第138話「ホーム・スウィート・ホーム」
ベルツァール王国とリンド連合の撤兵処理と戦後処理は、その戦いの有様とは違い静かに粛々と進んでいった。
戦地に散らばった遺体の回収と埋葬はトリーツ帯剣騎士団が治療と休息を挟みながら行い、またリンド連合側も選抜された三〇〇名が遺体の引き取り、または埋葬と識別のために現地に残った。
先の戦いで左目と左耳に傷を負ったトリーツ帯剣騎士団の団長、ジークムント・フォン・カタリアは血が滲む包帯を頭に巻き、隻眼の髭面でにっこりと笑って、
「死出の旅路で路頭に迷い、朽ち果てるのは兵の死に様あらず、ですからな」
と言った。彼と言い騎士修道士たちといい、いったいどこからその体力と気力が出てくるのか分からない。あれだけの戦いで、二度も先鋒を務めたというのに、彼らはまだ働こうとしているのだ。ジークムントだけではなく、騎士修道士たちさえもがそれが正しいことだと、死者に対する弔いと埋葬は行わなければならない儀式だと認識している。宗教的な信仰心が正しい道徳と倫理に作用した例を目の前にして、オレはただただ尊敬することしかできなかった。オレはもう疲れ果てていて、与えられた部屋に戻る気力も体力もなく、そこら辺に転がっていたちょうどいいサイズの石の上に座って戦後処理をぼけっと眺めている。
南部諸侯たちも次々と帰っていく。ここペルレプや三叉路などはカリム城伯の所領の端だが、他の領主たちには自分の所領がある。今回の戦役で主な戦場、占領地となったのはそのほとんどがアレクサンダル・マクドニル、つまりマクドニル子爵の所領であり、ヴォスパー子爵の所領もまた一部が占領地となった。マクドニル子爵の所領に対する経済的な補填は急務で、ヴォスパー子爵もまた所領の受けた被害の実情把握の後にそうする必要がある。当然、南部諸侯連合だけでそれをやれというわけではない。締結された条約は履行されなければならないし、守らなければならない。
帰路に就く南部諸侯たちの反応は様々だ。トリトラン伯爵のローベック・トリトランは重圧から解放され、極度の疲労と心労もあって、
「すぐに、所領へ帰還するように」
と言って、そのままその場に倒れて寝入ってしまったという。
憑き物が取れたかのような寝顔を見て旗下の騎士たちは笑いながら帰り支度を初め、今、オレの目の前をぞろぞろと列をなしていた。石の上に座ってぼけっとしているオレを見ると、馬上の騎士や兵たちは皆、右手を胸に当て首を下げる。いわゆる、敬礼だった。オレはもう一人一人に同じ敬礼を返せるほど元気ではなかったので、くたびれたおっさんがやってるフランス式敬礼みたいなのをずーっとやって返礼とした。彼らがこれを返礼だと思ってくれればいいんだが。
「おぉ……髭なしのドワーフ、此度はなんとお礼を言えばいいか……」
よろよろとした足取りで騎士に支えられながらやって来た御仁を、オレは最初誰だか認識できずにたじろいだ。
彼は鎖帷子と鎧が擦れ合う音をさせながら着衣が泥で汚れるのも構わずオレの前で跪いて、力強く抱擁してきた。その時になってオレは彼が誰だったかを確信して、その背中に手を回した。彼はオレがこの地に来たとき怒れる老人だったアレクサンダル・マクドニル子爵だった。怒りと心労でこの老人の活力のほとんどは燃え尽きてしまったのかもしれないと思えるほどの疲弊ぶりは、その顔つきと風格すらも変えてしまったのだ。
「貴君のおかげで、儂は家の名を汚さずに済んだ……先祖代々受け継いできた所領と民と城を、取り戻すことができた……ありがとう、ありがとう……」
怒声と怒気をまき散らしていた老人が、今やオレを抱擁しながらしきりに感謝の言葉を述べ、ぽろぽろと涙を流して鼻をすすっている状況にオレは固まる。
思考回路が数秒ほどフリーズしたが、マクドニル子爵の肩越しに見える騎士たちの真剣で悲し気な表情を見て、ハッとした。オレが知っているマクドニル子爵はこういうことをするキャラではないが、長年この老人に仕えた騎士すらもいつものマクドニル子爵ではないと感じている。
騎士たちのその表情は、沈痛だった。この老人から奪われた活力は、永遠に、最期の時まできっと戻ることはないのだろうと騎士たちは確信しているようだった。
「………そこまでマクドニル子爵が喜んでいただけたのなら、オレの策の下で死んだ兵たちも浮かばれます」
「そうか……この老い耄れでも役に立てて嬉しいわい。北方の騎士よ、髭なしのドワーフよ。なにか困ったことがあったら、なんでも申すが好い。このアレクサンダル・マクドニル、我が忠誠に掛けて助けとなろうぞ」
「騎士の身分の我が身には勿体なきお言葉です、子爵。けれども、なにか困ったことがあったら、早馬を出します」
