第128話「事象の地平線と空から女の子が」
硝煙が晴れたと思ったら、後続にいたはずの軍総司令官が最前線に立っていた。
不敵な笑みを浮かべながらバケモノどもの騎兵隊を見つめ、片手に白銀に煌めく大剣を持ち、彼の周囲には強烈な風が吹き荒れている。
赤毛が忙しなく風になぶられ、帯びた緋色のマントはバタバタとはためき、足元の草葉は横なぎになるか吹き飛ばされてしまっている。
「あれがヴォーン一族の加護の一つか!!」
ローザリンデが砲兵隊、その中でも王都バンフレートからやって来た百人の砲兵の誰かが言った。
パラディン伯、王都バンフレートを治め王国の玉座とその王冠を統べる者によって選ばれる、実力者だけが受勲される貴族称号。
世襲は許されぬどころか、実力がさらに秀でる者が現れれば次代への継承を拒むことはできない、完全な実力のみで決まる称号。
ロンスン・ヴォーンは、そのパラディン伯三人のうちの一人だ。
右のロンスン、烈火のロンスン、盾なしロンスン、ベルツァールの剣、勇猛果敢、戦では騎士の矜持と感情に従い猪のように敵を蹂躙する猛将。
竜狩りの伝承を持つヴォーン一族は、人の身で竜を狩る無茶をあらゆる術、あらゆる無理で通してきた剛腕の一族だ。
竜狩りに挑む人間の滑稽さと一族の子種を出汁に妖精の加護を得、コボルドを救い庇護することでかの大剣と加護を得、異端の魔法使いからさえもその叡智を利用する。
そんなことをベルツァール王国の成立以前からずっと、成立してからもパラディン伯として列せられるまでずっと、地上と天空の覇者である最強に挑む愚か者どもの一族だった。
しかし、愚か者であってもバカではない。バカであっては竜など殺せるはずもない。竜が殺せぬならバカである理由など存在しない。
彼らは竜狩りのため、そのためだけに己と末裔もを巻き込んで、最強を斃すために強くなり続ける一族なのだから。
「縮地の御業だけで喜んでもらえるとは光栄だなぁ?」
がっはっは、と豪快に笑うロンスン・ヴォーンに隙ありとケンタウルスが五騎突っ込むが、
「―――ふざけろ、雑魚が」
白い煌めきと豪風が一閃する。
片手で大剣をナイフでも扱っているかのような速さで、いや、それ以上の速さと研ぎ澄まされた術を以てして彼は五騎のバケモノを一撫でで両断する。
切断面から血や体液さえ漏らさぬ両断された死体が草原に散らばり、死体が斬られたと認識してどす黒いものを吐き出すまで数瞬の間があった。
その有様に頭目であるはずの【グレート・ゴブリン】さえもがたじろぎ、バケモノどもが器用にも蹄で後ずさる。
南部や連合の騎兵を一瞬で血祭りにあげた者共が一様にして、たった一人の盾も持たぬ男を前にして慄いている。
規格外としか言いようがない。ローザリンデなどは「異世界ナメんな、地球人」と幻聴が聞こえてきた。
「よく聞きやがれ、この人でなしども! 我が一族のモットーは、地を撫で天を破り故に我在りだ! その最新鋭こそおれ様、ロンスン・ヴォーンだ!!」
なんともまあ、どこかのチンピラかヤンキーか、はたまた大昔の無頼の徒か武者崩れか。
そんなことを不敵に笑いながら、片手に一縷の汚れもない白銀の大剣を持ち、そう宣言するのだから、どうにも不思議と様になっている。
こんな男だからモテるのだと、少しだけキュンとしてしまった自分に対して凄まじく狼狽しながらローザリンデは思う。
そんなはずはない。誰がこんな男に、吊り橋効果ツリバシコウカツリバシコウカと頭が一瞬飽和しかかる。
だがそれもドワーフどもがせっせと砲弾の再装填作業を始めるのを見て、一瞬でどっかに吹き飛んでいった。というか、吹き飛ばしてやった。
敵がどの距離にいたとしても、砲兵は有効射程に目標がある限り呆けている暇などない。
槊杖と火種を手放さない理由を証明するべく、砲の再装填を始める。
それを見たバケモノどもはふざけるなと言わんばかりに怒号を上げ、全騎がただの一人の男に突進する。
しかし、男も砲兵も狼狽えはしない。怒号など知らぬ、やるべきことがあるのだ。
「地撫破天故我在(地を撫で天を破り故に我在り)。言ったはずだぜ突撃馬鹿が」
地面が、風が、露が、薄汚れた硝煙の残滓が。
気が遠くなるほどの月日を何代も重ね重ね、ただ一つの目的のために味方に引き入れ、列し、束ねた事象すべてが震える。
ロンスン・ヴォーンはその末端、終着点にして通過点。目的のために歩み続ける永遠の夢追い人。
それが人を、事象を、妖精を、皆を引き付ける。
なぜならばこの男に、この一族にそれだけの魅力があるのだ。
この戦いは前へ進めば進むほど、面白いのだと。
「おれの前にあって突撃なんざ、舐められたもんだ」
剣を構え、両足をしっかりと地面につけ、腰をぐっと落としてロンスン・ヴォーンは笑みを消して敵を睨みつける。
「そは栄光の先駆け、王道の継承者。万里喝采は背にありて、果てを望むは幾世に渡る!」
