第110話「騎兵の本髄」
サトルが思い浮かんだ言葉はただ一つ。
ふざけるな、だった。
圧倒的物量の軍勢は、狭い三叉路に戦列を敷くベルツァール軍に対抗するように横に戦列を敷いている。
数の上で不利なベルツァール軍よりも数で勝るリンド連合が、さらに横に戦列を伸ばして包み込むようにするのは常道だ。
戦いにおいて包囲殲滅というのは、敵の士気を挫く上でも戦術的にも大きなウェイトを占めている。
その横に広がった戦列の一方を完全に破砕し、今まで見たこともないような速度でこちらの戦列中央を食い破る―――。
「なんなんだ、あれは……」
それこそが、ベルツァール北部騎兵―――有翼衝撃重騎兵だった。
リンド連合にはいない、財力と訓練を積み上げた超高コストユニットとも言える代物。
リンドヴルム公国では騎兵といえば軽騎兵であり、機動戦の主力や陸竜や翼竜だった。
革命後に前王側についた貴族たちとの戦いで、陸竜は数を減らし、乗り手もおらず部隊運用をすることさえできない。
翼竜に至っては前王側にも連合側にも乗り手はおらず、いまだに翼竜とその乗り手たちがどこにいったのかさえ分かっていない。
そんな状態で、リンド連合の騎兵戦力といえばバドニー将軍の軽騎兵しかないのだ。
そのバドニーの騎兵隊は今、ここにはいない。
騎兵においてリンド連合は数的不利にあるだけでなく、その運営にも無理が嵩んでいた。
実際、リンド連合の騎兵二百はサトルたちが運営しているのではなく、バドニーの私兵なのだ。
その強さも真髄も、バドニーたちにしか真に理解してはいなかったとサトルは思い知らされる。
ここまで強烈に威風堂々と、まるで布を切り裂く裁ちばさみかなにかのように戦列を切り裂く姿は、同じ人間の行いだとは思えない。
身体が震えるのを感じながら、サトルはしかし、武器を持った農民や鉱夫のように逃げはしない。
「ウィクトリア! 下がっていてくれ!」
「サトル……」
「大丈夫だ。僕は、一人では死なない」
彼は眼鏡の位置を直し、腰帯に吊り下げたフリントロック式拳銃を抜き、撃鉄を起こす。
ウィクトリアの守護のために周囲に置いていた十数人ほどの正規兵が、同じようにフリントロック式の銃を構えた。
横一列に並び、粗雑なつくりの銃剣を腰に吊るし、くたびれた軍服に身を包む彼らよりも一歩前へ、サトルは足を踏み出す。
前へと進むのだ、革命の先駆けであるからこそ。
止めるつもりはなく、止まるつもりもなく、故にサトルは自分が後退することなど許せない。
彼は実直で正義感に厚く、困っている人を見たら放っておけない人だった。
今でもそれは変わらない。
やらなければいけないことがある、約束がある、共に歩く者がいる。
だから、歩みは止められない。絶対に。
「ウィクトリアだけは、彼女だけは殺させない……!」
両手に持った拳銃を前へ構え、彼は叫ぶ。
彼と彼らの前には、幾百もの人の波を掻き分けながら、なお馬脚を止めぬ重騎兵の姿がある。
断末魔の悲鳴と怒号に交じって、かすかに馬の息遣いが聞こえた気がした。
―――
戦場において騎兵とはいかなるものかを体現すべきだと、スクルジオは常々思っている。
ノヴゴールにおいて賊を鎮定して回っているときも、ゴブリンどもを蹂躙しているときも。
いつ如何なる時も、それが己の人の道であればよいと思い続けてきた。
それは今、髭なしドワーフの下で戦っているこの時も変わらない。
自分の指示の下で戦うことには慣れているが、誰かの下で戦う感覚もよいものだ。
にやりと口元に笑みを浮かべながら、スクルジオは隻腕を振るって敵を薙ぎ払う。
馬は戦列を引き裂いて人を跳ね飛ばし、踏み砕く。
騎上の騎士たちはありとあらゆる武器をもって、敵の兵士を屠っていく。
斬り殺し、叩き殺し、殴殺し蹴り飛ばし、あるいは馬の蹄で踏み砕いてひたすらに進んでいく。
断末魔の絶叫が、悲鳴が、助けてくれと懇願する弱音が混ざりあっている。
