第135話「戦が終わって覚悟完了」
赤髪の無慈悲な女王が悲鳴を上げさせることもなく、肉塊と自分の周囲を含めた領域を炎の壁で囲い、延々とロウワラの獣であった黒こげの塊を焼きまくっているのを眺めながら、オレはスクルジオの北部騎兵だけを残して軍を解散させた。本当ならアティアやルールー、それにアイフェルだけ残ってくれればよかったのだが、スクルジオがそれを冗談だと受け取ってそっぽを向いてしまったので丸々残ることになったのだ。なお、なぜか総司令官のロンスン・ヴォーンまで残っている。頼むから仕事をしてくれと小言を言うと、まともになったトリトランがやるだろと不敵に笑って聞く耳を持たなかった。
一方でサトルたちの方も一番練度の高い職業軍人枠だけを引き抜き、それをシモン・バドニーに預けて他は順次本国へと帰国するように言ってくれていた。順次というのは、これだけの物量を誇る軍団が一斉に移動をし始めると内部統制や兵站の面で途方もない努力が必要になるからだ。途中で領地へ帰郷する南部諸侯の軍と肩を並べることにでもなったら面倒なので、そこら辺の調整はいつものようにガルバストロ卿に丸投げしておいた。オレにはまだやるべきことがあるからだ。
「それで、本当に一緒に視るのか?」
燃え上がる炎を見つめながら、オレの隣に立つサトルが言葉少なに言った。
彼の《贈り物》の《侵食心神》は、彼の記憶の中に対象を招き入れる能力だ。それを応用して、彼は自分が招き入れた人々の記憶を記憶して、その記憶にさらに対象を招き入れることさえもできる。要するに、自分の頭の中をすべてさらけ出す一方で、相手の頭の中も覗く諸刃の剣だ。そういうものだから、一度サトルの頭の中に招き入れられたオレはサトルがウィクトリアに抱いている感情もよく知っている。炎竜と契約したことによりウィクトリアが不老となったことに、人を実質的にやめてしまったことに、どれだけ責任を感じ、後悔と無力感に苛まれているのかさえ感覚で分かってしまう。彼が見せていないつもりでも、それは分かってしまうほどに大きい感情だった。
それをサトルは目の前のロウワラの獣に使うと言った。能力を使ったことによって機能が拡張されたのか、彼は自分の目の前にある人が何人いるのかが分かる。情念や感情がどれほどのものかを察知することができる。それが最後の一人になるまで、ロウワラの獣を燃やし尽くし、それから彼に能力を使うのだと。
オレはその中に混じりたいと言った。出来るかと問えば、彼は眼鏡を磨きながら静かに「戻れなくなるかもしれないぞ」と呟いたのだ。オレの答えは決まっている。見に行くに決まってるだろ。
「彼を知り己を知れば百戦、殆うからず、だ。十字軍だレコンキスタだと大口を叩いたからには、澱みに関する情報は欲しい。それがより核心的なものならなおさらだろ」
「孫子か。すごいな、そうやってあちこちの戦争のことを好きで覚えていたんだな」
「そうだなぁ、好きで覚えてただけのはずなんだがな。どうして本当にやっちまうことになったのやら」
「良いじゃないか、それでも。より良い方向に進んでいけるなら、使えるものは使うべきだ」
「そうかねえ。……しかれども孫子先生曰く、百戦し百勝は最善ならず、戦わず兵を屈するは善の善なる、だ。戦争やってる時点で頭に大きな黒星がついてるんだと思うんだよ、オレみたいなポジションは。まあ、それは大体オレの手の届かないところでやってる戦いだけどさ」
「損をする考え方なんだな、君は」
「良くない星の下で生まれたただの《失楽者》で、髭のないドワーフだよ、オレは」
「周りを女に囲われとるのに誰にも手ェ付けん玉無しでもあるがのーう」
自嘲気味にかっこいいことを言った矢先、聞き覚えのある声がオレの耳に飛び込んでくる。自然と苦笑を浮かべながら振り返れば、変わらず小さな緑色の忍者がそこにいた。
その後ろにはファロイドと魔法使いとの緩衝材役として斥候に同行していたシンが、相変わらず元気いっぱいのアティアから自慢話を聞かされ、全力でカっ跳んでズドーンしてドカーンからの、パラディン伯ロンスン・ヴォーンとの共闘、そして【グレート・ゴブリン】の首を落としたところまでを語り、見事にシンを心配させまくっている。端正な顔立ちのシンがなんとか笑顔を張り付けながら、どんどん青白くなって胃のあたりを抑えるのを見て、さすがのオレも可哀そうになった。
とはいえ、無事に戻ってきた緑色の忍者、エアメルの肩を叩いて、オレは言う。
