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第127話「誰が見る背中」


 舌打ちをする暇すらこの戦場にはないことが分かった。

 ローザリンデ・ユンガーは小さな体には不釣り合いなサーベルを引き抜き、拳銃の撃鉄を上げて口端を釣り上げる。

 彼女がこの世に転生し、幼子である立場に自重せずに好き勝手に過ごし、吸血鬼相手に無双していた頃が懐かしく思えた。


 資源の採掘、鑑定、利用、―――そして製鉄技術とその加工においてドワーフに勝る種族はいない。

 そのドワーフたちが幼子ということもあって、そこまで厳しい態度を取れなかったところに遠慮なく取り入ったのが彼女だった。

 どこの馬の骨とも知れない幼子が、クロムモリブデン鋼やその他合金のレシピを頭の中にいれていた。


 数字を覚えておくことは苦ではなかったので、前世から引き継いだ知識の中にそれがあったのは当然とも言えた。

 片手間にあれこれと計算をすることも好きだったし、なによりそういう計算と数字の上にある物事全般が好ましかった。

 一方で、人の感情やそれに付随するものを察するのが苦手だった。そういう文化を、ずっと疎ましく思い続けていた。


 そんな価値観を変えてくれたのは、ドワーフたちだった。

 最初はただの変わった幼子がという認識だったのが、戦災孤児という来歴を知ると何人かが「同輩だ」と髭面に満面の笑みを浮かべたのだ。

 その何人かは鉱山都市のロウワラの生き残りで、戦災孤児もいれば、妻と子を失った者もいた。


 はっきりと言ってドワーフという種族は、うるさいしマナーはなってないし、偏屈で排他的で守銭奴で、むさくるしい奴らだ。

 食事なんて髭にはビールをこぼすし、くちゃくちゃとなんでもかんでも口に詰め込むし、ナイフとフォークがあっても素手で掴んで、歌うわ踊るわ大騒ぎして、食うのだ。

 最初は辟易したものだが、けれども一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、不思議とそれも悪くないと、むしろ好ましいと思えるようになった。



「ははっ……随分と毒されたな、私も」



 灰色のプロシア風軍服も、軍帽も、幼女のなりで似合うとは思っていないが、もともとが男なのだから恰好をつけたくなるものだ。

 そんな恰好をしたちんちくりんを、いや秀才だの天才だの、なになにのどこそこの生まれ変わりだの、おだてるのがうまいのだ連中め。

 こっちだって段々とその気になって、やる気だって出て、―――やれるところまで行こうと、ついついと、頑張ってしまうではないか。



「こっちは剥き出しの砲兵だ! あいつらこっちに来るぞ!!」


「おうさ! 来るなら来やがれってんだ。火力こそ正義だこの野郎!」


「石でもなんでも詰めやがれ! 黒色火薬パウダーの力を見せてやるぞい!!」



 ドワーフが叫ぶさらに先で、南部とリンド連合の騎兵を打ち負かした異形の騎兵隊は、返り血に塗れながら獲物を見定めるようにうろうろと左右に動いている。

 何かの冗談で人馬一体を再現してみたような見た目のケンタウルスの中にあって、一騎だけが金属を纏わせた巨大な猪に跨り、鎌と鉄槌をガンガンと合わせて耳障りな金属音を鳴り響かせている。

 ローザリンデは鎌と鉄槌を合わせたらアカいソヴィエトしか思い浮かばなかったが、今そんな停滞と経済崩壊で死んだ国のことなど考えてる余裕があるわけがなかった。


 髭なしドワーフの事前に打ち立てた作戦と陣形は、銃砲による火力投射を大前提として組まれていた。

 最前列はパイク兵に守られた銃兵隊、その左に我らがヴァーバリア砲兵連隊が並び、後続にそれぞれ騎士修道会と北部兵の護国連隊、さらにその後ろにロンスン・ヴォーン率いるヴォーン連隊。

 最後列に戦略予備のトリトラン伯爵率いる南部連合連隊がおり、サシュコー騎兵連隊は半々といった程度に分かれ左右に展開している。


 そしてこのサシュコー騎兵連隊の左翼側が吹き飛び、敵の騎兵隊から見たとき映るのはなにか。

 最前列で呑気に砲をぶっぱなしている我らがヴァーバリア砲兵連隊と、後続の護国連隊とヴォーン連隊。

 私が敵騎兵の頭なら、迷うことなく砲兵を蹂躙してさっさとトンズラする。というか、誰だってそうする。

 


