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第130話「講和会議・午後」


 戦場の音しかここには聞こえず、天幕が風で揺れる音さえ聞こえるほど、戦場は遠い。

 とはいえ、ここもまた別種の戦場なのだとニルベーヌ・ガルバストロは知っている。そして自分がよく知っている戦場であることも。

 天幕の下にいるのは、マルマラ帝国の全権委任大使にしてゼノポリス大主教、ミトリダテス。


 そしてリンド連合は赤い長髪と縦に走る瞳孔の碧眼を持つ、スレンダーな体を地味な軍服で包むウィクトリア・ギー・リンドブルムと、眼鏡をかけた黒髪の青年、総責任政治運営者のサトル。

 ベルツァール王国は宮中伯たる私、ニルベーヌ・ガルバストロと、護衛兼連絡要員としてサーラット公爵付魔法使いデッド・マンハッドが控えている。

 各人の前に広げられているのは、午前の会議で両国が提示したそれぞれの提案であるが、さらにもう一つ羊皮紙が用意されている。


 それはニルベーヌが胃の痛みを覚えながらも両国の提案が、両国が妥協できるラインまで修正したものだった。

 同時に、あの髭なしドワーフとの約束を果たすための、ただそれだけのためのものまで追加した。その条文は諸刃の剣だが、今の王国には必要なものだ。

 今の王国、そしてこれからの王国のためには、王国だけではなくリンド連合とマルマラ帝国との力までを結集し、内憂を取り払わなければならない。


 ―――これまで自分がそうしなかったことにも意味はあったのだが、それに固執していては、王国が分裂することになる。

 そうなってしまえば、前世のオーストリア・ハンガリー帝国や、ユーゴスラビアのように、王国は二度と元の形には戻らないだろう。 

 それだけベルツァール王国は他の国と比べて多種族が住み、昔ながらの信仰を続け、伝統と文化を守って生きているのだ。


 これらを無視しての国政は王国にとって致命的であり、王国の歴史においてもこれは明白な事実だった。

 王国の建国一〇〇周年に発生したエルフの大反乱を発端とする『五年戦争』では、その問題点がすべて戦乱として噴出し、王国は多大な戦災を被った。

 そして、その戦乱の中で反乱軍に加わったエルフの氏族は多かった。エルフの大反乱と呼ばれるだけはある。


 ガルバストロの氏族は、そのどちらにも属さず、そのどちらからも攻められ、散り散りとなった。

 ニルベーヌ・ガルバストロとして生きていくことを決め、この世界で添い遂げると決めた妻もその時に死んでいる。

 それ以来、ニルベーヌ・ガルバストロの生きていく目的は、あのような光景を回避するという、そのための生なのだ。


 国が亡ぶということは、基盤の崩壊を意味している。

 危ういバランスの中で存在しているベルツァールが亡べば、王国は二度と今の形にはなるまい。

 それこそ、かの聖王アルフレートがどこからともなく再び現れない限り、亡んだ王国は元には戻らない。


 多民族国家、まるでオーストリア=ハンガリー二重帝国や、ユーゴスラビアのようだ。

 一度落として割れてしまったグラスが二度と元には戻らないように、この国も割れてしまったらそこで終わりだ。

 壊れたグラスは二度とは戻らない。もう二度と、その杯に美酒を満たすことはない。


 それだけは、認められない。

 ベルツァールという器を、人間もエルフもドワーフもファロイドも、それらを受け止めるこの器を。

 壊すなどということを、ニルベーヌ・ガルバストロは認められない。


 故に、ニルベーヌはゆっくりと立ち上がり、自らが書き上げたその条文を読み上げた。 




1.ベルツァール王国ならびに旧リンドブルム公国との国境の回復と、王国内よりのリンド連合軍の段階的・・・撤兵。


2.現地民より徴収した食料品などの物資を含む補填に関しては、マルマラ帝国を含む三国合同の復興支援組織を立ち上げ、これを優先する。


3.南部諸侯の領地に流入した難民、その難民の内部に含まれる政治犯や反政府主義者に関しては、復興支援組織がこれを担当する。


4.南部諸侯に対する賠償金の支払いと、損失に対する補填金の支払いは南部諸侯とリンド連合が合同で戦費管理局を組織しこれを担当する。


5.〝救心教〟と呼ばれる宗教組織の調査及び情報共有、必要に応じこの取り締まり、及び摘発を両国が協力してこれを行う。


6.ベルツァール王国属州ノヴゴールにおける〝救心教〟勢力の鎮撫、ならびに実態調査を両国が協力してこれを行う。


7.ベルツァール王国ならびにリンド連合と、主たるマルマラ帝国は貿易条約を始めとする緊密な連携と協力を結ぶことを念頭に、それぞれが効力一〇年の不可侵条約と効力三年の相互防衛条約を締結する。


