第12話「先生、やっぱり教育は重要です(いろんな意味で)」
さて、時は流れてオレこと『コウ』がこの世界に来て早くも半年が経った。
異世界転生ものだから一年以内にオレは国を、そして世界を救う展開があるかもしれないとちょっとは思っていたけれど、時間と言うのは冷静に淡々と刻まれていくのだ。
昼、いつものようにオレは鍋と青銅貨を握り締め、町を貫く一本の主道に出る。
ゆっくりとした歩調で進むキャラバンの馬車や単騎で旅をする異国人たちを避け、町行く人に挨拶されては挨拶を返し、いつもの飯屋へ駆けて行く。
そんな一瞬でも、オレが今まで想像でしか得られなかった光景があちこちに見られるのだ。
北部へ向かうキャラバンの馬車に、ちっちゃなファロイドたちが無垢な笑顔で楽器を手に飛び乗っては、軽装の冒険者らしい男が宿の前のフリースペースで煙草を吸いながら鎖帷子の修理をし、宿屋の女店主があの手この手でキャラバンを宿に泊めようと嘘八百を笑顔で並び立てている。
主道は、タウリカの属する『ベルツァール王国』の『王都バンフレート』から、北部の『属州ノヴゴール』へ向かう交易ルートになっているため、朝から昼にかけては混雑している。
夕方から夜にかけては、夜間行軍の危険があるためほとんどの人はタウリカで宿を取って陽が出るのを待つ。
ここから先にあるのは、長く険しい山道と、北部諸侯主導で峠に設けられた検問所、荒涼たる北部の道だ。
いつかオレもあの道の先へ冒険に行きたいなと、オレは思っていた。
退屈な日常を過ごしているオレの目の前で、遥かな冒険の夢を語る冒険者のほとんどはノヴゴールへ行くキャラバンに同乗してタウリカを去っていく。
オレは取り残されていると強く感じた。
だからオレは決意したのだ。装備と技能が整ったら、いつかあのキャラバンの一つに雇い入れてもらうと。
それが今のところの、オレの夢だ。
夢の数はいくつあっても、困ることなんてないのだ。
「親父ー、飯買いに来たぞー」
「おおうアイフェルの御弟子さんじゃねえかい。へいへい、いつものね」
そんなこんなの風景を見ながら、オレはもう常連となっている飯屋の裏の窓から厨房に顔をつっこんで、そこで料理をしている禿頭の中年親父に声をかける。
昼時で忙しいからか、厨房は暑く、禿頭の親父が茹ダコみたいに真っ赤になっているのがおもしろい。この禿親父もアイフェルと同じくタウリカで代々飯屋をやってきた家柄だ。
「いつもの肉だんご入りの粥をいつもの量。あと肉だんごは羊じゃないやつ」
「はっはっは。アイフェルが肉だんごを食って羊肉だと知ったときの顔が見てみたかったね!」
「はっはっは。いいかクソタコ親父、今度羊入れたらオレがあんたを殺す」
「おうおう、怖い怖い。ドワーフのお坊ちゃんが言うようになったもんだ。アイフェルの奴、毎日毎日雑用ばっかり押し付けてるもんで、そろそろお前も根をあげてあのルールーに泣き付くんじゃないかと愚痴っておったってのにのう」
「誰が音を上げるか。つか雑用ばっか押し付けてる自覚あったのかあの鉄仮面……」
「真面目で真摯、ここらで良い人といったらルールーってくらいには名が知れておるからなぁ。半年前だったか、コウがタウリカに来たのはよ。あの時は、お前みたいなお坊ちゃまはルールーの母性にあてられて、まんまー、とか言うんじゃないかと最初は笑い話になってたんだが、よくまあ、ここまで育ったもんだ」
背ばっかりは伸びなかったがな、とゲラゲラ下品に笑いながら、禿親父はオレが持ってきた鍋に肉だんご入りの麦粥をたっぷり注ぐ。
タウリカでは『属州ノヴゴール』からの羊類のものが輸入されているため、ここでは羊肉も食べることが出来るが、基本的に主力は豚肉だ。
今はまだ赤身の新鮮な豚肉を煮て、スープにぶち込んでくれたりもするが、時折豚の搬送が滞って塩漬け肉や干し肉になることもある。
それはそれで塩味がきいていてなかなかうまいのだが、アイフェルはそれよりも豚肉の肉だんごが好きなのだそうだ。
疲れた身体が麦粥の匂いの中に仄かに混じる肉汁の匂いに吊られ、胃袋がぎゅるるるっと泣き声をあげる。
オレはちょっと恥ずかしくなって腹を押さえるが、禿親父は昔話に夢中でそもそも気付いていなかった。
