第114話「ローザリンデの忠告」
ぐっすりと寝ても疲れが取れない日はよくあるものだ。
気だるげにルールーのいないベッドから這い出して支度を整え、朝食をとり、オレは自分の部屋で仕事を始める。
椅子に座って机に向かい、紙を眺めてそれに目を通し、ペンでインクを走らせ次の戦いに生かす仕事だ。
戦争というのは、実際の戦闘よりもその後のことの方がすべきことが多い。
ただ死者を埋葬するのではなく、死傷の統計を取らせたり、負傷者の傷の種類と程度も記録させたり、オレが増やした仕事も多いのだが。
しかし、戦争についての知識だけのオレが、こうした実戦に適応するためにはそうした分かりやすい『数字』がいる。
「つっても、実際に数字としてまとめられると、結構精神的につれーなこれ……」
銃創や刀傷を始めとする歩兵の死傷者、騎兵は落馬による打撲や骨折、あるものは死にあるものは生き残る。
医療の知識を持つ者は限られていて医薬品も無制限ではない。魔法使いたちの治癒魔法は使い手によっては後遺症が大きく、魔力の規定もあって数には入れられない。
つまるところ負傷者がすぐに戦列に戻ることはできず、死者も蘇生魔法などない(あるいは規定で使えない)ために、兵力の回復は出来ない。
「数が……数字が足りねえ……」
「兵数が足りないのかね、髭のないドワーフくん」
「うわびっくりした! ローザリンデか、ノックぐらいしろよ」
「これは失礼。私の砲兵どもの火薬の精確な量を報告しに来た」
不敵な笑みを浮かべながら灰色の軍服姿のローザリンデ・ユンガーは、部屋にあった椅子に座る。
「補給がなければ私の連隊は五斉射もしないうちに火薬切れだ」
ソプラノの声でそう言いながら苦笑するのは、灰色の軍服姿の幼女。
豪奢な銀髪と小さな体躯、胸も尻もない完璧なつるぺた幼女体系。
そんなギャップ駄々漏れの見た目にギラギラと輝くのは、琥珀色の瞳と幼女らしくない妙に年を食った笑み。
とはいえ、目の前にいるのはオレと同じ転生者だ。
目指せ近代砲兵火力を目標にするこのローザリンデは、軍事的な相談相手としてこれ以上はないだろう。
もう一人の適任のガルバストロ卿は補給面で忙しく胃痛が酷いそうなので、相談すらできない状態だったりするし。
オレは書類を横にどけて、薄めた葡萄酒をカップに注ぐ。
それをローザリンデの分も用意しつつ、オレは「五斉射分かぁ」と呟いていた。
ついでに干し肉を出してそれを噛みちぎり、少しばかり腹の足しにする。
「それじゃ砲兵火力で敵を蹂躙とかはできねえな」
「敵の砲兵を潰してこれからという時なのだがなぁ。誠に残念だよ」
「ははは……。一応、休戦からの共存を考えてるんだけどなぁ」
「あくまで休戦交渉、それが講和に結びつくかは政治屋の仕事だ。我々は軍事の最善を尽くすまでさ」
「まあ、それが正論ってやつかな……、ははは……」
苦笑しながら薄めた葡萄酒で唇と喉を湿らせる。
実際問題として休戦までは軍人の仕事だが、講和や和平となるとそこからは政治家の仕事だ。
軍人は軍の運用や結果に責任があると同時に、その手の状態に通じているが、国家となればそれは政治家の領分だ。
オレはベルツァール王国がどれくらいの国力があり、どの程度の問題があるかの全容を把握していない。
その点、王国政治家の筆頭であるニルベーヌ・ガルバストロは知るべきこと知らぬ方がいいこと、すべてに通じているのだ。
名目上、軍の作戦運用を担当する軍人であるオレは、政治についてあれこれと口を出すつもりはない。
「しかし、軍事の最善を尽くすとはいっても、もう一戦交えるとしたら増援がなきゃ戦えないな」
「で、あろうなぁ? いざとなれば我が連隊は斧と金槌を持って敵と戦うこともできるが、それを他の連隊に求めるのは酷というもんだ」
「職業軍人と募兵じゃ練度も士気も、なにもかもが違うからな。そういう点で、騎士修道会たちの奮戦は予想外だった」
「ほう、そうだったのか。あれがあったからこそ騎兵突撃があそこまで成功したというものだろう?」
「全部オレの思った通り……とはいかねえよ。騎士修道会が単独で持ちこたえるどころか、逆襲までするのは想定してねえ」
「思った以上に上手くいった、というのが貴様の素直な感想なのだね」
「その通りだよ。上手く行き過ぎた感さえある。今のとこ……な」
