第10話「スローに異世界生活」
ゲームとか小説だったら、女魔法使いの黒髪スレンダー美人は超タイプだったろうに。
などと思ったのも幾夜前のことやら。今では銀髪ツインテールの幼女体系ドワーフ、アイフェルの下で日々あれやこれやと雑用を仰せつかる日々である。
炉の前に座るには数十年早いとか、なんとか。良くも悪くも職人文化だな、とかオレは思ってしまったわけなのだが。
「じゃあ、行ってくるよ、親方」
「ん、さっさと行って帰って来て。肉だんごは四つ。四つだよ。あとお前、今度羊の肉だんごなんて入れてきたら、そこの戦槌でぶん殴るから」
炉の前で切り株をそのまま椅子にしたものに座り込み、鉄鋏と金槌を持ったアイフェルが淡々とアルトの声で言う。
陽光があたるときらきら光って見える銀髪をツインテールに纏め、華奢な幼女体系に不釣合いな分厚い皮の前掛け着込んでいる彼女は、その金色に輝く瞳でこちらを見ている。不思議と髪に火が燃え移らないのは、ドワーフ特有の熱耐性によるものだとか。
ちなみに〝そこの戦槌〟というのは、アイフェルの義父の一族に代々受け継がれてきたバカみたいに大きく重いハンマーのことで、ドワーフにしては背が高いと言われるオレの背の丈がだいだい一六〇センチほどなのだが、それとどっこいの長さを誇る。重さは聞いた話によれば馬車一頭より重いとか。嘘こくなと言いたいが、実際それぐらいありそうな鉄塊なのは間違いない。
なおアイフェルの背の丈は一般的な小人族、ファロイドとどっこいの一三〇センチ後半であることを追記しておく。
煉瓦作りの狭苦しく汗臭い仕事場から逃れられると知り、オレはお客の馬のブラッシングを止めて笑顔で足を動かす。ここでのオレの仕事と言ったら、馬の世話やらすり潰れた蹄鉄をナイフに加工して小銭を稼ぐかくらいしかないのだ。炉の前で座ると殴られるので、立ったまま蹄鉄を熱して、立ったまま鍛造して、立ったまま研ぐわけなので足が棒みたいになる。
いやまあ、そういうわけで嬉しいったらないったら、このまま適当に踊りでも踊りたいくらいだ。ろくに踊った経験はないけれど。
「はいはい、じゃあ、行ってきますよ」
「気を付けていってきて。今度鍋をひっくり返したら、そこの戦槌でぶん殴る」
分厚い皮の前掛けと手袋を仕事場のテーブルに置き、代わりにテーブルの上においてあった空の鍋と籠を持ち、一掴みの白銅貨と青銅貨を持って外に出る。
外とはいえ、そもそも馬の蹄を保護するための蹄鉄を扱う店なので、店の前は大きく開かれているのだが、やっぱり屋根のないところで浴びる陽の光は一等違うものなのだ。
ドワーフの『アイフェルの蹄鉄屋』は、タウリカでは老舗に当る。アイフェルの前の店主がタウリカの先住民の一族で、数百年前からずっと蹄鉄屋なのだそうだ。アイフェルは前の店主の親戚で、とある事情で孤児になっていたアイフェルを、前の店主が引き込んだらしい。前の店主が没してからは、ここは『アイフェルの蹄鉄屋』であり、そこそこ儲かっているのだとか。
もちろん、蹄鉄だけでなく一般的な生活用品、要望とあらば武器防具まで揃えてしまうのだから、あの親方の技量のほどが知れる。アイフェルの蹄鉄を履いた馬はへたばらない、ともっぱらの噂だ。
(ちなみにアイフェルは親方以外の別称で呼ぶと拗ねる。アイフェルの中で親方呼びは名誉称号のようなものらしい)
蹄鉄というのは馬の蹄、つまり足の爪を保護するためのもので、これがあるのとないのとでは馬の寿命も違ってくる。
人間でいうなれば靴に相当するものなのだが、皆さん知ってのとおり爪は硬い。一つ一つ馬に合ったものを作らないと、馬の蹄は割れてしまうし、筋を痛めたりもする。そうなると馬は使い物にならなくなってしまうのだ。それを防ぐ為にアイフェルは蹄鉄を作って馬の蹄を削って整え、新しい蹄鉄を履かせる。職人技とはこのことかと、オレは関心するばかりだ。アイフェルを相手にして暴れる馬はなかなかいない。
さて、そんなアイフェルがなんでオレという馬の骨を一発で採用したかと言うと、そもそもドワーフは文字通り山で鉱山を起こしそこで生活するのが伝統、町へ下りるのは極一部という文化のせいらしい。
というのも、アイフェルの前の助手は三十年程助手を勤めた後、仕事用具一式を自作してキャラバンの鍛冶屋として旅に出たっきりだったのだ。
そして、ドワーフの同属を再び雇うとなると、年単位で待つ必要がある。なにせ、基本的にドワーフは鉱山と洞穴で生活しているのだ。
そうした経緯と、ルールーとアイフェルが親しかったという縁もあって、オレは『アイフェルの蹄鉄屋』にすんなりと就職することが出来たのだ。
