第132話「単一指向性破綻魔法術式Ⅶ型」
講和会議がまとまり条約に魔法のインクと術式、さらには正教の誓約儀式を重ねてようやく署名がなされたのは、髭なしドワーフが前線で引きずられているまさにその時だった。
この時、優勢ではあるにせよ、髭なしドワーフの指揮する連合軍の事情は致命的なほどに悪化していたことが、後々に書き綴られる報告書や日記などには散見されることになる。
リンド連合第四軍との戦闘により消耗していた各連隊は、そのリソースを惜しげもなく投入して【グレート・ゴブリン】と【ファランクス】というバケモノを打ち倒すことができた。
しかし、そのために払った代償は、実のところかなり大きい。
南部騎兵の壊滅、リンド連合から派兵してもらっていたシモン・バドニー将軍の騎兵隊の壊滅、騎士修道会連合などは実働数の三分の一を失い、ヴァーバリア砲兵連隊は火薬の備蓄を切らしていた。
さらに言えば髭なしドワーフのコウが率いて突撃を敢行した火縄銃士組合は、定数が千名であるだけで、この戦闘の開始時においてその数は八〇〇を超えるほどになっており、それから突撃を敢行したのでさらに数を減らしている。
―――そもそも、髭なしドワーフの立てた作戦とはなにか。
コウは敵の陣形が前世においてアレクサンドロス大王とその軍勢が用いていたという、いわゆる【マケドニアン・ファランクス】を元にして、そこに巨大な移動城塞のような存在である【ロウワラの獣】が追加されているということを頭に置き、作戦を立てている。
まずは砲撃によって【ファランクス】の数を減らす。両翼の騎兵に関しては、こちらも騎兵を置いて動きを封じ、銃兵と砲兵が火薬がある限り攻撃してさらに数を減らす。
そこからは騎士修道会を中央に殴りこませ、強固な【ファランクス】を中央突破して切り崩し、敵の戦線を押し下げてロウワラの獣を最前線に持ってこさせる。
最前線にあのデカブツを持ってこれればこちらの不利はあるものの、その巨体ゆえにロウワラの獣の近くでは他の戦術機動が取れなくなるため、各個に後退しつつ、消耗戦に持ち込むという作戦だ。
髭なしドワーフが失敗したのは、敵の騎兵隊が対面の騎兵隊を無視して強引に砲兵へ突撃を敢行したこと、そして迎撃した南部と連合騎兵が壊滅したことだろう。
ここが魔法やそれに類似する力のある世界でなければ、髭なしドワーフの冒険はここで終わりだった。
終わりにならなかったのは、コウが総司令官であるロンスン・ヴォーンとその指揮下にあるヴォーン連隊に、戦略予備としての役目とそのための自由行動を認めていたからだ。
命令は簡潔明瞭で、コウがヴォーンに言ったのはたったのこれだけだった。
「負けた、負けそうだなと思ったところに突っ込んで、勝ってくれ。パラディン伯たるあなたの経験と手腕を生かして自由にやっていい」
上官の意図は伝えた、戦闘の状況は戦闘経験のあるパラディン伯が上で適任、そしてそれらを解決する勝利を目標として自由に動いてよろしい、ということだ。
髭なしドワーフからしたらこれは単に彼のモットーでもある、
「自分ができないことは、自分よりも出来るやつに任せる。オレが手一杯な時は、仕事が出来るやつに任せる」
に従っただけだが。
ロンスン・ヴォーンからすればこの命令はなかなかに意外で、内容はともかくとして【負けそうになったら手柄全取りで勝ってこい】と言われたようなものだった。
戦いにおける手柄というのはその後に武名を馳せるために必要なもので、こうした貴族家が連なるような戦いでは誰だって欲しがるものだ。
まあ百歩譲って手柄に興味がないとしても、背後に布陣する部隊の長に「負けた、負けそうだなと思ったところに行ってきて勝て」などをきっぱり言えるのだから、それもまた面白いものだ。
その面白いということこそが、ロンスン・ヴォーンにとってもっとも有意義な原動力であるという点は、髭なしドワーフの考えには含まれていなかったのだが。
「ルールー・オー・サーム、くれぐれもやりすぎないように」
「やりすぎというのはどの程度のことを言うのですか、マン・ハッド?」
「地図を書き換えるようなことをやりすぎというのです」
ぼろぼろで継ぎ接ぎのとんがり帽子を頭に乗せ、右手には身の丈ほどの長さがある木製の杖を持つルールー・オー・サームと、その傍らのデッド・マン・ハッドが言う。
ルールーが持つ杖の先端はかたつむりの殻みたいにぐるぐると渦巻き型に曲がっており、魔法使いであればこの杖がどれほど危険な呪物かは知らないわけがない。
