第126話「逃げぬ代償」
冒涜的な闇の軍勢はその数を増しに増し、魔法使いの計測によれば一万にも昇る。
それは正確な数字とは言えず、その反応は人であったものの反応した数であり、単に犠牲者の数でしかない。
タールの沼から這い出した肉塊のようなものから、子供が面白半分に人馬を繋げたようなもの、そして頭だけが動物のものに置き換わったものなどさまざまだ。
その中心にいるのが、ドワーフたちが怨恨の矛先と定めたロウワラの獣、一番巨大な影である。
それはまるで蜘蛛とサソリが合わさって、全身に腫瘍ができたようなグロテスクな姿をしている。この世のものとは思えない。
ゆらゆらとまるで夢遊病かのように八本の細長い足を忙しなく動かし、巨大な尻尾を天に向けてぴんと伸ばし、黒々とした両腕をしきりに地面に叩きつけていた。
そのような怪物の群れという見た目の割に、戦列はしっかりと組まれていることをコウは見抜いた。
最前列には転がる肉塊に適当に手足をつけたようなものがポツポツと散らばっており、中にはキラキラと刃物かなにかを持っている連中が混じっている。
その後ろの前列には右腕が槍のように、左手が盾のように変化した者たちのファランクスが敷かれ、それは縦横に十六列という一つの隊が複数並んで構成されている。
ファランクスの後方にはケンタウルスというにはあまりにも無理やりすぎる見た目をした人馬一体の怪物の騎兵隊が左右に二個ずつおり、その騎兵隊に挟まれて件の巨大な影が鎮座していた。
最後列にいるのはまるでゾンビのような、あるいはグールなどといった呪物的な化け物たちの群れで、中にはファンタジーものに時折登場するトロールのような巨大なものも混じっている。
これらすべてを俯瞰してみると真ん中の巨大な影、ロウワラの獣や後列に並ぶトロールや、ケンタウロスてきなモノなど見た目のインパクトがすさまじく、無秩序な群れにしか見えなくなる。
だが、しっかりと前から順々にその陣容を見てみると、この陣形がどういうものなのかがはっきりとしてくる。
少なくとも新刊から古本に至るまで心もとない財布の中身を溶かしながら、趣味として歴史戦史に軍事を漁っていたコウにはそれが分かった。
最前列に散兵、前列に密集槍兵、左右に騎兵部隊を置いて、最後列に歩兵を置くやり方。
「多分……マケドニアン・ファランクスだなぁ、これ」
アレクサンドロス大王率いる、マケドニア王国の重装歩兵と重装騎兵による機動戦、鉄床戦術。
前面の散兵とファランクスによる圧迫で敵の主戦力を拘束し、そこに側面や後方から機動力に富み、突破力絶大な騎兵をぶち込む戦法だ。
これによってアレクサンドロス大王、かのイスカンダルはペルシャ帝国の軍勢を何度も破り、歴史に名を刻み込んだ。
―――とはいえだ。
「こっちは三叉路の小高い丘に布陣して、魔法使いの感知術式も使える。砲火力もある。ファロイド連中の斥候もいるし、リンド連合は大部分を撤退させたとはいえ、まだ二個大隊と騎兵隊を残してる。伝令はたっぷり、疲労はあるが、ベルツァールの整備された道路網とニルベーヌの兵站で補給はしっかり。……やるっきゃねえなぁ、これは」
高所を確保し、偵察と情報優位にあり、砲火力において優性であるだけでなく、補給において困難はない。
なにか負けるような要素や見落としはあるだろうか? 自分で気づいていない驕りが、どこかにあるだろうか?
