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第147話「渡鴉の文言」

 アイフェルとドワーフたちが飯と酒を飲み食いして再び採掘に戻ると、村は静かに日常を送り始める。

 誰もがルーティンと仕事がある。これをしなければ食っていけない、という直接的な理由が彼ら、彼女らの仕事にはある。

 そしてオレにもオレの仕事がある。というか、思った以上にやらなきゃならない仕事がいっぱいあった。今、オレの前にあるのはトマスが持ってきた羊皮紙の束、束、束。

 丸めてあるので重なっていないが、その束が机の上にごろごろと並べられている。すべてこの領地の引き継ぎや、この空白期間に溜まっていた嘆願書の類である。もちろん、領主になったオレはこれらすべてを確認しなければならない。しないとどうなるかは日本史の農民一揆とか、西洋史の農民反乱とか見ればちょっとは分かる。領主暇無しである。



「それでなんだっけか……これがザナと伐採業者からの嘆願書で、追加の人員と伐採用具が欲しいと」


「ザナは三年前から嘆願をずっとやってるんですよ。一部だけ削って書き直してるでしょう?」



 トマスが肩をすくめて言ったので確認してみると、たしかに器用に一部分だけが綺麗に削られそこに新しく文字を書いた痕跡があった。

 オレも経験があるのだが、ザナのこれはなかなか手が込んでいる。普通に削ってそのまま書くと文字が滲むのだが、ザナのはどうやったのは文字の滲みは最低限だ。遠目で見たらわからないかもしれない。



「年月のところと、領主の名前のところだな」


「そのうち月のあたりは穴でも空きそうですよ。ここじゃ人手は余ってないし、伐採用具も使えているから、他に金を使った方が良いです」


「それはあとで確認してみるから保留だな」



 そう言うとトマスが眉をひそめる。なんというか、表情を隠すのが下手な男だ。

 王都のとある貴族の三男坊で修道士になれと教会に入れられたが、嫌気が差してと言っていたわけだが、これだとどこでも苦労しそうだなとオレは思う。

 そういっても、当のオレ自身もそういうのが苦手で嘘がへたくそとよく言われるので、もしかするとご同類というべきなのかもしれないが。

 とりあえずザナの嘆願書を保留中の箱に放り込み、オレは次の嘆願書の処理をする。そうして半日ほど嘆願書や手紙の確認と返信の執筆、それからトマスから領地についての細かな状況や知っている限りの歴代領主の方針などを聞いた。他にも税収の内訳や他領主との関係性、オーロシオ子爵家の中でのモンパルプ勲功騎士とその領地の位置づけなどなど。

 こうしてしっかりと所謂、仕事の引継ぎをやって分かるのが、小さな領地経営というのは思ったよりも暇ではないということだ。よくよく考えたらモンパルプは旨味の薄い土地であり、抱えている領民も多くはない。領民のほとんどは肉体労働者であり、知識階級に属すると考えられるのは貴族の三男坊で教会で生活した経験のあるトマスと、建築学に明るいアンドレイ、それからエルフで長く生きているであろうザナなど、ほとんど従士隊の面々だ。それにしたって従士も従士で自分の勤めがあるため、勉学が捗っていない者もいる。

 


「うーん……」



 ガチガチに固まった肩をぐるっと回して解しながら、オレは地平線に沈みつつある夕陽を小さな居城から眺める。

 文字、算数、まったくもって初歩的で基礎的だと思っていることであっても、実際にそれを知らない人間に教え込むのは時間がかかるのはタウリカで学んだ。十七人の子供、男は少なく、覚えた先からさっさと学ぶことをやめて出て行ってしまう。この世界において将来的なキャリア形成などというのは絵に描いた餅でしかなく、大事なのは今ここにあって使えることなのだ。なにせ、この世界では子供も大人に混じって農作業や掃除や作業助手を務めている。学ぶ時間など、どうやって捻出できようか。



「そりゃ、みんな生きようとしてるわけだし、余る時間なんざないよなぁ……ないもんをあるだろうなんて、言えるわけがねえ」



 人が欲しい、時間が欲しい。南部戦役で心から思ったことを、今ここでもオレは思っている。

 人手があれば何かあった時に充てられる。人手があれば一つの作業をシフトで分けられる。人手があれば時間が作れる。

 時間は、頑張ったって踏ん張ったって力んだって、どうやっても生み出すことができない。故に黄金に並ぶ価値がある。常に上から下へ、砂時計の砂粒が落ち続けるように、それを戻そうとしたところでどうにもならない。時間を無駄にするだけだ。

 首から下げているモンパルプ勲功騎士の指輪を取り出し、そこに書かれている文言を再度読む。



『渡鴉は天を読む』



 これは、モンパルプ勲功騎士のモットーのようなものだが、実はこの文言には続きがある。

 トマス曰く、初代モンパルプ勲功騎士が遺したこれは、こう続く。




―――之は漆黒の翼を広げ風を読む

 

   之は黒玉オニクスの如き両目で大地を読む


   之は鋭き鉤爪で留まり翼を休め期を読む


   然り、すべてを読んだ之は述べる


   曰く「またとなし」と



 どう読んでもどう解釈しても良さそうな文だ。

 だがオレにはどうしても、この紋章の渡鴉が、常に誘惑をしているように読める。

 すべてを知り期を知り尽くしているが故に、甘言を一言述べ、人がどう動くのか見つめているように思えてならない。

 そう、≪澱み≫の連中のように、訳知り顔でにやにやと、こちらの動きを眺め、なにをしでかすのかを楽しんでいるようだ。



「……ダメだな、考え過ぎだ」



 指輪を懐に仕舞って、夕日が沈むのをじっと眺める。

 肌に当たる冷たい風の感触が身体の輪郭をなぞり、それでようやく飽和しそうな自分の形を認識し直すことができた。

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