とはいえ、それをルールーが持っていることを否定する者はいない。タウリカでは風変わりな高等魔法使いというだけの彼女だが、魔法使いの中にあっては地位も能力も高い。
そんな彼女が今のような風変わりでお人好しになったのは、ごく最近のことだ。はっきりと言うならば、彼女が監視者として北に赴任したあたりから、この女は魔法使いとして決定的におかしくなった。
魔法使いとは叡智の道を切り開く者であり、そのための代償や犠牲は進歩につきものであると割り切っている。魔法国家、レグス・マグナが恐怖されたのはその進歩のための犠牲として、魔法使い以外が選ばれたからに過ぎない。
先へ進むために血が必要ならば、桶を血で満たして惜しみなく使う。それが出来なくなった魔法使いは、皆、おかしくなったと言うのだ。
「地面をガラス化して無毛の大地にするくらいは、まあやっても構わんでしょう」
「では、あまり気を使うことなく魔法を使えますね。賢人会議への説明はあなたがやってくれますか、マン・ハッド」
「………気乗りはしませんが、対価は貰っているので」
「ありがとうございます。それでは、汚泥を消毒して参ります」
魔力制限の解除を受けて、ルールー・オー・サームは周囲に魔法陣を展開する。
複数の魔力薬室が新たに解放され、これまでのような縛りプレイからも解放されたルールーの顔は喜びで緩んでいる。
空間そのものが張り詰めるほどの魔力が放出されると、すでにマン・ハッドの前にいたはずのルールー・オー・サームの姿はなかった。
空間転移、魔力の制限を取り払われた高等魔法使いならば、この程度のことは容易い。
魔法使いによる国家、レグス・マグナが圧倒的多数であるはずの多種族を使役し、搾取し、抑圧し、その反乱と独立を一切許さず虐殺できたのはこうした魔法があったからだ。
伝令や早馬など出さずとも魔法で通信をすればリアルタイムで状況は把握でき、空間転移によって即座に移動ができ、魔法による攻撃で敵を跡形もなく抹消する。
魔力を糧として魔法使いは自らの身体能力を超えた所業を成し得ることができ、たとえばある者は自らの頭脳を複製して一人にして四人の頭脳で情報を処理していた。ある者は土くれに魔法をかけて自らの身体を保護し強化する鎧とした。ある者は己の身体に抑え込めぬ魔力を別空間に貯蔵する技を編み出し、ある者は圧倒的な大軍勢を滅するために広域殲滅魔法と呼ばれるものを作り上げ、ある者は強者を滅するために指向性魔法を産み出す。
すべてはこの世を作り上げたといわれる賢人の御業の模倣、その叡智を消し去らんとする、おぞましい闇の勢力に対抗するため。叡智の光を闇の中においてなお、灯し続けるためである。
「闇の帳が降りてなお、我らは叡智により世界を照らす。魔法使いの強大さを、その光によって知らしめるのですよ。ルールー・オー・サーム」
マン・ハッドの呟きに呼応するかのように、三叉路の向こう側から爆音が響いた。
―――
ルールー・オー・サームが転移したのは、ロウワラの獣の頭上であった。
魔法陣の足場を組んで高度優位を取りながら、彼女は周辺に友軍の姿がないことを確認し、にこりと微笑みながら躊躇うことなく省略詠唱によって術式を起動させる。
対象は大型目標ロウワラの獣、最優先に抹殺し最大火力をピンポイントで叩き込み、魔法使いたるはなんであるかをこの連中に分からせる必要がある。
ならば、使うべき魔法の術は一つしかない。魔法使いの叡智、その叡智が破壊を極めた術式を組み上げる。荘厳にして混沌たる独自の術式。
かつて魔法国家、レグス・マグナを終焉に導いた聖王アルフレートの率いた旅の仲間が一人、皆殺しの黒い魔女、災いなす者の生み出した魔法。
かのカトト・スローが完成させ、得意技にした、魔法による指向性最大火力攻撃。旅の仲間における最強の攻撃力、単一指向性破綻魔法術式Ⅶ型。
「本気でいきますよ」
ルールーの声と杖の動きに合わせて空に複数の魔法陣が展開され、それらすべてが光の糸で結びつき、ビリビリと周囲一帯が震え、風が吹き荒れるほどの力が迸る。
中空に浮かんだ魔法陣は時間が経つにつれて輝きと大きさを増してゆき、青白い魔法の光は奔流となって流れ出し、迸る光は一条の線となって曇り空の下に大剣を形作る。
