第141話「責」
ベルツァール王国北部、オーロシオ子爵家所領、モンパルプ騎士領、モンパルプの村。
日本式の住所風に表すとそんな感じになるんだろうかと、道の脇にこの先がモンパルプ所領であることを示す石碑を見ながらおれはそんなことを考えていた。
モンパルプは北部盆地の中央に位置するオーロシオ子爵領の外れ、北部所領の北側に連なる山々の麓にある。タウリカで見た山もその一つで、タウリカはその麓まで森を切り開いて発展した過去がある。
一方で、モンパルプは森の中にある。背に山を、周囲を森に囲まれた小さな領地だ。村を中心に小規模な伐採場がいくつか存在し、北部領に木材を供給している。意外なことだが、竜眠季には伐採場は繁忙期となり、樵たちは伐採場で生活をする。積もった雪を踏み固めて道を作ることで、木材の搬入が容易になる上、丸太に砂や泥が付着しづらい冬は、他の時期よりも遥かに効率と質が良くなるのだそうだ。樵たちは春夏などは兼業で畑も見なくてはならないから、年中休みはない。
冬越えの食料はオーロシオ子爵との木材と食糧の物々交換が長らく続いていて、樵たちが使う斧や鋸などもその都度、領主であるモンパルプの騎士から子爵に訴状が送られ、子爵はそれを供給する。なお、樵たちからの訴えを騎士が聞き、それに応じて書類としての訴状を作成して、という工程がある事は無視できない。なんたってそれがこれからのオレの仕事だからだ。訴えを無視した場合は恐らく、一揆じみたことになるのだろうし。
「わたしは斧と鋸と馬の蹄鉄で仕事ができる。コウは領主。ルールーは………なんで来たんだろ」
「親方、辛辣過ぎ」
少しばかり表情を緩めるアイフェルを横に、オレは辛辣なルールー評を聞いて苦笑する。
まあ、これもこの二人の悪友染みた付き合いがあればこそで、ルールーも否定するわけじゃないのが大事なところだ。
この辛辣な悪口はルールーの人をしっかりと知った上での発言なのだから。
「それに、ルールーは治すより壊す方が得意」
「いやまあ、それは身に染みて理解してっけどさ」
そんな言葉のやり取りをしている中、ルールーはいまだに爆睡していた。
もしやこれはこのままルールーが爆睡したままモンパルプ入りするのではと危惧していると、馬の嘶きと共に馬車が止まった。
何事かと思った矢先、護衛のドワーフたち二人がドスドスと前へ行き、周囲を囲む。それと同時に声が響いた。
「これよりはモンパルプの主たる勲功騎士の所領である。この車列は何用か?」
急いで馬車を降りて怯える御者を横目に歩けば、鴉の紋章を身に着けた男が三人、剣に手をかけてこちらを睨みつけていた。
杖をついて現れたオレを見てその三人の男の先頭に立つ禿頭が、こちらにぎろっと睨みつける。
「我が主の勲功騎士の知り合いか?」
「………ああ、知ってた。彼は死んだ。あまりいい出会いじゃなかったな」
「その者の、なにを知っている?」
ざりり、と男たちが腰を低くして地に足をしかとつける。その動きに護衛のドワーフたちが飛び掛かりそうな気がしたので、オレは杖を真横に上げてなにもするなと制した。
なにを知っている、ときたかとオレは苦笑したくなった。なにも知らない。ただオレとその騎士は、理不尽なめぐり合わせで戦うことになり、まともな言葉も交わすことなく殺し合った。
モンパルプを与えられた勲功騎士がどんな人柄で、あの戦場のどこでなにをして、どう死んだかをオレは知らない。知っているのは、あそこで死んだという事は、つまりオレが殺したも同然ということくらいなものだ。
なにも知らない、と答えそうになった時、オレはふと、騎兵突撃の矢面に立ったあの恐怖の瞬間を思い出し、引き金を引いた時の感触と、銃の反動と、硝煙の匂いを思い出す。