化け物と対峙しているこの状況にあっては、今更それらをかえりみてみることも難しいが、頭に浮かぶのはどうしたってそれだけだった。
腰に帯びた自分の剣の柄を触り、臆病な自分の中から、傘を剣に見立てて振り回していた自分を掘り起こす。
男の子なら誰だって経験があるかもしれない。傘を右手に、空っぽのランドセルを左手に持って、チャンバラをやる。
あの頃の無邪気さと出所不明の自信が、ほんの少しでも欲しかったのだ。
おかしいな、とコウは思う。
自分が読んでいた【異世界転生小説】っていうのは、もっと主人公はどっしりと構えているのになと。
意識していないと手足が震えてきてしまうのは、決して武者震いなんかじゃないのだ。
これは、死に対する恐怖ではなく、失敗を犯してしまうことへの恐怖。
自分にとってかけがえのない存在、家族同然の存在から失望され、敬遠されてしまうことへの恐怖だ。
当たり前の事実から、目を逸らしたいからこその恐怖だ。
「逃げて、たまるもんかよ」
オレには帰りたいところがある。
帰りたい日常がある。
帰りたい居場所がある。
ドワーフの【還り石】の深いところの役目は、そういうところにあったのだと今なら分かる。
ただ位置としての家へ、家族の下へ帰ることを約束するためのものであると同時に、困難に直面した精神がその困難と共に釘付けにされてしまうことを避けるため。
心を戦場に置き忘れることがないように、きっちりと自分のあるべき居場所、あるべき日常へきっと還れるように。
その思いを、願いを、祈りを、アイフェルはオレに与えてくれた。預けてくれた。
それは今もきっと、アイフェルであれルールーであれ、変わっていないはずだ。
だったらオレにできることは、もう決まっている。
「伝令! 砲兵隊の目標は敵の密集陣に全部叩き込めとローザリンデに伝えろ!! 騎兵隊は左右に展開し、敵の騎兵隊をこちらの中央に絶対に突っ込ませるな!!」
馬に乗った伝令とその護衛が砲兵隊と騎兵隊へ向け、すぐに走っていく。
あとはもう、過去の自分が命令した陣形と作戦がどう転がるかだ。
けれども自分にできることは、まだ残っている。
肩にライフルド・マスケットを担ぎ、剣を腰に下げながら、オレは前へ前へと足を進めながら叫ぶ。
「銃兵隊はオレに続け! 散兵の数を減らすぞ!!」
仕事はまだまだ、たくさんある。
―――
失敗した転生者であるロウワラの獣は、最初は独りの転生者の妬みから生じたものであった。
しかしこの妬みは〝澱み〟によってさらに深く、他人の生死を己がものとしようとするところまで堕とした。
妬みによって落とされた【彼】がこの〝澱み〟の姿を真に理解することができたのは、その肥大化した妬みとその影に潜む後ろめたさゆえに、だった。
【彼】が見たそれは、比喩的な表現ではなく、まさしくこの世ならざるモノであった。
螺旋のように深く底へと続くそのイドの中にあるのは、この世に転じて生まれ理不尽に死んでいった転生者たちの恨み、妬み、哀しみ、怒り、それらすべてだ。
赤黒く、時に白く、まるで人体の構成物質で敷き詰められ、練り固められたようなそのイドは、一つの存在によって穏やかに支配されている。
暗黒のベールを被り顔を隠し、深淵の腐敗をドレスとして女性の身体を包み込み、醜い転生者の不良物件たちを愛し愛でる存在。
慈愛と慈悲深き存在にして、その背後に伝説の半巨人、かつて光の巨人と謳われたものの成れの果てを従える存在こそが、澱みの宗主、信徒たちの崇拝する神にも等しいもの。
それこそが常闇の虚、光も一筋すらも届かぬイドの底にて愛と加護をもたらす存在なのだ。
彼女の寵愛を受けるイドの不良物件たちは、そうして自ら進んで加護のための燃料として消費され、イドの最奥たる深淵に満足して堕ちていく。
前世においてなにをしたかを彼女は区別しない。この世に生まれて理不尽、あるいは理不尽と思えるようなことで死んだ無念の残滓たちを、彼女は皆、愛している。
彼女に向けられる感情が醜い肉欲であっても彼女は等しく愛し、彼女に愛されたものたちは〝澱み〟の力となって消費されていく。
ロウワラの獣にもたらされた加護は、名づけるならば【暴食】といってもいいものであった。
自分にないものすべてを欲しがり、食い漁り、腹の中に蓄えては己がものとしようとし続ける。
獣の腹の中には万にも及ぶほどの多種多様な者たちが蓄えられ、その中にはかつてベルツァールで、あるいは他の国で死に、負の感情を腹に持ったものもいる。
もともとが転生者であるのだから、それを使わずに、腹の中で蓄えているだけなわけがない。
ファランクスを組むのは一人の元転生者だ。彼はいまや一人にして数百、一にしてすべてとなり【ファランクス】という名が彼そのものとなっている。
彼はベルツァールの北、ノヴゴールよりも先にある戦乱渦巻く【北方諸王国】にて『移動要塞』と評されながらも、敵陣で包囲され最期の一兵になるまで戦い、死んだ者だった。
「「「「ひゃっひゃっひゃ。敵じゃ敵じゃ、敵ばかりじゃ!」」」」
一人が喋れば隊列の皆が喋るさまは、気色悪いとしか言いようがない。
それでもその隊列はすべてが【ファランクス】である彼であるからこそ、人のそれよりもはるかに統率されている。
