オレは動きがとろいから親方の後でいいよ」
「分かった。先導する」
第一陣にはアイフェルと、二人が乗り込んだ。ドワーフが三人乗っても大丈夫らしい。
籠が滑車に引かれてゆっくりと縦坑の闇に吸い込まれていく。音もなく沈んでいくその様は、どこか底の知れない井戸を覗き込んでいるようで、見ているだけで背筋に冷たいものが這った。機械仕掛けで電気仕掛けのエレベーターなら何度も乗った経験があるのに、それとこれとは話が違うのだと実感する。
数分後、引き上げられてきた籠には何の異常もなかった。問題ないという合図が綱を引いて送られ、次の三人が乗り込む番となる。
オレと、荷物を背負った寡黙そうな樽のような体型のドワーフが籠に足を踏み入れた。昇降機は慎重に縄を巻き、再びゆっくりと下降を始めていく。
降下中、昇降機の内壁にしみついた黒ずみや、岩肌の裂け目から流れ出たのか固まった粘土質の筋が、時間の堆積を物語っていた。下からの風はない。湿気が籠の中にまとわりつき、じっとりと肌に張り付いてくる。
何も起きないまま終わるだろう――そう思っていた矢先。
岩壁が極僅かにに軋んだような音がした。
なんだと思ってオレが岩壁を見ると、すぐ昇降機が微かに揺れ始める。地震だ。
オレが地震だと分かったのは、地震があった国にいたからだ。一緒に乗ったドワーフは、目を見開いて驚き、手につるはしを構えていた。
「旦那、なにかに掴まれ。こいつは何か不味いぞ」
低い声がそれだけを告げる。足元で何かが身じろぎするような振動が、ゆっくり、確実に強くなっていく。
昇降機を支える縄が軋み、籠が壁にぶつかってガンガンと音を立てる。昇降機の設計許容範囲に揺れは入っているのかと、オレは膝をつき籠にしがみ付きながら考える。
地震がある時には机の下へというのは、日本の避難指示のものだ。ちょっとの揺れではそれもしない人さえいるが、それは建物が地震を想定した作りになっているからだ。地震のない地域などに、地震に耐える設計の建造物が発展して制度化されていることなど、ほとんどない。
そう思った次の瞬間、嫌な破砕音と共に視界が傾いた。籠が片側へがくんと沈み、重心がずれる。昇降機を支える柱のどこかが折れたかしたらしい。
寡黙なドワーフは迷いなく、横の壁へと身を投げた。岩肌につるはしを叩きつけ、それにしがみ付く。その動きは、年季の入った技術と経験が為せる業だ。
オレには、そこまでの余裕も年季も技術も経験も、ない。
「マジかよクソ―――!!」
さらにガクンと昇降機が沈み込む。斜めに酷く傾いた昇降機が岩肌にぶつかりガリガリと削りながら、少しずつ落下を始めていた。
「旦那こっちへ! 手を伸ばしてくだせえ!!」
つるはしにしがみ付いたドワーフが声を上げるが、それよりも先に上から破砕音が聞こえてくる方が早かった。
全体のバランスが崩れた昇降機は、抵抗なく下へと落ちていった。落下の感覚は何度経験してもこそばゆく、嫌なものだ。
辛うじて開けていた目に見えるのは、岩肌が上へ過ぎ去っていく様子だけ。すぐに上下の感覚が曖昧になり、周囲の闇が一層濃くなる。
途中途中で昇降機の籠が出っ張りにぶつかり、挟まりかけ、何度も減速してはどんどんと地底へと落ちていく。
意識は途切れなかった。
何度も身体を籠にぶつけていたから、気絶したりする暇もない。
そして、軟着陸とは言いがたい衝撃が走る。
昇降機の残骸ごと、どこかの底に辿り着いたのだ。
目の前にあるのは、暗闇だけだった。