「ルールーやらアイフェルの胸もお前の背も、ちったぁ成長すりゃタウリカも安泰なんだがなぁ。領主様の娘っ子みたいにでかすぎるってのも悩みもんっちゃ悩みもんじゃが」
「オレはドワーフだしこれ以上伸びないってアイフェルが言ってたぞ。つかそれ以上伸びたら無理矢理縮めるってさ。んで、これから先、伸びるのは髪と髭と年季だけだって」
「バカお前、お前の背なんかよりアイフェルやルールーの胸のがよっぽどアレだバカ。そっちを話題にしろ。つかお前半年だぞ、半年もルールーさんと同じ屋根の下で過ごして揉みもしなかったってのか、えぇ?」
「う、うるる、うっせーよ! 飯入れたならさっさと鍋返せよ! ってかお前、あとお釣り出せよ!! おい、チップ余計にとってんじゃねえよ!!」
「目ざといやっちゃなぁ。わぁーったから唾飛ばすない! ほらもってけ!」
がっしりと重くなった鍋を手に、それとお釣りを腰から下げた袋に放り込み、オレは飯屋から再び蹄鉄屋への道のりを出前サービスのありがたみを身に染みて感じながら歩く。
蹄鉄屋に戻って机に鍋を置いて、炉の前でのんびりパイプ草を吸っているアイフェルに飯の準備ができたことを知らせると、無表情の銀髪ツインテロリっ娘はのっそりと腰をあげる。
飯だ。無骨な机に向かい合って座り、二人のドワーフが無言で食事する。
日本で食ってきた飯がどれほど恵まれていたのか、オレは飯の度に考えてきた。
食品添加物、好き勝手使える香辛料、ありとあらゆる味付けの品々。
値段もそこそこにあれら調味料が使えた二十一世紀は、今のオレからすればありえない夢物語のようにも見える。
美食がどれほどの贅沢なのか、それを語るのは野暮ってもんだろう。
中世期は新鮮なものは腐る前に消費しつくさなければならなかったし、保存方法も調理方法も、地方においては未発達といっても過言ではない。
塩や酢は調味料以外にも多くの使用方法があるし、胡椒などの香辛料は二十一世紀みたいに好きなだけ使えるわけではないのである。
ここでも、そうした様相はあまり変わらない。
貴族は文字通り雲の上の存在としても、下々の食事はやはりありふれた食材を鍋にぶちこんでスープにし、保存のきく固い麦パンを主食にする。
唯一、豚だけは必要数を屠れば肉が確保できるため輸送が順調ならば安定して供給されているが、それも狼や野盗の標的になることもあり、完璧ではない。
豚を屠るのにも労力がいるし、血抜きをして解体して云々かんぬんという手順がある。
やはりというべきか、冒険者向けの簡単な依頼の中にはこういう屠殺業の手伝いがよくあるのだとか。
もちろん人気はなく、馬鹿正直に受けた冒険者は無抵抗な豚を殺しに行った奴として記憶されてしまうとか。
そういう差別は二十一世紀でも残っていたし、ここでもあるのは当然か、とオレは思ったものだった。
と、そんな話はおいといて、労働で疲れた体に肉汁の染みた食い物はなんであれ美味しい。
見た目はごちゃまぜで汚いが、肉だんごを潰して麦粥と混ぜ込むと肉の味が全体に広がってグッド。
肉汁がしっかりと全体に染み渡ったところで、冷めないうちに口にかっ込む。
「コウ」
「ふぁい親方?」
唐突にアイフェルがぽつりと言う。
オレは反射的に答える。
口の中に食物をつけたままの応答なので発音がおかしいが、目の前の無表情ロリは気にも留めない。
「今から夕方まではわたし一人でいい。コウは、ちょっとルールーの手伝いしに行って。あと来週から仕事は週三でいいから。……コウは、算数と文字ができる。なんでかは知らないけど、教養もある」
「ふぁ……んくっ、はい?」
「まあ、うん。ルールーと話し合って決めたんだけど、早い話、コウは真面目で人も出来てる。だから算数と文字をここの子供らに教える先生をやれ、ってこと」
「え、それルールーがやれば―――」
「ルールー曰く、魔法協会は副職禁止だって話」
「えっ」
親方それは嘘だ。
ルールーは働いたら負けだと思ってるだけのハイウィザードなハイニートなだけだ。
「は、はぁ……」
「というわけで、コウ。こっちはたまに顔見せるくらいでいい。……折角、学があるんだから、それを生かす仕事をやってきたら?」
「は、はい」
肉汁が染み渡った粥を啜りながら学校の先生に自分がなるところを考えてみる。
日本の先生でのイメージははっきり言ってオレには向いてないんだが、と思いながらも、オレは考えを巡らすのだった。