「うむうむ。アレクサンダルは我が子、我が孫のように貴君を大事に思おう」
よろよろと危なっかし気に立ち上がるマクドニル子爵を、騎士たちが両脇を抱えて歩かせていく。
数人の騎士たちがマクドニル子爵を介護しつつ馬車へ乗せるのを眺めていると、一人の騎士がオレの前で足を止めた。マクドニル子爵家の紋章が描かれたサー・コートを身に纏った、浅黒い肌の壮齢の騎士だ。彼は静かに言った。
「アレクサンダル様は活力を使い果たしてしまった。もう、長くはない。北方の騎士よ、その時が来たら、御呼びしてもよろしいか?」
「……ああ、是非呼んでくれ。這ってでも行くさ」
「ご厚意、感謝する。変わらぬ幸運と祝福が貴公にあらんことを」
剣に手にした右手を胸に当て、騎士は敬礼をした。オレは杖をついて立ち上がり、彼と同じように返礼をする。
そうして遠ざかっていくマクドニル子爵の隊列は、オレの目には葬列かなにかのように見えてしまった。先祖代々受け継いできた土地、民、城、そして家名。それを守れたことを老人は涙を流して喜んだ。けれども、その老人は身体の中にある活力を使い果たし、燃やし尽くし、奮闘してしまったが故に生い先が長くはないのだ、と。
こんなにも、そんなにも悲しいことがあるものかとオレは石の上に座り込む。あんな顔をされるくらいなら、戦い方がなっとらんだとか体力のなさを罵ってくれた方がまだマシだっただろうに。
静かに帰路につくカリム城伯の隊列もまた、オレに敬礼を捧げてくれた。オレはまたも返礼をしながら、疲れ切った体とぐるぐると迷走を続ける感情に振り回されていた。皆が帰るべき場所に帰っていくのが、羨ましかった。
オレはどうしようもなく孤独を感じていた。転生者で、地球で産まれて、死んで、ここにいる。北方の辺境伯領、タウリカで生活し、自分の責任を取るために今は南部にいる。じゃあ、オレの家は、本当に帰るべき場所はどこなのだろうか。どこに行けば、オレは満足して腰を据えて骨を埋める覚悟ができるのだろうか。今のオレはその覚悟があるのかすら分からない。ただただ、疲れ果てている。身も心も、なにもかも。
隊列が過ぎ去っていく。寡黙で屈強なヒュー・バートン、不敵な笑みを浮かべたローザリンデ、北部の兵も王都の兵も、皆がオレに礼をして去っていく。にこやかに、満足げに、あるいは疲れ果てて無表情で。
何十、何百人もの隊列を見送った後、オレはふうと一息ついて立ち上がった。石の上に座っていたからすっかり尻が冷えてしまって、腰が少しばかり痛かった。
とりあえず、ルールーたちを探そうと歩き出すと、ピンク色のツインテールが目に入った。オレが親方に気が付くのと、親方がオレに気が付いたのはほぼ同時だった。いつもの仏頂面なのに鼻と目元を真っ赤にして、ぐずぐずと鼻を啜っているアイフェルがいた。
オレは片手を上げて、
「よう、親方」
と言った。いつも通りに。
アイフェルもトコトコとこっちに歩いてきては、いつも通りの仏頂面で言うのだ。
「ん、お疲れ」
と。
「今日は、コウにしては、すごく頑張った」
そして、いつも通り一言多い。
「だな。オレにしてはすごい頑張った方だわ」
苦笑しながらオレが言えば、アイフェルは頬を緩める。
鼻と目元を赤くして、それでほっぺたまで赤くして、小さいドワーフの親方はオレに言った。
これは、―――たぶん初めてだ。
「じゃあ、家に、故郷に帰ろう?」
どこが家だったか、どこが故郷だったかというくだらない自問自答が、そこでぷっつんと吹っ切れる音がした。
オレにとっての家は、髭なしドワーフのコウにとっての故郷は、心休まる場所は、どんな覚悟だってできそうな居場所は、最初から決まっていたのだ。
「―――ああ、みんなで帰ろうぜ。親方」
心なしか軽くなった身体で、オレとアイフェルは肩を並べて隊列へと歩いていく。
ルールーが待っていて、アティアとシンが待っていて、スクルジオが待っている。やっと来たかと笑いながら、遅いぞと口を尖らせながら、帰路につく隊列がオレを待っていた。
オレはその隊列の中に入り、馬車に乗り、帰路につく。帰るべき場所に帰るために。オレを待っているオレの領地と民のために。
そしてなにより、オレ自身のために。
長い間、お付き合いありがとうございます。これにて第二幕「南部戦役」終了となります。
作者自身のメンタル不調や身内の不幸など、執筆中にさまざまなことがありましたが、ここまで書けたのは単にいいねを押してくれたり、感想を書いてくれたり、ポイントを入れてくれたり、面白いと言ってくれたりした読者の方々、そしてなにより僕の友人たちのお陰です。本当にありがとうございます。
書きたいお話は頭の中にまだまだありますので、また気長にお待ちいただければ幸いです。