「いぃぃぃひっひっひっひ!! 止めるものなら止めてみろ、この波は止まらないぞおおおぉぉぉ!!」



 その咆哮を聞き、ローザリンデの頭の中にふっと【グレートゴブリン】という語句が浮かぶ。

 この段階に来てしまった砲兵に出来ることは、決して多くはない。むしろ究極的な二択しかここには存在しない。

 遁走にげるか、るか。答えは決まってる。



「弾種散弾! 俯仰角ゼロ距離砲撃を準備せよ!!」


「がっはっはっは!! なんのなんの、もう準備良し!!」


「砲が花っぴら開いちまっても文句は無しじゃ!! ぬっはっは!!」



 砲兵の交戦距離ゼロがなにほどのものか。

 私と私たちの砲兵連隊は、吸血鬼どもの引き籠る洞穴の前まで砲列を持っていき、硫黄やタールを詰めた中空の焼夷弾―――カーカス弾を撃ちまくって吸血鬼を蒸し焼きにした。

 その過程でたまらず洞穴から出てきた連中に、相手の白目と表情が分かるほどの距離で散弾をぶっぱなしてやったことだってある。


 それでも、それでもだ。

 いつだって怖いものは怖い。気絶しそうなくらい怖い。

 自分の精神がそれに耐えうるとしても、まだ成人を迎えていないこの幼体はその恐怖に素直に反応する。


 手足が震えているのを誤魔化すことはできても、声が微かに震えるのは気付かれてしまう。

 けれどもこのドワーフどもは、それに気づいて口元を緩めていやがる。まだまだあのローザリンデも小童じゃとでも思っていそうな顔で。

 このクソドワーフどもめ、と思う一方で、そのドワーフどもに助けられている自分がいる。


 親のいない天涯孤独の少女が、黒色火薬と鉄の息吹で戦場に立てたのはドワーフあってこそ。

 家族のいない修道会が運営する孤児院を抜け出して、育ち盛りのこの少女を迎え入れ、食事を取らせ受け入れたのはドワーフたちだ。

 偏屈で排他的で守銭奴で、むさくるしい奴らだが、ローザリンデにこの世でたった一つ家族と言える存在が、このヴァーバリアのドワーフたちだった。



「すまんな、みんな」



 呟きは無意識に喉から零れだして、戦場の喧騒に掻き消されてしまう。

 戦場というのはこれだから。死を前にして口にした大事な一言や呟きが、こうも簡単に掻き消されてしまう。

 その搾りだした言葉にこそ、大切で大事で、まことであるというのに。


 ぐるり、と【グレート・ゴブリン】の首がこちらを見る。

 来るなら来るがいい。火力の真髄、戦場の女神、我らが砲兵は最期の一時まで槊杖と火種を手放さぬ。

 最強の火砲をこの世に作ると決めた日から、ローザリンデは、砲兵として死ぬ覚悟は出来ているのだ。



「撃ち方、用意ッ!!」


「とっくに用意!!」


「こちとら号令待ちじゃ!」


「――――――撃てぇいっ!!」



 ドドドドォンッ、と腹の底に響き渡る砲音が響き渡り、黒色火薬の硝煙が前方の視界をゼロにする。

 この程度の突撃破砕射撃であのバケモノどもを制圧できるとは、誰も思っていない。だからこそ、発砲と同時にローザリンデもドワーフも、武器を構えて硝煙の向こう側からやってくる死の気配に対し気を張り詰めた。

 地面を震わす蹄の音が近づいてくるのを感じ、心臓が死の予感を察して煩わしいばかりに高鳴り出す。だが逃げはしない。背を見せるわけにはいかない。



 ―――我ら決して背は見せじ。



 冷や汗が肌を流れるがそれを拭う暇さえなく、砲兵はその最期の瞬間を待ち構える。

 もはや砲は使えず、あとは運任せといった状態であるにもかかわらず、この後に及んで逃げる者はどこにもいない。

 騎兵に騎兵の矜持があるように、砲兵には砲兵の矜持がある。生き様があれば死に様もあり、それを決めるのは砲兵たる己の行動のみ。


 しかし、ローザリンデとドワーフ、そして砲兵たちに訪れたのは死ではなかった。

 背後から吹き抜けた風が硝煙のカーテンを引き裂き、猛進するバケモノどもに襲い掛かる。

 それは自然現象にしてはあまりにも突然で、強力で、意図的に過ぎた。


 引き裂かれた硝煙のカーテンの先には、前脚を上げいななくバケモノどもが見えた。

 距離にして一〇メートルあるかないか、あのまま突っ込まれていたならば、ここにいる者の命はなかっただろう。

 そして、そのバケモノどもの前に立ちはだかる背中が一つ。


 風に揺れる赤毛は短く、構える剣は陽光さえ受けていないのに不思議と白銀に煌めいている。

 棚引く緋色のマントは英雄叙事詩の挿絵に使えそうなこの光景の中にあって、本当に文句なしに恰好がよく、様になっていた。

 誰とは聞くまい。何故とも言うまい。この男は行きたいところに行き、やりたいようにやり、理不尽に対して不敵に笑う。



「来いよバケモノども。バケモノを斃すのはいつだって、人間の仕事だろうがよ」



 パラディン伯ロンスン・ヴォーンとは、そういう男だ。

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