第152「地下深くに潜むもの」
坑道の中はひんやりとしていると同時に、あちこちが水で濡れていた。
この世界にダンジョンというものがあるのなら、と何度か考えたことがあるが、この坑道はオレの想像よりも狭く暗く、冷たい。
人が二人すれ違うのも困難な道が、奥へ奥へと続いていて、時折思い出したかのように丈夫そうな木の枠組みやつっかえ棒のようなものが目に入ってくる。これが自然にできたものではないのは、壁や天井を見れば分かる。つるはしやさまざまな道具で、ドワーフたちが、あるいはゴブリンが掘ったのだと分かる箇所が、あちらこちらにあるのだ。これは自然に出来た道ではない。文字通り、汗と血によって開拓された道なのだ。
「あまり壁に触れないで。天井も気を付けて」
「分かった。こういうとこに入るのは初めてだから従うよ」
「………ドワーフとは思えない台詞」
「それでもドワーフなんだから仕方ないだろ」
アイフェルやドワーフたちの背中を追い、他愛のない話をしつつ、オレたちはずんずんと坑道を進んでいく。
そこを気を付けろ、あそこを気を付けろ、それには触るな、そこは踏むな、と合間合間に指差しで注意を受けながら、だが。
目的の第3縦坑は名前の通り、3番目の縦坑で、他にも2か所ほど縦坑が手前にあった。縦坑の掘られる場所はある程度のスペースが掘り抜かれており、そこに人が二人入れそうな穴が空いていた。井戸のような滑車と太いロープと、籠が無造作に散らばっている。穴は半ば木板で塞がれており、すぐ傍に置かれた石には《第1縦坑 閉鎖》と刻まれている。
閉鎖された第1縦坑の説明もなしに、アイフェルたちはさらに先へと進んでいく。ドワーフの掘削速度が人間の倍以上だったとしても、手勢のみでここまで掘っていったドングンたちの忍耐力と体力に、オレはすでに畏敬の念を抱き始めていた。金があると信じて掘り進んでいき、最初に掘った縦穴にそれがないと確信した時、きっと落胆の念もあったろうに、彼らはさらに奥へと掘り進んで、さらに縦に穴を掘っていったのだから。
冷たく音の響く山の中、十本の指と二本の腕、そしてさまざまな道具で掘り進められた坑道を、オレたちはさらに進んでいく。ざりがりっ、と細かな石や砂利を踏みしめながら、ところどころで染み出す水を目にしながら、ランタンの明かりを頼りに、オレを含めたドワーフたちは進んでいく。
ところどころで斜めに下りながら進んでいき、そしてまたある程度の開けたスペースに出て、閉ざされた穴と《第2縦坑 閉鎖》と刻まれた石を横目にして、さらに奥へ奥へと、言葉少なにドワーフたちは進んでいく。このまま地の底まで歩いて行けてしまうのではないかと、そう思えてしまうほどに長く、深く歩いたような気分になってくるほどに。
「……ドワーフは、どこまで深く掘れるんだ?」
ただ足音が響くだけの肌寒い坑道の空気から意識を引きはがすためにも、オレは先に進むドワーフたちに言葉を投げかける。
ドワーフと言えば山を掘り、そこに国を興す種族であるというのは、オレが生きていた世界の創作ではよく知られているところだが、ベルツァールにおけるドワーフが国王を擁した記録はロウワラに限られている。ドワーフとエルフにより選出された錬金のドグヌール、アイフェルの父、彼だけだ。ローザリンデの居るヴァーバリアも黄鉄山に牙砕のベルニーヌ王を擁しているが、そもそもベルツァール王国の国王に忠誠を誓うヴァーバリア王の臣下として、王を名乗るを許されているにとどまる。その点、ロウワラのドワーフ王は、都市国家ロウワラという一国の統治者として、直接ベルツァールの王冠に忠誠を誓っている。文字通り、位が違うのだ。
後にロウワラは知っての通り、ロウワラの獣によって壊滅している。彼らは採掘よりも、もっぱらノヴゴールから持ち帰った暗銀と呼ばれる素材の再現研究に重きを置いていたというから、オレの知っているドワーフの王国とは少し趣が違うのだ。
「どこまでっつったって、そりゃあ若旦那、どこまでもよ」
へっへっへ、と一番後ろを歩くドワーフがもじゃもじゃの髭面をくしゃっと緩ませながら言った。
丸太のように太い手足にでっぷりと張り出した太鼓腹の男で、身体を左右に揺らしながら歩く様が人形のようで面白い。
一言そう言って、彼はまた前を向いて歩き始めたので、オレはその太い背中に向かって声を投げかける。
「どこまでもって、文字通りのどこまでもか?」
「ああ、文字通り言葉通りのどこまでもさ。儂らドワーフは人が木を切るが如く、土と岩を掘るもんだ」
「なるほどな。そのイメージはオレが想像するドワーフそのまんまだ」
「若旦那は知らんでしょうがな、かつてはカルバチアの連なり山、あれが全部ドワーフのものだったこともある」
へっへっへ、と自慢げに笑いながら、彼は言葉を続ける。
「ベルツァールが興るずうっと昔、西と東、そして南にそれぞれ王国が栄え、三つの王国は中央の盆地にある人間の国と手を取り、よく繁栄したと儂らには伝わっとる。魔法国家に滅ぼされた古いベルツァールの王は、なんでもそこの人間の国の生き残りだっつう話もあるな。今じゃそんな話、子供に聞かせる御伽噺の類になってしまっとるが、儂らドワーフはそれを今でも信じとるのよ」
のっしのっしと歩きながら、夢のある話を語る彼に、オレは聞く。
「その三つの王国は、栄えた後にどうなったんだ? 今はもうないんだろ?」
「言い伝えと書物によればある日、東の王国と南の王国は、掘り出してはいかんものを掘り出した。そして……」
じゃり、と固い足音を響かせて、彼は足を止める。
眉間に皺を寄せて、怒っているような、悲しんでいるような顔をして、静かに言った。
「消えたんだ、若旦那。東と南のドワーフは、みんな消えちまった。残ったのは廃墟だけだ」
「……消えた?」
「儂の曽祖父は父からその目でしかと見たと言い伝えられた。東の王国と南の王国のドワーフは、皆、忽然と消えたとな。それ以来だ、儂らドワーフはどこまでも掘れるが、世の中には、掘り当ててはならぬものがある、と言われるようになったのはな」
「掘り当てては、ならぬもの」
それこそ、オレがよく知っているドワーフの国だ。
地底に潜む脅威、あるいは破滅。意志ある自然の如く国を滅ぼし民を焼く、そんな存在。
数々のファンタジー作品で、常にドワーフに災厄を齎す存在。地下深くには、そんな脅威がやはり居るのだ。
それが、この世界にもあると知って、オレはぞくりと悪寒を感じる。今、オレはその地下にいる。
「若旦那も気を付けなきゃならん。ドングンがもし、それを掘り当てていたとすれば、今から儂らはそれを見る羽目になるかもしれん」
であればゴブリンどもが死んだ理由もつくからな、と言って、彼はまたのっしのっしと歩き始める。
自分の領地でそんなものが掘り当てられたら、精神が摩耗しつくして休暇どころではないのだが、と思いつつ、一人取り残されぬようにオレもまた止まっていた足を動かして、さらに奥へ、地下へと進んでいく。
第3縦坑まで、あともう少し。