付随A.ベルツァール王国は〝救心教〟勢力の鎮撫のため、マルマラ帝国との高等魔法使いに関する条項と、パラディン伯に関する条項を部分的に改定を求める。


付随B.改訂と並行してベルツァール王国領内での正教の布教、ベルツァール正教会の設立を認める。



 読み終えた反応は、それぞれの国でまた違ったものだった。

 ゼノポリス大主教、ミトリダテスはその髭もじゃの顔でにこやかに微笑みを浮かべているが、目が笑っていない。

 一方でリンド連合の二人に関しては、表情を硬くして羊皮紙の文字とにらめっこを続けている。


 この案の肝は三国合同の復興支援組織と、戦費管理局、そして三ヵ国による相互防衛条約だ。

 第一に復興支援組織は、王国が統一戦争と五年戦争、そしてノヴゴールにおける鎮撫で【復興・・】がどれだけ金と年月がかかるものかをよく知っている。

 統一戦争は国土全域で戦災を被ったため、復興は神聖十字教会クラックスと聖王の権威がなければ成しえなかった。


 五年戦争においてはノヴゴールの大飢餓を斬り捨て、国内の復興に注力するため金で爵位を売るなどしてその元手を確保するために奔走していた。

 復興支援組織はそのための組織であり、三国合同であるのは借款や援助などの段取りを規定化するためだ。下手にすべて地元の諸侯に任せてしまっては、進む話も進まなくなる。

 そして第二に戦費管理局だが、これは当事国である二国が立ち上げることによって賠償金や補填に関する話、そしてそれに付随する腐敗から遠ざける。


 特に賠償金に関しては債務という形になってリンド連合が支払うことになるため、この債務を管理する必要もある。特に金銭ではなく物々(バーター)である場合、管理局は必要になる。

 最後に今後の防衛政策上でもっとも重要である三ヵ国による相互防衛条約だが、これは付随した条件と絡めてある。

 単に三ヵ国による協商の結成ならばまだいいが、この相互防衛条約はベルツァール王国が高等魔法使いとパラディン伯を擁して侵略に及んだとしても、二国は自動的に共同交戦国となり王国を潰すことができる。


 あくまでこれは、表向きには三ヵ国による協商、相互に発展し友好を培うものだ。

 ただその裏側には「私が暴挙に出た場合は共に剣を取って切り伏せるがいい」という、そのような宣言でもある。

 同時に神聖十字教会クラックスが主流のベルツァール王国内で、正式に正教オーソドクスの布教、そしてベルツァール正教会の設立を認めるということ。


 これはベルツァール王国にマルマラ帝国の正教情報網を引き入れるということであり、ただただこれだけをするならマイナスにしかならないが、プラスを欲しがるには相手のプラスを条件として提示するべきなのだ。

 そうしなければ高等魔法使いとパラディン伯の使用を受けてもらえるはずもない。相手の器量に期待してばかりでは外交とは言えず、自らの力を誇示することはこのような場においては愚策も愚策だ。

 前世において長らく存在し続けた【砲艦外交】とは、圧倒的な国力や同盟関係を持つ者のみの特権であり、そうでない者が行えばそれは強烈な反動感情を与えてしまうだけなのだ。



「なるほど、ベルツァール王国はマルマラ帝国をもこの講和条約に署名させたいということですな」


「今後の地域一帯の発展と平和のため、主たるマルマラ帝国も是非」


「うむ。正教の布教、ベルツァール正教会の設立は我が教会としてもこれ以上ない好条件と言えましょう」


「では、マルマラ帝国はこの条項を―――」


「とはいえです、ニルベーヌ・ガルバストロ殿」



 微笑みと笑っていない目をそのままに、ミトリダテスはニルベーヌを見た。



「高等魔法使いとパラディン伯、これらをすべてというのはいただけません」


「………では、いかほどの数ならば現実的と言えるか、お教え願えますでしょうか?」


「高等魔法使いは十、パラディン伯は一ですかな……活性化中の十一名に関しては、必ず文書を提出し我々が把握できるように。更新の場合は文書を提出し、こちらが了承した場合にのみ適用されると」


「なるほど、道理です。ではそのように」


「して、リンド連合の方々はどうでしょう? マルマラ帝国といたしましては、同じく正教を信仰するリンド連合にとっても良い条件であると思われますが」



 今度は目までにんまりと柔和な笑みにして、ミトリダテスはリンド連合の二人へ顔を向けた。

 それに対してウィクトリアが「ふむ」と小さく相槌を打って、ニルベーヌの方を見る。

 竜の如き縦に走る瞳孔の碧眼は、正面から見るとなかなかに異様で、迫力があった。



「〝救心教〟勢力の鎮撫、とあるが、これは将来的な殲滅を意味するものと考えて相違はないだろうか?」


「相違ありません。しかしながら、表立って殲滅と喧伝すれば必ずや今回のロッカールのようにかの勢力から妨害が行われるでしょう。鎮撫であれば王国はノヴゴールにおける活動でよく使う言葉ですので、ある程度は誤魔化せるかと」