―――いや、ただ一つ、オレはあの騎士たちのことをよく知っている。スクルジオから与えられた指輪を掲げながら、言った。
「……傀儡となっても変わらぬ勇敢さ。澱まず、たじろがず、人馬一体となって駆ける勇敢さ。それだけをオレは知っている。だが彼は、もういない」
禿頭の男がぐっと顎を引き、左右の二人に目配せをする。三人は頷き合い、三人がオレを見た。
その目の光は、先ほどとは違う光が宿っているように見えた。
三人はすっと重心を平常なものに直して、剣から手を放し、首を深く垂れ、言った。
「―――どうぞお通りください、我が主」
馬車が再び、モンパルプへと進んでいく。
―――
モンパルプの村は、小さかった。獣返しのついた丸太の柵に囲われたその村は、タウリカや南部の所領の中心地と比べるとたしかにあらゆる面で小さかった。
柵の高さも高いところで二メートルほどで、物見櫓は屋根こそあるが手摺や壁などがない簡素なものだ。鉄はほとんど用いられず、木材がほとんど、それ以外は石材で作られている。
堀もなく、堀がないため橋もない。城門も丸太材で作られたもので、ちょうどオレの目の高さあたりに錆びた鉄蓋がある。たぶん覗き穴だろう。
「この村だけで人はどれくらいいるんだ?」
残りの二人が城門を開けるように指示を出している中、禿頭の男にオレは聞いた。
彼はモンパルプの勲功騎士三人に仕えてきた従士であり、今は従士長を務めている。モンパルプの従士団は最近欠員が出たそうだが、今は全員で七名おり、従士長とその補佐二人を含めた三人、樵上がりの一人、農民兼任の一名、勲功騎士の居城で雑務と総務を務める二名がいるらしい。もちろん、今回モンパルプの勲功騎士がオレに代替わりしたことによって契約の打ち切りや新規雇用も可能なわけだが、禿頭の従士長は口元を緩めながら「おすすめはできませんがね」と言っていた。意味深すぎて怖かった。
そんな従士長が、顎を触りながらうーんと唸り、少し考えた後に言った。
「数は専門外ですが、まあ指の数よりゃ家族がおりますな。家の畑を老人と子供が育て、女は掃除洗濯に赤子の面倒、男どもはほとんどが樵に出て今は村にはおりません」
「それで従士に樵一、農民一って割り当てか。それでどっちもまとめているのか」
「所領自体はそれなりですがね、人の数と村の大きさはそこまでじゃないんで。――でもまあ、ありがたいですよ。家畜にドワーフと、手土産まで」
「その分だと、竜眠前の備蓄はしっかりと貯められたんだな? そこが一番気になってたところなんだ」
「つい数日前に大鋸屑の出荷をした連中が、最後の詰めをしたばかりです。魔法使いの方に鼠除けでもやらせてもらえればいいんですが」
そうは言ってもやってくれんだろうな、という口調だったので、オレはにっと笑いながら言ってやった。
「ルールー・オー・サームのお人よしっぷりは異常だから安心して良い。やってくれなきゃ飯抜きって言えば、やるさ」
「そりゃあ……ありがたいこって?」
「金勘定は居城の二人に聞けばいいか」
「ええ、それで間違いありません。樵と畑の従士も、それぞれ頭領をしてますから、気になったら聞いてくだせえ」
「分かった。竜眠の深さ次第だが、誰も死なないように頑張ってみるよ」
「あまり気負わずに、我が主。寿命ってものは尽きるもんです。神の思し召しは誰であっても避けられねえ」
「……まあ、な」
ここでは死もまた天からの授かりものらしい。
何十もの死体を眺めてきてからそう聞くと、なら神ってやつはなぜそんなことをするのか、と思ってしまう。
ただ、思ったところで自分の中の声が否定する。神がやったんじゃない、オレがやったんだと。なにも神を信じないわけじゃない。いてくれたほうが助かることもある。だが、オレのやったことはオレのやったことだ。オレの荷物は、オレが持つべきだ。
