第139話「とあるエルフの死」
渡鴉は天を読む
之は漆黒の翼を広げ風を読む
之は黒玉の如き両目で大地を読む
之は鋭き鉤爪で留まり翼を休め期を読む
然り、すべてを読んだ之は述べる
曰く「またとなし」と
―――モンパルプ領騎士の詩
エルフの寿命は、およそ二千年だと魔法使いたちは言う。
が、エルフたちからすればそれは偏見だ。そもそも、二千年の時を生きるエルフは存在しない。エルフの詩に歌われる白銀の女王は齢一四〇〇に高貴なる同胞を連れて船出したと伝えられているが、エルフでさえその実在を証明できていない。エルフたちの肌感覚で言えばおそらく千年かそこらが限界なのではないか、と思われている。思われていると濁すのは、なにも死んだエルフがいないからではない。ここ最近で死んだエルフは、皆、この世界に殺されたのだ。
この世界で野犬や狼に襲われて食い殺されることは珍しいことではない。危険な夜道を行くだけの理由を持って夜道を行った末路が、それというだけだ。強盗にあって殺されることや、馬に蹴られて死ぬことや、馬車に轢かれて死ぬことと大差はない。ただ、全くの偶然と不運によってそうなるのではなく、十分に武装し備え徒党を組めば避けられたというだけのこと。そこが野犬や狼の縄張りであることなど、その地に住んでいない者には分からない。知らずに死地に迷い込み、死んだ。ただ、それだけのことだ。
「………だからと言って、お前がそうなることはなかっただろうに」
葉の舞う森の中、綺麗に腸まで貪り食われた人間の死体の傍らに膝をつきながら、彼女は知らずのうちに零していた。
茶色に染めた羊毛の頭巾とケープ、皮の手甲と脛当てに、緑色のシャツとズボン。頭巾から覗くのは金糸のような色合いをした艶やかに輝く金髪と、蜂蜜を溶かし込んだような白い肌と、尖った耳。大理石を掘って石像に遺したいと思えるほどに端麗な顔立ちは、女のエルフで間違いない。男であれ女であれ、エルフとはそういうものだ。この種族はまるで最初から完成していたかのように美しい。
彼女はザナと言った。そして、彼女の目の前で文字通り四方に両手両足を投げ出し、天に向かって肋骨を突き出している男のエルフだったものは、かつてショアラといった。抵抗の後はなかった。ただ、相当な苦痛であったことだけはショアラの死に顔を見れば分かった。人間ならまだしも、エルフであればただの野犬や狼などナイフの一本もあればなんてことはなかったはずだ。ショアラは、かつての主であり友であった男から賜った重厚な短剣を帯びたままだった。
つまり彼は、自らこの惨たらしい死に方を選んだのだ。
「ザナは悲しいぞ、ショアラ。これでこの土地に残ったエルフはザナ一人になってしまった」
ぽつりぽつりと死体に語り掛けるザナの声音は、しっかりとしていた。誰かがそれを聞いても悲しんでいるようには思えなかっただろう。
しかし、彼女は悲しんでいた。唯一無二とも言える最後の同胞が、惨たらしい自死を自ら選んだのだから当然だ。主君に捧ぐ殉死と言えば聞こえはいいが、残される身からすれば自死は自死以外のなんでもない。
ふう、と彼女は息を吐く。腰の小袋から持っていた種子をショアラだったものにパラパラと蒔く。もう竜眠期だ、竜すら眠る寒い季節だ。この種はきっと芽吹かないだろう。けれども、そうしなければならなかった。そうするべきだとザナは確信していた。こうすることが、この土地の掟だった。死は次なる生に巡り、循環し、回る。そうして死を弔うのが、この土地のエルフの掟だった。
「そうか……これをするのも、最後になるのか」
ザナは何度も何度も、こうして死を弔ってきた。世界に殺されたこの土地のエルフの数だけ、種を撒いては死を弔った。
どれだけ領主が気高く勇敢であっても、どれだけ主が優しかろうと親しかろうと、世界に殺されるエルフはいるものだ。だから、それを無意味にしないためにも弔い続けてきた。
だがそれも最後の一人となったこの時をもって、終わりを迎える。もう、こうして弔う相手はいない。みんな、死んでしまった。この世界に殺されてしまった。
「ショアラは、逝ってしまいましたか」
ぽつりと呟かれる声は、ザナの背に向けられたものだった。
黒髪と黒い猫耳と尻尾、半獣人の少女は尻尾を力なく下げて目を伏せていた。
「ああ、ヨル。逝ってしまったよ」
「主も悲しみます、ショアラには良くしてもらいましたから」
「ヨルも、北夷の恵み手も、祈ってくれると助かる。ショアラの死出の船旅を」
「しかと主にお伝えます。では、私はこのことを皆に伝えてきます」
「頼む、ヨル。ザナは……こういうのを話すのは、苦手だ」
わかりました、と答えてヨルは森へと消えていった。
ザナは、一人祈り、弔うためにただひたすらに祈った。
もうそれしかできない。いかにエルフが強くとも、不老であっても、死を超えることなどできはしないからだ。
「……良い船旅を、ショアラ。ザナは帰るよ」
白銀の女王と高貴なる同胞たちの元へ、ショアラが導かれるように祈りながら、ザナは立ち上がり、踵を返す。
「―――ザナの、みんなのモンパルプが待ってるんだ」
彼女は、ぽつりと呟く。
死者はなにも言わず、躯を晒すだけだった。
ちびちびと書いていきます。読者の応援が作者にとって最上の栄養剤になります。
感想、ツッコミ、キャラクター推しの報告、このキャラの描写を増やしてほしい増やせこの野郎などの声、心よりお待ちしております!!
感想が増えても返信いたしますので、よろしくお願いいたします。