それらはすべて敵のものであり、我らの騎兵はそのような声をあげたりはしない。
今ここで騎兵があげる声は、鬨の声のみだ。
「うおおおぉぉぉっ―――!!」
二〇〇騎ほどの重騎兵の集団が、敵右翼を粉砕し、中央の戦列を蹂躙する。
まるで群衆の中に自動車が突っ込んでいったような光景に、敵将のサトルは顔を顰め、髭なしのドワーフは拳を天に掲げている。
リンド連合の最後の戦列を突破し、本陣に切り込む北部騎兵の前に立ちはだかったのは、わずかに十数名の兵士のみ。
殺し切る―――、と北部騎兵は血濡れたサーベルや手斧の切っ先を突きつけ、駆ける。
敵兵の表情が恐怖に引きつるのが、血走った白目がよく見え、今より殺す敵の顔がよく分かる。
両手に拳銃を構える眼鏡をかけた青年も、その後ろで正規の兵に守られる赤毛の女も。
「敵将の首、我は見たり!!」
スクルジオの雄叫びが轟き、蹄と馬の嘶きがそれをかき消す。
ここで敵の首を叩き取りさえすれば、敵の指揮系統は混乱し、ただでさえまとまりのない連合の兵は四散するのは間違いない。
それが野盗として散らばったとしても、ノヴゴールの鎮定の任が南部に移るだけのこと。
髭なしのドワーフの策は正しかったと、スクルジオは口元を緩める。
血濡れたサーベルを右手に、まだ骨肉を断ち切った感触の残る右手を掲げて。
これで終わりだと、確信したスクルジオの耳に、いや、頭蓋に声が響く。
―――天に翼 地に爪 山に吼え 邪悪を焼く
それは静かな詠唱だった。
魔法とも呪術とも違う、燻る火のような声が頭蓋に響く。
目を走らせその声の主をスクルジオは探し、それを見た。
赤毛の、碧い瞳の女。
殺さねばならぬと勘づいたのはスクルジオだけではない。
すでに女目掛けて投げ斧が投擲されたが、しかし、それは宙にて赤く溶解した。
―――我こそは試練を経て天昇る竜となれり
詠唱は止まらず、頭蓋に響く。
まったく、ふざけた隠し玉もあったものだと苦笑する。
それでいて奴は殺すことも出来ぬと見る。
「散れ!!」
「「「御意!!」」」
肩を並べた戦友はその一声ですべきことを心得る。
馬首を巡らせ北部騎兵は突撃を止め、二つに分かれ敵本陣の左右へ抜ける機動をとる。
ただ抜けるだけではなく、投げ斧や拳銃で敵を屠ることはやめずに。
だが、それらすべては空中で焼けつき、蒸発する。
まるで赤毛の女を中心として、なにかの加護があるかのように。
そして最後の詠唱が、響く。
―――契約の名こそはリンドブルム
―――炎と空を体現するはウィクトリア
―――炎竜バルザックの加護よ来たれ
瞬間、熱風が吹き荒れた。
まるで皮膚が焼けそうなほどの熱風と共に現れたのは、炎の壁であった。
敵の本陣を囲むようにして、城壁のように炎の壁が立ち塞がっている。
これでは敵の本陣を手にかけることはできぬ、とスクルジオは馬に拍車をかけた。
突き抜けた槍を抜くように、騎兵が入ったところから礼儀よく去るなどということはない。
殺すだけ殺し、壊すだけ壊したのちは、走り去って味方の陣地に戻るだけだ。
「よもや魔法か呪いの類の使いがいるとはな……。退くぞ!」
敵の戦列は掻き回し、士気はズタズタに引き裂いた。
やれるだけはやってやったという自負を持ち、スクルジオは騎兵を率いて退却する。
たっぷりと鞍に吊るしていた武具のほとんどは、投擲しなくなり、刃こぼれし、弾も切れている。
長槍もなにもかも補充しなくてはなるまい、とスクルジオはサーベルを鞘に納めて手綱を握る。
騎兵は金がかかる。とてつもなく金がかかる。武具だけでなく馬具も、まったく金がかかるのだ。
だが、いくら金がかかったとしても、こうして騎兵を使ってくれる将の下で戦う時、それはすべて報われる。
よい心地だと、スクルジオは思う。
左手を失っても、その代わりが出来たのだ。
―――手綱を操れるくらいの義手は欲しいが。
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