「おいおい……、久しぶりに掛ける言葉がそれかよエアメル。まあ、難しい仕事ばっか任せてファロイド達には感謝しかねえから今回は許しておいてやるよ」
「ファロイドの斥候は見つからんもんじゃて。こん程度は楽なもんじゃ。そんでな髭なしの、あっしはこのままバートンの坊主のところに行く。しばしの別れじゃ」
「そっか、分かった。道中気を付けてな」
「なに、おんしが領主に座ったら今度からかいに行ってやるわい」
「……あぁ、そういやこの後、オレは最終的にモンパルプに行かなきゃならねえんだったなぁ」
「そうじゃぞ領主様。次に会うまで達者でな」
「そっちこそ腰に気を付けて過ごせよ。年取るとすぐに痛めるからな」
「抜かせ、若造めい」
そんじゃあな、とその身を翻して足音もなくすたこらと歩いていく小さな背中を見送り、オレは苦笑する。そんなオレとエアメルを横目で見ていたサトルはといえば、なんだか悔しそうな表情をしたかと思えば、責めるような視線でオレを睨みつけてきた。
「な、なんだよ」
「バドニー将軍が斥候を見つけられなかったのは騎兵の妨害もあったが、アレが斥候をやっていたからか」
「騎兵で攪乱して要の斥候にはファロイドをメインで使う。良い案だろ?」
「ファロイドは反則級だ。帰国したら軍用犬の育成を考えなきゃならない」
「エルフの斥候よかマシだろうが」
「それをされたら今度は全土から竜種をかき集めなきゃならない」
「いたちごっこで水掛け論じゃねえか」
「戦争っていうのはそういうものなんだろ」
「そりゃあ、そういうもんなんだが」
むう、とオレが押し黙ると、サトルは鼻で笑って相変わらず火力のおかしいキャンプファイアーのように劫火を灯し続けるウィクトリアを見つめだした。
オレも揃って赤髪の無慈悲な女王がおぞましい獣を燃やし続ける様を見つめ、頭の中の歴史書をひっくり返してほうと納得する。リンドヴルム公国はベルツァールの諸種族と諸侯たちが敗北し、マルマラ帝国さえもが屈したあの《レグス・マグナ》に対して、独立を保ち続けた。それは単に炎竜バルザックとその眷属たちが、人間との共闘路線を選び、バルザックと初代リンドヴルム公でもあるリンドヴルムが契約を結び、強大な力を手にし、自らも戦い続けたことによる。
けれども、竜との契約は良いこと尽くめではない。それは心臓を分け合う行為であり、真実に人と竜が一体となる行為でもある。片割れが死ねばもう片方も死に、契約を破った場合には破った側の命はない。契約破棄の代償としてその魂や血肉の一片に至るまでが賠償として奪われ、死ぬ。古く、強力で、それ故に恐ろしいものだ。竜がなぜ存在そのものが強大であるのかと言えば、それは単純な戦闘能力や生命力だけでなく、鱗に至るまでが魔法使いにさえ複製できない代物の塊であること、そして高い知能とエルフと同等かそれ以上の寿命を持ち、契約に対して真摯であるからに他ならない。決して違えてはならない点はそこだ。竜は契約者に対してではなく、契約に対して真摯なのだ。だからそれを決して破らないし、破った者に対しての制裁は容赦ない。だからこそ、竜とは存在そのものが強大で、神秘的で、崇拝されることさえある。
そんな存在に愛する人がなってしまった。そう考えると、サトルにも同情しそうになってしまうが、これがオレの考えなのか、それとも《侵食心神》の時にオレの中に残ったサトルのなにかから出てきた感情なのか、それは分からない。
もやもやした感情をそのまま無言で溜め込むのも癪なので、オレはサトルに言う。
「で、あとどれくらいで焼け上がりそうなんだ?」
「まだ五〇人くらい溜め込んでる。もうちょっとだ。それで、本当の本当に一緒に視るのか?」
「くどいぞ、お前」
「覚悟の確認だ。大事なことだ」
「あと十回聞かれても十回全部同じ答えだ。オレは視たい」
「はぁ……分かった。降参だ」
両手を挙げて肩をすくめ、サトルは腰のベルトから拳銃を引き抜きながら、ウィクトリアへと言った。
「ウィクトリア、それでもう十分だ。あとは僕らがやる」
炎の壁は消え、あれだけ感じていた熱波がすっと消える。パチパチと火の粉も名残惜し気に消えていく。その炎と火の主である赤髪の女王は、赤い髪を棚引かせながら振り返り、不器用に微笑んだ。生まれた世界もなにもかもが違うというのに、どうしてこの男と女はこうにも似たように不器用な笑い方をするのだろうとオレは思い、それが面白くて可笑しくて、少し笑ってしまった。