「良いではないか。軍人たるもの、良い結果は素直に喜ばねば。―――とはいえ、正直に言うと貴様にそれは難しそうだな」
「よく分かっておいでで」
「そんな状態でよくもまあ、前線で兵と共に戦おうという気になれたものだよ」
くつくつ、と喉を鳴らしながらローザリンデはカップを煽る。
「しかし貴様の考えは正しい。指揮官が見ている前での発砲率は高いと証明されていたはずだからな」
「そ、そうだったのか……。オレはただ、こんな混成部隊だから士気を保とうと思ってやっただけなんだが……」
「指揮官に監視され命令され、また同じように命令された者が多くいる。このような場合、殺人のハードルはぐっと低くなる」
「殺人って……そりゃ〝人殺しの心理学〟ってやつか?」
「ああ、そうだ。―――人が人を殺すためには距離がいる。自己の責任を逃避させる必要がある」
干し肉の欠片を指先でつまんで、ローザリンデはその口元から笑みを消して続けた。
「文化的距離、敵の人間性を否定すること。倫理的距離、倫理的優越と正当性の確保。社会的距離、思想や階級への優越」
「それらすべてが強い副作用を持つ劇薬だ。それは敵の人間性を否定し差別し、慣習的に誰かを貶めることになりえる」
「だがそうしてやらなければ、人間というのは直接的に人間を簡単に殺すようにはできていないわけだ」
「その本の内容、もう一つあっただろう。距離について」
「そうだな、副作用が少ない新薬だ」
そう言ってローザリンデは干し肉をつまみ、カップの中身をすする。
彼女はその続きをまるでオレに言わせたいようだった。
オレは干し肉のものでも葡萄酒のものでもない苦々しさを口の中に感じながら、その続きを口にする。
「機械的距離……殺人の認識を非現実化させる……」
「銃や大砲、あるいは爆撃だな。機械を通し距離を置くことで殺人の意識は希薄化する」
「性悪女め」
「幼女に吐くセリフではないな。酷いじゃないか」
「中身はどうせおっさんだろうが!!」
「否定はできんな。―――さて、その年の功がある先人から、一つ忠告しておくぞ。髭なしのドワーフ」
空にしたカップをことりと置いて、ローザリンデはオレの喉元を指で軽くつく。
「戦争は代償をもたらす。物的人的すべてにおいてだ。それはお前の心さえ蝕むことになる」
「心的外傷後ストレス障害……いわゆる、PTSDか」
「ああそうだ。今は大丈夫だとしても、きっと苦しめられることになる。君のために言っておくが、この戦争が終わった後はすぐに帰郷せず二週間は南部で休め」
「それは……そっちの方がオレのためになるから、か?」
「もちろんだ。髭なしのドワーフは知ってか知らずか、兵を戦わせる方法をよく選び戦い、そして勝った。良き指揮官を無為に失う理由はなにもないからな」
「………あんたは、オレの指揮で戦って、良かったと思うか?」
「上手いこと勝ちを拾ったんだ。嫌う必要はあるまい」
もてなし感謝する、と幼女の皮を被った砲兵連隊長は立ち上がる。
立ち上がった彼女に対してオレはそうすべきか数秒悩んだ後、手を差し出した。
彼女はその差し出された手を不思議そうに眺めた後、くすりと笑って手を握った。
「私個人の意見としては、話し合いがまとまれば良いと思っている。連隊をここで失いたくはないからな」
「誰だって同じことを考えてるだろうさ。オレたちが戦えるのはここまでが限界だ」
「それが分かっている指揮官だからこそ、私は君が好きなのだよ」
不敵な笑みを浮かべた幼女に「好き」と言われ、オレは恥ずかしくなって赤面する。
そんなオレを見て面白かったのか、ローザリンデは愉快そうな笑い声をあげながら去っていった。
なんだか敗北感がずっしりと肩にのしかかってきたので、オレは葡萄酒をカップについで、それを一気に飲み干した。
マルマラ帝国の全権委任大使が来るまで、あと三日ほど。
それまでするべきこと、しなければならないであろうことが山積みになっている。
まずはオレがやった《三叉路の戦い》を分析し、王国の勝因と連合の敗因を調べるところからやらなければ。
髭なしのドワーフはそうやって、口に干し肉をつっこんでは、再び書類とにらめっこを始めるのだった。
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