第113話「美女の膝枕」
美女に膝枕をしてもらえることに、なにか文句をつけることがあるだろうか。
たとえば太ももの柔らかさが足りずになんか固いだとか、煙草の匂いがするだとか、膝枕のはずがなんか膝がゴリゴリ頭に当たっていて痛いとかあたりか。いやそもそもそんな経験が皆無なので、そうしたシチュエーションが発生して本当にそんなことが起こり得るのかすら分からないのだが。
しかし今回はなにも文句をつけるべきではないだろう。それが上等なベッドの上で汚れのないシーツもつけて、心落ち着く香が焚かれているときたら。
そりゃもう、文句なしだろう。―――本来ならば。
「まったくもう、どうしてコウってばこんなに無茶するんですか? 身も心も壊れちゃいますよ?」
「たしかに今回ばかりは無茶した自覚があるけど、だからって拘束術式を使ってまで膝枕する人に言われたかねえよ?」
「人聞きが悪いですね。これは拘束術式ではなく、香と合わせての催眠術に近いものですよ」
「でも体の自由を奪っているってところは変わってないからね?」
「ええ、もちろんですよ。それが主たる目的なんですからね」
「自信満々に言うセリフじゃないからね? 監禁してるってこと分かってます?」
オレを上機嫌に膝枕しながら、そのほっそりとした白い指でしきりに頭を撫でてくるのはルールー・オー・サームその人である。
ここはオレが与えられた部屋であり、建物の玄関先には警備の兵がおり、なんならこの部屋には鍵を掛けといたはずなのだが、いつの間にかこの貧乳美人は警備の兵を突破して不法侵入に成功し仕事終わりのオレを待ち伏せていたのである。いくら身内とはいえこれでは警備の兵の意味がない。
そこからさきは本当に目にもとまらぬ展開で、オレは項にこそばゆい感覚を覚えてぶるるっと震えた瞬間、全身の力がふっと抜けて膝を強打し、さらに床に額を打ちつけて気絶し、目が覚めたらこの膝枕に頭を乗せて落ち着いていたのであった。
焚かれた香の匂いはセージに似ていて独特だが、それとなにか混ぜ物でもしているのか変な香りとは思えない。いい香りだった。
オレの側頭部に感じるルールーの細い太ももの感触は、細いといっても女体であることを意識せざるを得なくなる程度には柔らかい。頭の重さでふにゅりと形を変えて、こっちの世界に転生してから使ってきたどんな枕よりも心地よいと思えたほどだ。良い具合にフィットしていて、首が痛くならない。
それでも、オレの気分はあまり晴れない。苛立ちはありはするものの、それよりも大きな感情が胸のあたりに溜まっていて心を曇らせている。
たしかにルールーは魅力的で可愛らしくて、放っておけないダメ姉のような人だ。そんな人に膝枕されて香の匂いを堪能しながら、ベッドで横になれているのに、オレの気分は曇り空のままなのだ。
こんなにもうらやましがられて当然な状態だというのに、この心地よさとの合間に灰色の壁があるような感じがする。
「……コウは優しくて、人に頼ったり、人を使ったりするのは得意かもしれませんけど、人と打ち解けあうのは苦手ですね」
「なんだよ、いきなり。説教ならせめて交渉が一段落してからにしてくれよ。今だって野盗化した両軍の兵の処罰とかで、結構忙しいんだ」
これは事実だった。野盗にならずとも、宿営を勝手に抜け出したりして大なり小なり略奪している者もいる。徴集と言い張っているが、南部諸侯たちが住民と結んだ徴集契約にそれらのものは入っていない。むしろ勝手に略奪したものは戦後にこちらが補填しなければならないパターンだってあった。それらの処理が出来るだけ軽く済むように、今から手を付けていたのだ。
「ええ、えええ分かってますよ。まったくもう。コウはそんなだから人に弱音の一つも吐けない性格になったんですよ。意地っ張りなんですから」
「うるせえや」
「まーたそうやってはぐらかして。このこの」
ぐにぐにぃ、っと身体の自由が利かないのをいいことに、ルールーはオレの頬っぺたを弄び始める。
その眼は笑っていなかった。とても優しい目がオレを見つめていた。
そしてルールーの顔は、人を可哀そうと思っている時の表情だった。
「弱音くらい、私に聞かせてくれたって損はしませんよ」
「そう言って後で蒸し返して、からかったりするんじゃないのか」
「真面目な弱音ならそんなことしませんよ。それは失礼ですから」
「その判断基準不明なところが一番怖いんだが?」
「えへへ。なにせ魔法使いですからね、私」
「そこは胸を張るところじゃねえだろ……?」
「ほらほら、私になら弱音くらい吐いていいんですから。こんなチャンス滅多にないですよ?」
「むむ……釈然としねえ」
ぷにぷにぃ、っと頬っぺたを突っつく姉魔法使いに少しばかりの不平不満を持ちつつも、オレは胸の底に溜まった重しが軽くなったのを感じた。