門が開いた。モンパルプの村は構造こそ単純だが、なにに備えているのかよく分かる作りになっている。獣返しに壁のない吹き曝しの櫓、人よりも獣を相手に建てられているように思える。正面は二重構造になっている。正規の城門外に、防御用の城門を二重にかけ、その周囲を半円形に壁で囲っている。この構造で何をしたいかは分かりやすい。最初の扉を開けてなにかがあっても、村は守られるし戦いまでの猶予が出来る。簡素だし万能でもないが、悪いつくりでもない。
オレが壁や門などにうつつをぬかしているうちに、背後の門は閉じられ、正門が開く。正門から出てきたのは、線の細い茶色い頭巾を被った人物だった。なぜだか、護衛のドワーフ連中が息を呑む音が聞こえた。
「ヘルマン、荷卸しが来る予定はないぞ」
「これは新しき領主の車列だ、ザナ。指輪を持っている」
「ドワーフが領主? なにをバカなことを」
「スクルジオ卿の任命だ。お前に権利はない。従士でありたくば―――」
「分かってる。人間に指摘されるほどザナは愚かではない」
はあ、とため息をつく頭巾姿の人物のザナに、まったくと言わんばかりに深くため息をつく禿頭の従士長、ヘルマン。
ドワーフたちが目元をぴきぴきさせてブチギレそうになっているが、ザナはそれを気にするでもなく、茶色い頭巾を掻き上げ素顔を見せる。
金糸のような色合いをした艶やかに輝く金髪と、蜂蜜を溶かし込んだような白い肌と、尖った耳。大理石を掘って石像に遺したいと思えるほどに端麗な顔立ちは、女のエルフで間違いない。ドワーフたちが態度を硬化させるわけだ。
「樵たちの頭領と従士を務めているザナだ。見ての通り、エルフだ」
「タウリカの……いや、この度、勲功により所領を与えられたモンパルプの髭なしドワーフ、コウだ。よろしく頼む」
「従士契約が切れぬ限り、ザナは命に忠実であろう。だが、ザナたち従士も無為に従うわけではない」
ヘルマンたちと同じように深く首を垂れたザナが、すっと背筋を戻しながらオレをじっと見つめる。
「お前は先代を殺したと聞いている。ザナたちはそう都合よく忘れる阿呆ではない。努々それを忘れるな、新参者」
「ザナ!!」
「いや、いいんだ従士長。他のみんなもそう怒ることはないからさ、ちょっと肩の力を抜いてくれよ。オレが疲れちゃう」
激昂するヘルマンの背中を杖で小突いてそれ以上の発言を止めつつ、オレは肩をすくめて苦笑しながら言う。
「いいんだ。なんであれ殺したようなもんなんだから、その責任は背負わなきゃな」
責任、責務、―――まったくどうして、日本人と言うのはこの言葉に責めるなんてろくでもない字を当てたのやら。
ただ少し、ちょっとだけ、今ならその字を当てた意味が分かる気がする。美徳と呼ぶには苦痛に過ぎる。どこかに捨てたいくらいだ。
でも、これを捨ててへらへらしていられるほど俺の面は厚くない。昔から、思ってもいない嘘は苦手だ。嘘は少しでも真実が混じってなきゃ、真実味がない。
「オレは、恨まれていいんだ」
嘘ではない。少なくとも真実は混じっている。恨まれたくはないが、恨まれるべきだと思うからだ。
なぜかドワーフの連中が凄い顔をして呻いてザナを睨んでいるが、爆発しないでくれるとすごい助かる。というか、爆発させないために言ったのに逆効果だったかしらん。
苦笑いに空元気が混じりそうになった時、ザナはまた「はあ」とため息をつきながらやっと肩から力を抜いてくれた。
「……我が主、恨むことと認めることは同時に出来るものだ。ドワーフの癖に、そんな顔をするな。ザナもみんなも困る」
そうして、金糸のような髪をふぁさっと広げ振り返り、こちらを見ることなく背で語った。
「我が主、ここがモンパルプだ。ザナとみんなは、お前に良き治世を期待する」
おうよ、とオレは気軽に応じる。
車列はついにモンパルプの中心地へ入っていった。