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第137話「南部戦役の終わり」


 ちりんちりんと鈴が鳴る音が消え失せてからしばらくして、俺たちは現世に意識を回帰させた。

 周囲は何も変わりがない。ガラス化した大地に焼け焦げた死体、疲れながらも戦場の片づけをする兵士たち。五体満足で五感も問題はない。変わったとしたら、白目を剥いて絶命しているロウワラの獣の亡骸くらいなものか。

 常闇の虚とやらが言ったことを精査する必要があるのは明白だったが、今からそれをやり始めたところで何もできないのは俺とサトルの共通認識だろう。今すぐに動いて、どうこうできる問題ではない。

 距離的にもベルツァール南部から北部の先ともなれば、時間がかかる。おまけにやるべきことが多すぎる。それでいてオレたちが自由にできる時間は、冬――つまりは、竜眠季までのたった二か月だけだ。ベルツァール王国もリンド連合もこのままなし崩し的に攻め込むことはできない。冬越えという壁を無視して向こう側に行こうとすれば、必ず足元をすくわれるのがオチだ。凍傷と風邪で兵を失いたくはない。冬将軍は準備を怠った者からまず殺していく。

 オレは溜息を吐きつつうんともすんとも言わなくなった焦げ焦げのロウワラの獣に近づき、杖でつついてみる。焦げた皮膚がボロボロと崩れて、焼け焦げた骨が表に出てくる。死んだなら死んだでいいんだが、もっとわかりやすく死んでいて欲しいものだと思った。

 


「これで正解、あるいは成功だったのか、サトル」


「……予想外の大物が出てきたが、引き出せる情報は引き出せた……と思う」


「ああ、そうだな。やるべきことは変わらない、だよな?」



 オレが杖で焦げ肉をガツガツと突きながらサトルに言えば、彼は眼鏡の位置を直しながら、心配して近づこうとするウィクトリアやその他の兵たちを手で制しつつ静かに答える。



「そうだ。リンド連合、ベルツァール王国、そしてマルマラ帝国の契約は結ばれた。契約は(Pacta)守らな(sunt)ければならない(servanda)


「こっちの世界でもそういう言葉はあんのか」


「こっちの世界でもある。結び目を切ってはならない、違えてはならない、という言い方だが。なんでも、魔法使いが作った法典が元らしい」


「また魔法国家か……ローマ帝国みたいなもんだな、ここまでくると」


「そういう存在があるだけ、僕らみたいなのはやりやすいこともある。それが良いことだけでないにしても、僕らの知識と認識に合致する基盤インフラになっているからね」


「本当の中世で封建国家なら、そもそもオレたちの知識や認識の大前提にある倫理観や道徳からして違うからなぁ」


「本当に、異世界と言うやつは、人権や平和というものが革命の発明だということを、身に染みて思い出させてくれるよ」



 心配そうなウィクトリアにはにかみながら肩をすくめ、サトルは両手をベルトに差している拳銃のグリップに乗せる。

 その拳銃は敵に向けて撃つだけのものではなかったのかもしれない。古来、中隊長は隊列を率いるのに槍を持つ。革命の剣たる者は、その規律と鋼鉄の意志の表明として拳銃を帯びるのだろう。

 オレがもしサトルと同じ境遇に転生したとしても、革命―――国に火を放ち、熱狂と粛清を齎す急進的改革など、オレは絶対にしないだろう。オレはそこまで行動的でもなければ、熱意もない男だからだ。



「……言葉の重みが怖いな」



 自嘲気味な笑みを浮かべて言えば、サトルは苦笑しながら鼻で笑う。



「怖がってくれるくらいが為政者の一人としては都合がいい」


「もう二度と敵に回したくないわ」


「それはこちらも同じだ、髭なしドワーフ」



 くつくつと、二人で肩を並べて控えめに笑う。

 焼けた大地と死と血の臭いが鼻を突き、汗に塗れ疲れ果てた兵士たちの行進の靴音が微かに聞こえる。死者を弔う騎士修道士の祈りの歌が風に乗り、戦の穢れを払う教典の一説が低くも美しいバリトンの声で読み上げられる。血を濯ぎ、罪を濯ぎ、断末魔の記憶に蓋をする。剣を振るう戦人から、剣を帯びた只人へと戻るための儀式が、つい先ほどまでに鮮血と死がまき散らされたばかりの戦場跡で厳かに執り行われているのだ。

 オレはそうして戻れるだろうかと、今やただの焦げ肉となった獣の死骸に背を向けつつ、自問自答する。いろいろなものを見すぎた気がする。見てはいけないものを、感じてはならない手ごたえを、聞いてはならない叫びを、そのすべてを体験してしまったような気がした。頭から肩にかけて鉛のベールが圧し掛かり、足の間接がギスギスと軋む。頭のてっぺんからつま先まで血で真っ赤に汚れてしまったような、そんな気がした。


 様々な思いと匂いが混じり合った微かな風が吹いていく。オレはそれを一身に受けながら、震えてしまいそうな両足を動かしながら、ベルツァールの陣地まで戻っていく。サトルとウィクトリアはリンド連合の陣地へ、そして彼らと彼女たちの国へと戻っていく。

 その時、オレはふと思ったのだ。


 ―――オレはいったい、どこに戻ればいいのだろうか。あの守るべき日常の中に戻る資格が、あるのだろうか。

遅くなって申し訳ありません。メンタルブレイクしたり失職したりまたしてもいろいろありました。

よければご感想やいいね、通読している方はレビューなど頂ければ壊れかけのメンタルによく効く薬になります。

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