第120話「たった一つの手っ取り早いやりかた」
意識が現実に戻ってくると、オレは記憶の混濁を受け入れざるをえなかった。
たかが一人の記憶などではない。数人の、あるいは数十人の、革命に燃える者たちの記憶に身を投じたのだ。
その渦中に身を置いて、自分の記憶だけが無事であるわけがない。
自分が自分である垣根が少しだけ解けてしまったかのような、気味の悪い感触がオレを襲う。
何十人分の五感の感覚が頭の中で混じり合い、今の自分が感じているものがいったいどれだったのかが分からなくなる。
そんな中で、唯一オレの感覚だと信じられるものは、―――身体の節々に感じる、あの忌々しい痛みなのだった。
「……事情は、分かった。でもな、これを何度も何度もやってきたのかよ、お前は……?」
「それが、手っ取り早かったんだ」
机を挟んだ向こうにいるサトルも、少しばかり青い顔をして椅子に座り込んでいる。
オレがサトルの記憶の中に入り込んだ時、こいつはオレの記憶の中に入り込んでいた。
何十回もこうしたことを繰り返して、自分の思想を広めていったのだとしたら、凄まじい覚悟と忍耐力だ。
「とんだ自己犠牲の精神だな……、オレには絶対真似できねえ」
「僕は特別に弁が立つ人間じゃないからね。僕は、ただの転生者で、この≪ギフト≫だけが僕の武器だったんだ」
「お前は、それを精一杯に利用したってわけだな」
「そうでもしなきゃ、国崩しなんかできるわけがないだろう?」
眼鏡をはずして目元を揉みながら、サトルはしずかにそう言った。
実際、革命の手順は早まったとはいえそれを完遂するには十分に的確だった。
国家の象徴を害そうとした元首が、腐敗を許さない相続者によって廃され、新たな体制を掲げた者たちが武器を取る。
フランス革命よりも、ロシア内戦よりも、リンドブルム公国で起きた革命は何も知らない民衆には受け入れやすい。
リンドブルム公国が建国された、いわゆる建国神話の中に組み込まれている炎龍バルザックを、異端に堕ちたフロリアンは傷つけ、殺そうとした。
その記憶をサトルが持っているということは、この記憶は鮮明にほかの者たちへ共有されたに違いない。
自らが見たもの以外に信じない、という頑なな人間でさえ、実際に目撃した記憶を見たならば無視はできない。
自分の記憶に誰かが入り込み、それが何度も何度も掻き回され混じり合っていくという気味の悪い感触を無視すれば、《侵食心神》は最大限に威力を発揮する。
その下積みと革命組織作り、そしてフロリアンの行為がが組み合わさり、リンド連合は国内における正統性を声高に叫ぶことができたのだろう。
そうして考えれば、リンド連合が≪澱み≫の本拠地、あるいは一拠点とされるノヴゴールを有するベルツァール王国に疑念を持つのは仕方がないことだ。
フロリアンの正統性固辞のために南部諸侯が連合を組んで、対革命干渉として国境を越えたとくれば、その疑念は現実的脅威に刺激され、潜在的仮想敵へと傾く。
互いが互いについての正しい情報を持っていないがために、交渉できる余地を自ら潰し合ってしまったのだ。
「……それで、そっちとしては≪澱み≫の根絶が狙いなのはわかった。だが具体的にはどうするつもりなんだ?」
椅子に腰を落ち着けて、オレは問う。
リンドブルム公国における革命と、その革命への干渉として南部諸侯連合が攻め入り、血が流れた。
そして今度は南部諸侯連合へリンド連合は攻め入り、ここでもまた血が流れた。
その総量は決してバケツの数などで測れるものではない。
問題はその流された血に見合うだけの道筋を、オレたちが選ぶことができるかどうかにかかっている。
サトルはじっとオレを見つめ、気だるそうな雰囲気を隠すこともなく、重たい口調で言った。
「ベルツァール王国とリンド連合、そしてマルマラ帝国の三か国での十字軍……そして≪澱み≫に対抗するために、リンド連合は魔法使いたちへの制限撤廃を申し出るつもりだ」
「魔法使いの制限撤廃はベルツァール王国にとって利益になる。だが魔法使いたちにもっとも抵抗したのは、リンド連合―――リンドブルム公国じゃないか」
「二〇〇年の禍根を踏みつけたまま、今そこにある脅威に打ち滅ぼされるなど御免被る。僕らは現実的脅威に対処することに最善を尽くす」
「だとしても、最短で頑張ってもノヴゴールへの十字軍は冬明け。そこから準備をして、出来て夏だろう。大軍になればなるほど準備期間は増す」
「僕らリンド連合から出せるのは、正規兵と連合中央議会への忠誠心の高い親衛隊だけで編成した数個連隊に留まる。民兵には任せられない」
「民兵に来られて王国内で山賊になられるよりは遥かにマシだ。こちらは北部諸侯を中心に軍をまとめることになると思う。数は招集しなきゃなんとも言えない」
「……問題はマルマラ帝国が、王国と連合の働きかけでどれだけ動いてくれるか」
「だな。この話、マルマラ帝国にはあまりうま味がない。―――協力が欲しいってのは、そういうことか」
「この話はリンド連合、つまり僕らだけが働きかけても実現性は低い。ベルツァール王国からもアプローチを掛けてもらわなきゃ、帝国は本格的に動いてはくれない」
「≪澱み≫を本格的に潰すとなれば、なんとかして帝国を動かさなきゃならないわけか」
「そして帝国に魔法使いたちの力が必要だと訴えかける必要がある。今、僕らには魔法の力が必要なんだ。それがたとえ、暗い過去をもたらした元凶であったとしても」
協力してくれないかと、サトルは続ける。
これは≪澱み≫という新たな時代の脅威に対処するためなのだ、と。
そう言われてしまえば、オレが言えるセリフは限られている。
スクルジオを洗脳し北部で暗躍した≪澱み≫の魔女、ミレアとの戦い。
そこで負った傷と損失はそう簡単に忘れられるものではなく、今なお関節を苛む痛みは奴のせいといってもいい。
革命の主導者と、軍師の密会―――、もし歴史書に乗るとしたら、これは中々に興味深い記述がされそうな気がして実に楽しい。
十字軍がここから始まるのだと考えれば考えるほど、身体の芯からぶるぶると震え上が湧き上がってくる。
これは恐怖の震えではないと自分でも分かっている。恐怖の震えの方がよっぽど正常でマシな生理現象だと分かっている。
だが、オレは知っている。これは、いわゆる武者震いなのだと。
「いいじゃないか。転生ものらしくなってきやがった」
そうして、会議は再開する。
三つの陣営の中に、共通した目的を持つ者、二人を孕んで。
2021年になったのて初投稿です。