それは剣というには大きすぎ、魔法というにはあまりにも並外れた光を放っている。間近で見る者にとっては光の柱にしか見えない。ただの一人が創り出したとはにわかに信じられないほどの光は、月光のように冷たく綺麗な色合いをしていて、それでいて肌はたしかに陽光にも似た危険な熱を感じているのだ。人を惹き付けるこの美しさと、本能が叫ぶ危うさの矛盾が【魔法】というものの概念をよく表している。
これは天地創造の似技にして、想像のみならず破壊すらも司る。世界の理を知ってその理をより極め、知り、ついには我がものとしようとした魔法使いの業が生み出した光だ。
「略式詠唱……、―――さあ、汚らわしい者どもよ、我が道を開けよ」
その剣は、一時退却したベルツァール王国軍の陣からも見ることができた。
出兵してからこの方、戦いが続き疲れも見せ始めていた兵たちは、光り輝く巨大な剣を仰ぎ見て、その光がかつてこの一帯を恐怖で支配したことも知らずか、歓声を上げる。
ある者は剣を掲げて歓声を上げ、ある者はその歴史を知るが故に慄き、ある者は圧倒されて唖然とし、そしてある者―――、髭なしドワーフは実に嬉しそうに微笑みながら呟く。
「やっちまえ、ルールー」
呟きが聞こえたわけではないが、その瞬間、ルールー・オー・サームは魔力の集合体であるその剣を躊躇いなく振り下ろす。
「叡智の剣!!」
白い閃光、爆音、熱風が目と耳と肌の感覚を麻痺させた。雑兵どもは瞬時に魔力の奔流により骨や肉の一欠けらすら残らぬほどに焼かれ、その巨体を誇るロウワラの獣さえ肌を焼かれ肉を削がれ、骨まで灰となった。
まるで魔法の青白い光が村を焼き尽くしているかのような衝撃と熱に、ルールー・オー・サームの登場に喜びの声をあげた者すら短く喉を鳴らして悲鳴をあげ、身震いし、魔法の恐ろしさを目に焼き付ける。
草が燃え、三叉路の一角が丸ごと野火にあい、炎に巻かれたかのようでさえあった。だがそれも、鼻につく肉と人皮と髪の焼け焦げる臭いは誤魔化せるものではなかった。
肌に感じる熱波は間違いなく大火のそれであるというのに、視界で輝く光はまるで太陽に照らされた湖面のような、あるいは雲一つない快晴の時の空のような透き通った青色で、それがよりこの魔法のもたらす強烈な戦場の風景を歪なものにしている。
膨大な光の放射が終わり、目と耳が感覚を取り戻していく。そして人は見た、大地が焼け焦げ、ぎらりとガラスのようになった様を。大地すらをも溶かした光を放った、とんがり帽子の女魔法使いを。
それまで存在していた大地にへばりつく汚濁のような軍勢は、もはや軍勢とは呼べなかった。ロウワラの獣はかろうじてその巨体故にあちこちに欠片が散らばっていたが、陣形の最前列にいた【ファランクス】などは盾すら残さず消滅していた。散兵どもは熱の余波で黒焦げになり、松明のように燃え上がっている。後続の混種どもの歩兵たちは、振り下ろされた光の柱に両断され中央はガラス化した大地しか残らず、左右には黒焦げになった物体が転がっていた。アティアとロンスン相手に逃げ回っていた【グレート・ゴブリン】は光の放射に呆然としているところを、空気を読まないことに定評があるアティアの一撃で頭から股下にかけて真っ二つにされてしまっている。
「こんなのが何人いるってんだ……そりゃあ、魔法国家なんてものが続いちまうわけだ………」
半笑いになりながら兵士の誰かが零すが、続く言葉は誰からもあがらなかった。
遊牧民族がユーラシア大陸で大膨張し恐怖をもたらしたのと歴史的意義は同じかもしれないが、魔法使いというものは契約によって縛られてはいるがいまだにその力を保持しているのだという畏怖と憧憬が広がっていった。同時にそれは血と汗とで死に物狂いで戦った兵の功績でさえ、高等魔法使いクラスならば一瞬で成し遂げられるのだという虚無感もいささかありはしたが、それよりも高揚感が勝っている。なんといってもあの女魔法使いはベルツァール王国の魔法使いであり、髭なしドワーフにとっての家族のルールー・オー・サームであり、風変わりで変人なとんがり帽子のあのルールー・オー・サームなのだ。
しかし、闇の軍勢のほとんどが光によって焼かれ、炭すら残らぬ有り様となった中で、ロウワラの獣の欠片はその一つ一つがわらわらと這いずり、一か所に集まろうとしている。まだ生きているのかあのバケモノはと、兵士たちが手に持つ得物を握り直した一方で、よたよたと頼りない足取りで一人の男が焦土となった大地を前に歩を進めていく。
「よっしゃ、あんくらい小さいならお話し合いが出来そうだな」
その男は、髭なしのドワーフのコウであった。