白銀の煌めきに風が、露が、土が、草がその力を授ける。
複数の属性が干渉し合うことなく混じり合い、力となって時空さえ歪める。
剣の煌めきの裏に光は引きずり込まれ、影は煌めきによって消え失せる。
膨大な力の収縮に気が付いたのは【グレート・ゴブリン】ただの一騎のみ。
猪突する猪を右手の鉄槌でぶったたき無理矢理に突撃を止めさせ、ただ一騎のみ下がることができた。
他のバケモノどもはそこまで賢くはない。バケモノはバケモノであって、【グレート・ゴブリン】のように特殊な中身があるわけではない。
百にも及ぶ半人半馬の騎兵の列が、ただの一人の男目掛けて殺到する。
さらに下がったところにいるローザリンデとドワーフ、そしてバンフレートの砲兵でさえ足が竦みそうになるというのに、ロンスン・ヴォーンはぴくりとも動かない。
地響きと蹄の轟音を響かせ、破滅の列が自動車並みの速度で突っ込んでくる。
自動車と違って彼らは避けることはない。
なぜなら突撃し、突進し、最大速力で敵を打ち破り、破砕し、絶滅させることが彼らの目的だからだ。
暴力的な加虐の念と殺意が音と振動で、五感すべてで伝わってくる中、ロンスン・ヴォーンは剣を一度、振るった。
「―――至焉幕剣」
振るわれた剣からは、ビームもレーザーも、敵を切り裂く風や水も、放たれなかった。
白銀に煌めく剣は横薙ぎに振るわれ、その切っ先にあるバケモノどもや有象無象の事象それ自体が瞬時に塵とし切断され、剣の放つ光の裏側へ消し去られた。
残された不完全な肉体は切られたということを認識することもなく絶命し、突撃の勢いそのまま体液をまき散らしながら砕け散った。
頭やその他肉片が背後の砲兵の足元まで転がるが、ロンスン・ヴォーンはそんなものには目もくれない。
雑兵の中に面白いものが混じっていた。竜殺しに紡ぎあげた一撃を察知し、その牙から逃げた奴がいる。
パラディン伯の活動も魔法使いのそれと同じように制限されているとはいえ、ここでこの面白い奴を見逃すわけにはいかないだろう。
「聞いただろ【グレート・ゴブリン】よぉ。おれの名はロンスン、ロンスン・ヴォーンだ。まさかここまで突っ込んできて逃げるわきゃねえだろなぁ?」
大剣を軽々と振り回しながらロンスン・ヴォーンはその切っ先を【グレート・ゴブリン】へ向ける。
しかしロンスン・ヴォーンの言葉を受けても【グレート・ゴブリン】は猪に拍車をかけることはなく、装甲した猪などは主人の指示がなくとも少しずつ後ずさる始末だった。
逃げる気満々の相手に対してロンスンが舌打ちをすると、溌溂とした声が頭上で炸裂する。
「ぶうぅぅぅッ飛おおおべぇぇぇぇぇぇッ!!!!」
飛んでいる。いや、跳んできたのだ。
誰が跳んできたのかは、声の主を見れば明らかだ。
鎧とドレスを掛け合わせたような戦装束に、身の丈ほどの大剣を大上段で構え、鉄手甲と鉄軍靴の宝玉が魔法の青白い光を放っている。
大きな胸を思い切り張り、美しい黒髪を棚引かせ、背後の陣地から思い切り助走をつけて跳んできたアティアは、そのままの勢いで【グレート・ゴブリン】に切りかかった。
けれども、ロンスン・ヴォーンのように上手くはいかない。その一撃は重く、強烈で、避けようもないものだったが、切っ先は【グレート・ゴブリン】の眼前をさらに逸れて猪の項に直撃する。
鉄の装甲を施された猪の項であっても、魔道具の補助全開で数十メートルを跳んで、そのエネルギーすべてを大剣という鉄塊に込められてはひとたまりもない。
装甲と剣がぶつかり合う音と同時に骨肉が砕け圧壊する音が混じり、猪の絶叫と信じられないほど情けない【グレート・ゴブリン】の悲鳴が木霊する。
しかし強化された歴代脳筋貴族の最高峰たるタウリカ辺境伯の一人娘、アティア・ウーヌス・ゲンツェンはそんな程度の悲鳴では止まってくれない。
この娘の見た目はたしかに麗しくも豪傑な母親似だが、その中身は父親と母親の武を混ぜて練成したものだ。猪程度の首を切り落とすことを、躊躇するわけがない。
「だっしゃらあああぁぁぁッ!!」
なんだか女の子の掛け声とは思えないような声をあげながら、アティアは装甲猪の首を跳ね飛ばす。
逆に装甲猪の首が目の前で圧し切られた【グレート・ゴブリン】などは、さきほどの獰猛な顔が一気に青白くなり、こっちは逆に女の子のような悲鳴をあげている。
そりゃそうだろう、とローザリンデは思う。誰だって空から女の子がってシチュエーションは夢見るけども、魔道具のブーストで無理やり跳躍して鉄塊振り下ろしてくる女の子とかアヴァンギャルドすぎる。
「おれの戦車があああああぁぁぁぁ!!」
同情する気はないにしても、目の前でいきなり規格外の人材で戦力を溶かされた【グレート・ゴブリン】の悲鳴には、さすがのローザリンデも心底かわいそうだと思ってしまった。