その重しが弱音と区分される類のものなのかは分からないし、自分としてはそれを弱音だとは思っていない。
けれども、それが重しであるとは思っている。自分の胸の中にずっしりと溜まった、黒い感情が。
「……この世界に転生して来たときに、ルールーは言ったよな。オレには贈り物がないって。失楽者だって」
「ええ、言いましたよ。高等魔法使いの私が直々に術式を使って調べた結果です」
「その術式って、完璧なのか? どんな種類の贈り物でも探知できるのか? なんにもないオレが、成り上がりで軍師をやってるなんて信じられないんだ」
「あれはあくまで贈り物と呼ばれる特異な体質、―――簡単に言えば一般的ではない異能を持つか否かを判別する術式ですから。この世界が賢人によって創られ、そして私たち魔法使いがそうした転生者たちの存在に気づき、分析し始め、術式を完成させてから、一度も現れたことのない異能は見落としてしまうかもしれませんね」
「じゃあ、オレがここまでなりあがってこれたのも、なにかしらの……見つかってない贈り物のおかげなのかな……」
「さあ、それは分かりません。けれども、私が聞かせてあげられるお話ならありますよ」
「お話……?」
「ええ、聖王アルフレートのお話です。あまり知られていませんが、彼もギフトを授からなかった転生者、失楽者だったんですよ」
「え、そうなのか?」
「そうなんです。彼はなんの能力も持たないただの転生者だったんですよ」
そうしてルールーが語り始めたのは、転生者としての聖王アルフレートのお話だった。
アルフレートはなんのギフトも持ち合わせないただの転生者であり、故に彼はギフトの研究者からは最初の失楽者と呼ばれることもある。
彼は思い通りにならない異世界生活の中で翼竜のカザリに出会い、彼の助けを受けて成長していった。
その後、魔法使いたちの横暴を眼にして憤った彼は各地のベルツァール統一運動をまとめ、後に『旅の仲間』と呼ばれるパーティーを率いる。
地方を回り魔法使いたちの支配から各種族を解放し、ベルツァール諸種族連合を率いてレグス・マグナとの戦争に勝利を納めたのだ。
翼竜のカザリとの契約で力を得ていたとはいえ、彼は最初から最後までギフトを持たず、戦ったのだと。
「だから、ギフトの有無は関係ないと思いますよ」
「そう、かな……」
「あなたはタウリカで色々な人と知り合って、辺境伯とスクルジオ卿から信頼を得ました。すべてあなたのやってきたことが実っているんです」
「実ったさきで、オレがやったのは……人殺しだぜ。必死で戦って勝った瞬間、すっげぇ嬉しかった。でも熱が引いて見たら、死体が転がってるんだ」
「戦争は、そういうものなんですよ。そうでしょう?」
「でも、嬉しかったんだ。本当に。オレが、オレたちが勝った……。嬉しくて、ガッツポーズなんかして……あんなに死んで、殺したのにだぜ?」
「それは私たち魔法使いだってそうですよ。魔法使いがやったことはすべて犠牲の上に成り立っています。私たちがいくら悔いても清算し切れない過去の上に」
「オレはその犠牲に、過去に、いったいなにをしてやったらいいんだろう? オレにいったい、なにができるんだろうな?」
ぽつりぽつりと取り留めもなく呟けば、ルールーは「んー」と考えるような声をあげてオレに言う。
「コウはお祈りとかする人ですか?」
「一応はする、かな。なにかの信徒って自覚はねえけど」
「私はそれで十分だと思いますよ。死者に言葉がないのなら、思いだけでも、祈りだけでも、それはきっと届くと思います」
「ルールーはそれで、折り合いをつけてるのか?」
「私は……そうですね」
ふっと顔を上げて、ルールーは遠くを見つめる。
「たとえ死者に会って話がしたくとも、それは生者の身では叶いませんから。どれだけ私が会いたい、話したいと望んでも、私が出来るのは生きていた記憶を思い返すことだけです。後悔や苦しみもありますし、それ以上の暖かい感情もいっぱい貰いました。だから私はその人に、どうもありがとうと思って、祈っています」
「そ、そっか」
「だから、あなたは喜んでもいいんです。誇ってもいいんです。笑って騒いで、みんなと肩を組んだっていいんです。いつだって、喜びと鎮魂は両立できます。いくら申し訳ないと思っても、それだけでは前に進めないんです。前向きになって、足を動かして進み続けなければならないんです。だからそのためにも今は祈って、勝ち取ったものを喜びあってもいいんです。きっとそれが、人生という旅なんですよ」
「……そっか。なんか……そうだな。ありがとうな、ルールー」
「いえいえ。どういたしまして」
ふふふ、と微笑みながら頭を撫でるルールーを見上げつつ、オレは胸の重しが軽くなったのを感じ、そのまま眠気に身を任せて意識を手放した。
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