第142話「騎士の居城」
モンパルプに着き、他の面々たちが荷卸しと職と住処の確保に移る中、オレは一人で村の奥にある騎士の居城へと向かった。
騎士の居城と書けばさぞや堅牢な城であろうと思われるが、ここまで見てきた通りモンパルプはそこまで豊かな所領ではなく、人よりも獣に対する城壁や櫓になっている。
居城も似たようなものだ。周囲を掘り返して堀を作り、掘り返した土で丘を作り、木の柵で覆って城壁として、そこに木石混合の四角い塔のようなものが立っている。塔と言うよりかは、掘っ立て小屋の下に木の塔が生えてきたような見た目だった。見た限り三階か四階建てで、最上部が戦闘用なのか一段ほど張り出している。跳ね上げ式の鎧戸が一面に二つ、合計で八つある。張り出しは下から覗くといくつか殺人孔と思わしき穴があるのが見え、これは四面すべてにおいて同様なようだった。敵が包囲して近づいてきたとき、ここから生石灰や石など、とにかく殺傷可能なものを下に投射するときに使うやつだ。
近づいていくと、塔それ自体の大きさが分かってきた。塔自体がちょっとした家ほどのサイズがあり、それが縦に伸びていた。よく見ると地上に入り口はなく、外付けの階段があってそれで二階部分から出入りするようだった。このまますぐに中に入るのももったいないので周囲をぐるっと一周すると、裏手には肥溜めがありその肥溜めの上には張り出しがあった。なんの張り出しかは肥溜めを見れば分かるだろう。あとは屋根付きの薪置き場があり、どさっと薪が山になっていた。
塔の壁はほとんど木製だが、なにか塗料が塗ってあった。触ってみるとざらざらとしていて、触感が木とはまた違う、なんだろうか。
「ああ、モルタルかこれ?」
まあたぶん石灰モルタルだろうな、と表側に戻りながらオレはぼんやりと考える。たしかに木造の建物に石灰モルタルを塗れば長持ちするだろうし、耐火性もあがるかもしれない。隙間を埋めればそれだけ気密性も高まるわけで、これからの竜眠季を考えると良いことだらけだ。欠点と言えば石灰を混ぜているため雨で劣化することだが、それも数年か、あるいはもっと長いスパンでモルタルを再度塗ってやればいい。これはすごい、とても考えられている。騎士の居城にしてはと思っていたが、伊達に城を名乗っていない。
と、そこまで考え込んでにやにやしながら階段を上っていたオレは、案の定ずるっと足を滑らせて半分ほど登った階段を勢いよく地面まで転がっていき、その音に気付いた居城の従士二人組が剣を抜いて飛び出してきたのだった。
―――
流石ドワーフといったところか、あんだけ派手に階段を転げ落ちてもたんこぶどころか打撲もない。
がっしりとした安楽椅子に腰を落ち着けながら、オレは湯気の立つカップをぐいっと呷る。たぶん、キノコ茶かなにかのようだ。
居城の中はしっかりとしていて、温かかった。推測した通り、木造の建物だが隙間などはモルタルで埋めるなど気を配った作りになっており、天井は低く武器を上段で構えづらい。この構えづらいという点が肝心で、構えられないこともないくらいの絶妙な高さなのだ。これに気づかず上段から剣を振り下ろそうものなら、天井の梁に切っ先が引っかかるようになっている。なぜわかるかと言えば、さっき二人に奇妙な目で見られながら自分で試してみたからだ。扉のほうもどれもが分厚い木製に鉄の補強が入ったもので、玄関扉などは閂まで頑丈そうだ。すごい感動する。
「しかし到着早々、あんな派手に転げ落ちるのは縁起が悪いですな」
そう言いながら暖炉の火を火かき棒でつついている長身痩躯の眼鏡男は、居城の従士の片割れトマスだ。居城では財務管理と帳簿管理、領地の出納の記録などをしているという。
もともとは王都のとある貴族の三男坊だったそうで、修道士になれと教会に入れられたがそこでの生活に嫌気がさし、質実剛健かつ実力主義と噂される北部に出向いてオーロシオ子爵に拾われたのだと、先ほどまで話していた。
教会で読み書きや簡単な算術は身に着け、特に浮いた話もなく放蕩に尽くすような性格でもないようで、それを買われたのだそうだ。
「竜眠季前は乾いてっけども、どごもかすこも乾いとるわけじゃねえべな。今日の星が悪かったんだべ」
強烈な訛りで喋るのは、ドワーフと見紛うほどの小さくどっしりとした髭面の老人だ。こちらは居城の従士の片割れアンドレイだ。居城の維持管理や増改築、村の防衛設備の設計と監督などを取り仕切る。
トマスの自分語りのついでで語られたアンドレイの経歴は割ととんでもないもので、今から四十年前に時の王ウィリアム四世にダース単位で雇用された建設技術者の一人であり、いわゆる技術将校とか工兵の類である。主に北部の小さな所領でその腕前を振るっていたが、ウィリアム四世の治世中期頃には数ある建設技術者たちの中からさらに才能がある人材が厳選され、また要塞建築事業も徐々に規模が小さくなっていったため、建築家として王都でいくつかの屋敷の建築に携わった後に現役を引退。王都の人間関係に疲れ果てていたので、療養も兼ねてこのモンパルプに引っ込んだのだとか。