彼は最盛期にして死に際でまでそうであったように、何体が犠牲になろうが敵を殺すためだけに特化している。
騎兵隊は、人ではない存在に転生した元転生者が手綱を握っている。
ケンタウルスのような化け物の中に一体だけ、そうでない者がおり、その者は鎌と鉄槌を持っていた。
彼はノヴゴールにおいて鉄猪を駆り、四つの氏族を滅ぼしたゴブリンの末裔であり、その体躯はオークと呼んでも遜色ない。
そんな屈強な身体で自分勝手なゴブリンたちを纏め上げ、荒々しい猪を躾て騎乗し、その勢いと質量で敵を粉砕したのが彼だった。
彼によってさらに三つの氏族が滅び、いくつかの氏族が連合を組んで討伐に至るっても、彼は突撃を止めずに突き進み、最期は二つの氏族長の首を両手に持って矢の雨を受けて死んだ。
彼は前世より【梯団突撃】という理論を持ち込み、それを数だけは多いゴブリンと、気性は荒いがなにより強靭で強い猪に装甲を盛り付け、ひたすらに突撃し敵を粉砕したのだ。
彼の名は知られていないが、彼の引き起こした恐慌と凄惨さからベルツァールにも【小鬼洪水】という言葉があるほどだ。
実際、この偉大な【グレートゴブリン】の突撃戦術は、知恵に浅いゴブリンどもの最後のとっておきとして、今なお氏族や諸侯を悩ませる原因となっている。
現実として、この戦場にはかつてないほどの転生者、あるいは元転生者が集っていた。
髭なしドワーフのコウ。
砲兵少女のローザリンデ。
革命者のサトル。
―――対するは、
【ロウワラの獣】
【ファランクス】
【グレートゴブリン】
数にして対等ながら、上位存在より賜った技能に関しては加護に厚き元転生者たちが勝っている。
ここに事実として、ローザリンデの命令により【ファランクス】目掛けて撃ち出された丸弾などを見ればいい。
密集隊形にこそ火砲をぶつけるべきという、コウの判断は間違っておらず、ローザリンデも至極当然と思ったから撃ったのだ。
だというのに、この【ファランクス】は火砲の音がすると前進をやめ、盾と槍を隣のもののそれと交差させ、地面に突き刺して耐えた。
意味不明だった。たしかにいくつかの丸弾は貫通して盾ごとその列をぶち抜いてやったが、丸弾に対してうまいこと傾斜角を取れたものは、それを弾いた。
ローザリンデとドワーフと、そして王都の砲兵の次弾装填の作業が一瞬遅れたのは、当然とも言えた。
「「「「ひゃっひゃっひゃ。何じゃ何じゃ、こればっこか!?」」」」
一方で、鉄床戦術の機動部隊としてコウが睨んでいた騎兵隊も、意味不明な行動を取った。
右翼の騎兵隊が左翼を置き去りにして一人でにベルツァール王国軍の中央目掛けて突撃しはじめたのだ。
この騎兵隊の進む先には有象無象のヒト型の生き物を捏ね合わせた肉塊が散兵代わりにいたのだが、それらを踏みつぶしながら【グレートゴブリン】は進む。
それを見て咄嗟に動いたのは対面に位置していた南部連合の騎兵と、リンド連合の騎兵の混合部隊だ。
敵片翼が動いたことにあわせて、両翼の騎兵がどちらも動いてしまっては動きのない敵左翼騎兵に荒らされるだけだ、という判断だった。
数にして南部連合騎兵とリンド連合の騎兵の方が優位だったこともあり、彼らは共に武功を競うようにして左手に手綱を、右手に拳銃を持って迎撃にあたった。
「なんだぁ? たったのそれっぽっちかぁ!?」
予想外だったのは、彼らが迎撃に動き出したのを見た【グレート・ゴブリン】は野太い高笑いをあげながら敵陣目の前で反転し、南部連合騎兵とリンド連合の騎兵目掛けて突進しだした。
銃兵隊が味方のファランクスに守られながら撃ちまくっている、その目の前で突然の停止、そして狂ったような再びの突進。
銃兵隊を率いるコウには、意味が分からなかった。さきほどからなぜ、そんなことをする必要があるのかと、頭痛がするほどに考えているのに答えが見つからないのだ。
突進の矛先を向けられた騎兵は一瞬、それぞれの隊長の背中を見た。
南部連合騎兵の隊長とリンド連合騎兵の隊長は別個に存在し、二人が騎兵同士意気投合したため、つい昨日までの敵と共に戦列を組めるようになっていた。
その二人の隊長はどちらも舌打ちを堪え、迫りくる運命を目の前にして部下たちが望む命令ではない言葉を発した。
「「撃てぇっ!! 総員、剣を抜けぇぇぇい!!」」
騎兵だからこそ分かる。
ここで引いてしまえば、必ずあの化け物どもは尻か横っ腹を食い荒らしにくる。
ならば、引いてはならぬ。弱みを見せてなならぬ。それが、騎兵なのだから。
「騎兵ならば死中に活を見いだせい! 者ども我に続けぇぇぇ!!」
声高くサーベルを掲げ、騎兵の先鋒を担う男こそ、シモン・バドニーその人だった。
そうして二つの騎兵が一瞬のうちに正面衝突し、戦いは一瞬のうちに決した。
南部連合騎兵とリンド連合騎兵はまるで壁にでもぶつかったように吹き飛ばされ、真っ二つにされ、馬上から投げ出されて地面に叩きつけられた。
無事に交差できた者は、わずかに十数騎。
その意味を理解するのに時間はいらなかった。
この時、ベルツァール王国軍の左翼騎兵が、壊滅したのだ。
暑さに苦しんだり腰痛に苦しんだり、ワクチン副反応で寝込んだりしたので初投稿です。
相変わらず感想やレヴュー、その他なんだかんだをお待ちしております。