「なるほど。だがそれでは我々も安心できない。それらの言質を取る秘密条約を別に設けてもらうことは可能か?」


「可能です。こちらとしてもそれでリンド連合が安心できるのならば、秘密条約は必要であると考えます」


「それと、これはベルツァール王国ではなくマルマラ帝国、ミトリダテス大司教に」


「ほう、私に。なんでしょうか」



 矛先が自分に向くとなると、ミトリダテスの目は再び開かれ、ウィクトリアを見つめる。



「今、ベルツァール王国の軍が対峙しているあの禍々しいものこそが〝救心教〟の勢力であり、語るにもおぞましい〝澱み〟なのです。神を信じる者ならば、あのような存在がこの世にあってはならないと理解できるはずです」


「たしかに主の創造した人を甚だ冒涜し、およそ神を信じぬ祈らぬ者たち(ノンプレイヤー)であることは語らずとも理解できますな。して、ウィクトリア殿はなにが仰りたいので?」


「私はこの講和条約に署名をします。ですが、秘密条約はもっと有意義で、この地域一帯に平和をもたらすものとしたいのです。ついては、私の信頼するサトルにその提案を行ってもらいます」



 表の講和条約はこれによって確定した。

 それだけで肩の荷を下ろせないのがこの仕事だとニルベーヌは表情を硬くする。

 サトルは転生者だ。この転生者が革命の火元であり、火種であり、ひいてはリンドブルム公国の灰の中からリンド連合を産み出した。

 眼鏡の位置を直しながら転生者は立ち上がり、ニルベーヌとミトリダテスを見て、一呼吸おいて告げた。



「我々リンド連合は、三ヵ国の地域圏の平和と安定化のために、ベルツァール王国属州ノヴゴールへの再征服レコンキスタを提案する」



 ぴしゃり、とニルベーヌの五感に水でも打たれたような衝撃が走った。

 革命に至る熱量を、すっかり失念していたかもしれない。

 その熱量は公国の身を灰にして、連合を産み出してなお、真っ赤に燃え続けている。


 でなければ、この地獄の革命運動を指揮してきた一人の青年の口から、再征服レコンキスタという言葉は出なかったはずだ。

 マルマラ帝国の皇帝レオン二世が確約した《三国十字軍》に沿った言葉ではあるが、正教を乗り気にさせるならばたしかに再征服レコンキスタの方が良い。



「素晴らしいことです。マルマラ帝国はその再征服レコンキスタへの参加を秘密条約において確約いたします。ベルツァール王国はいかがですかな?」



 この髭爺、レオン二世が《三国十字軍》を確約しているのを知っていてこの言葉だ。しかもこいつ、もはや目どころか顔全体が真顔だぞ。

 しかし、その理由は考えるまでもない。異教、異端に侵された土地を再征服するという事業は、本来は正教的ではない。さらに言えば《十字軍》という概念はカトリック的に過ぎる。

 だが正教の波及していたリンドブルム公国が汚染・・されたとなれば、黙っておくわけにはいかない。



「我々としても良い考えだとは思います。ですが戦費に関しては、三ヵ国の合同出資、さらには我々は全領邦ならびに諸侯に呼びかけを。さらにはマルマラ帝国もすべての行政区に呼びかけ、戦費調達をお願いいたします。三ヵ国合同の軍事行動となれば、我がベルツァール王国の財政は崩壊しかねません」


「道理ですな。しかし呼びかけには注意を払わねばなりませんな、我らの知りうる人物が異端者・・・である可能性は十分にありえます」


「では、事前準備段階として復興支援組織に復興準備金として戦費をプールしておくというのは? 竜眠季で戦災地域での食料調達が厳しいと喧伝すれば、各々の教会に信仰が篤い者からも資金は集まりましょう」


「それで食料調達が滞ってはいけませんな。我が正教会から炊き出しなどを行って、流用が露見せぬようにいたしましょう。なに、教会の者ならいつものことですな」


「リンド連合の教会も協力いたします。同時に連合内において王国への友好感情を高めるための宣伝工作もいたしましょう」


「両国に感謝いたします。―――では急ぎ、この講和条約に調印を」



 椅子の背もたれにぐっと体重を預けながら、ニルベーヌは戦場の方を見遣る。



「我が王国の兵士たちは今こそ、魔法の力が必要ですので」

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