「アンドレイと小生はこう言ってますがね、まあ気にはしないでくださいよ。今や小生らの主は、髭なしドワーフたるあなたなんですから」
「んだんだ」
トマスが自分とアンドレイの分の茶を入れ、アンドレイがこくこくと首を縦に振る。
なかなかに良い従士が揃っているなと思いつつ、オレは茶をぐっと飲みほして、聞かなければならないと思っていたことを口にする。
「なら領主らしいことを聞くとすっか。モンパルプの財務管理をしてるなら、この所領の財政状態も分かるよな?」
「な゛っがぁっ!?」
出来る限りにこやかにやんわりと聞いたはずなのだが、意味不明な声を挙げながらトマスの表情がピシリと凍り付き、錆びついたブリキ人形のように首だけがこちらにギギギと向けられる。
「はあ………、やっぱりかぁ……」
まあ、これもこっちに来るまでにたっぷりと考え込んで、そうかもしれないと思っていた仮説の一つだ。
モンパルプの立地から木材などを主な産業にしているのは察していたが、その財務状況を割り出すときに指標にしたのはオーロシオ子爵領の出費だ。オレが知っている中でオーロシオ子爵家は騎兵にもっとも金をつぎ込んでいて、それは武具や馬具や鎧、練度からしてもかなりのものになる。それでいてオーロシオ子爵家はこの夏から秋にかけて、二度も出兵している。一度目は合法私闘でタウリカに乗り込んだ時、そして二度目は南部諸侯救援の任を負った時。北部騎兵の突進力とひたむきな鋭さは、足を止めないことによって成し遂げられる。それはつまるところ、武具を使い捨てることも厭わないということだ。それを可能にする生産者を抱えているのは確実で、それに金を払っているのは当然だ。また、オレが見た北部騎兵の槍はすぐに折れ、修繕などは考えられていない。戦いの最中、投げ斧を死体から引き抜いたところも見たことがない。極端な例では、敵の身体に刺さり過ぎてしまったサーベルをそのまま手放した奴もいたほどだ。出兵の度に武具はほとんどが一から新調するようなものだろう。
そして、オーロシオ子爵領は〝澱み〟の魔女のミレアの浸透を許し、数十名の行方不明者と経済的な混乱を受けていた。スクルジオがぼやいていたが、操られ傀儡にされていた者は日記や帳簿など日々行っていた事もせずにいたため、この期間に生じた商取引や債務などの確認作業で当主のガルベルト騎子爵は毎日半泣き状態で書斎に軟禁されているという。特に債務は借金のことなので、確認が遅れると損が増える。ミレアが頼ませたであろう意味不明な物品については、契約不履行にすると後が怖いのでしかたなく、出来る限り値切る形で買い取り、しっかりと検めてから転売する形で損を無くそうとしているようだ。
「は、破産はしておりませんよ……?」
「しとったら打ち首だべ、こん阿呆ったれ」
おろおろと冷や汗をかき始めたトマスが引きつった顔で言えば、隣でどっしりと座りこんでいるアンドレイが無慈悲な言葉をそこにぶち込む。
良いコンビだなと思いつつも、オレは状況をどう解決するかを考えるためにトマスに言った。
「で、実際のところ何が問題なんだ?」
「………竜眠季のための貯蓄は確保できたんですが、が……」
「が?」
「ぃぇ……そのぅ、実は確保中に南部戦役が始まってどんどん価格が上がっていきまして……しかたなく、お金を借りました……」
「誰からいくら借りたんだ?」
「高利貸ではなくオーロシオ子爵のガルベルト卿の勧めで……その、小生はオーガルッヘ男爵家の会計から春頃までの返済を約束しまして……タウリカ銀貨四五枚と北部汎用銀貨のダムソン銀貨を一五〇枚です……」
単純な比較は難しいが、タウリカ銀貨はシェリダンのおやじと同じく大型の銀貨で質も安定していて高い。それが四五枚と、北部汎用銀貨のダムソン銀貨が一五〇枚なので無理やり日本円にこじつけると三七万円くらいだろうか。
「それを冬の間は伐採は出来ても出荷出来るのは丸太なわけで、出荷するにしても稼ぐなら王都バンフレートの市場に乗せなきゃでかい稼ぎにはならない。なのに、春までになんとかしなきゃならない、と?」
「申し訳ないですが、はい……樵はよく食べるしよく飲むので、村の自活分だけで冬越えはいろんな不和を招くんです……」
「金庫に金貨は仕舞ってないのか?」
「金貨は……ありますがないものと思っていただきたいのです。先々代も先代も自分の稼ぎを金貨にして、今は六枚のノールラント金貨が入っていますが……これを使うと釣りの都合でオーガルッヘ男爵家を困らせることになります」
「オーガルッヘ男爵家の当主は誰だったか。南部戦役で肩を並べた人らなら、オレから話を通すことも出来るかもしれない」
オレがそう言うとトマスは肩をすくめて、オーガルッヘ男爵家の当主の名前を口にした。
「通していただけるのが一番良い案なのですが、できますかね……オーガルッヘ男爵家現当主は、南部戦役にも参戦したあのモルドレッド・ボラン女男爵ですが……」
それを聞いたオレは、静かにふるふると首を横に振って答えとした。