履歴書も面接もなし。即採用だ。気楽に仕事が手に入った。伝手というのは時代がさかのぼればさかのぼるほど、強力なものなのだと実感した。
―――と、かなりざっくりと説明してみたが、実際、タウリカはオレからしてみれば良い感じに住み易いのに間違いはない。
適度に田舎で適度に便利。ごつい石造りの城壁はなく、丸太で築いた壁と櫓で町を囲ってる。
訪れる人たちはあちこち旅して人生経験豊富な人らばかりだから、非常識なクレーマーみたいなのは滅多に来ない。そういう連中は酒場の裏とか暗がりで刃物や棍棒で命を奪われ、朝になって台車に乗せられて集団墓地にぶち込まれる。やった人間が手練れなら衛兵が捉える前にもうすでに領地からは逃げおおせているだろう。
それでも通貨というものがある以上、ちょっとがめついおっさんは来るけれど、話が通じない&話を聞かない化け物よりは遥かに良心的だ。あっちも生活があるし、こっちにも生活がある。それを侵害するなら武器を取る。オレが取らなくとも、アイフェルは常に鍛冶のために鉄槌を握っている。武器を常に手にしているドワーフを相手に、バカを言う人間はいない。それが文化だ。それが分からないと、いつの間にか墓の下に埋まっている。
アイフェルは無口でむすっとしていて見た目が可愛いロリっ娘で脳筋で怖いが、なんだかんだで八歳――ちなみにドワーフは十歳で成人それまでの成長スピードはかなり速く、それ以降の成長スピードはナメクジもかくやというほどに遅くなるという――までの記憶がない上に、どこだかも分からない世界の記憶だけしかないという、文字にしてみると確実に宇宙人か超越的存在に拉致されたような境遇のオレに、かなり気を使ってくれている。
今の仕事は雑用ばっかりで面倒だし疲れるが、専門的な知識がいることは事前にきっちり説明して実践もしてくれる。
給料とは別に小遣いもくれるのだ。給料自体は安いが、生活するのには困らないし内職でナイフや包丁などあれこれ作って、組合に目を付けられない程度にそれを売っていれば貯蓄も出来る。
お小遣いだが、これは日本円換算で二千円くらいだけどそれを加味しても収入は中ほどか中の下あたりである。
通貨としては北部諸侯領で使われる【北部通貨】が流通していて、見たことはないが金貨が一番高く、それに次いで銀貨、白銅貨、青銅貨の順で価値が決まっている。それぞれ貴金属の配合比率で価値が上下していて、それは硬貨の大きさや厚さ、描かれた肖像や紋章によって類別されてそれぞれ名前が付いている。
【北部通貨】に限れば最上位の【パンノニエール北部金貨】から始まり【ノールラント金貨】と【アヴレ金貨】と三つの金貨があるらしい。庶民は金貨なんてほとんど見ないのでこれは本に書いてあった情報だ。銀貨は【北部通貨】ではそれぞれの貴族家の名がついたものがあり、それぞれ価格順に【タウリカ銀貨】【オーブレン銀貨】【オーロシオ銀貨】【オーガルッヘ銀貨】があり、貴族家の紋章が描かれているわけだがこれもほとんど見ない。銀貨で市井で見られるのは紋章ではなく三つのプラムが描かれた【ダムソン銀貨】で、これはまあ現代日本でいうところの1万円札みたいなものである。銀貨の中ではもっとも銀っぽくない色合いをしている。
最後によくお世話になる銅貨は白銅貨、青銅貨があり、【オグニ白銅貨】と【タック白銅貨】の二種類が白銅貨、青銅貨は【パクス青銅貨】がある。だいたいのことはこの銅貨でやりくりする。溜まった銅貨を銀貨にしようという者はほとんどいない。両替商に持って行ったら手数料を取られるし、銀貨を見せびらかすように使うと値段を吹っ掛けられることになる。もう全部銅貨でいいんじゃないか。実際、普通に生きていく上で銅貨だけでも困ることはほとんどないだろう。
上から順に並べると以下の通り。
【北部通貨】金額帯
・【パンノニエール北部金貨】
・【ノールラント金貨】
・【アヴレ金貨】
・【タウリカ銀貨】
・【オーブレン銀貨】
・【オーロシオ銀貨】
・【オーガルッヘ銀貨】
・【ダムソン銀貨】(北部汎用銀貨)
・【オグニ白銅貨】
・【タック白銅貨】
・【パクス青銅貨】
さて、我が保護者たるルールー・オー・サームも日中は猫のように日向でうとうとしていたり、良い風の吹くところでぼーっとしたりしてる。
けれど、どこの馬の骨とも知れないオレには変わらず優しいのはありがたいことだった。頑なに働こうとしないことを除けば、温厚で人が出来ている。やや天然気味だが。
口調も性格も真面目一辺倒で借りたものはすぐ返すし、頼まれればなんであっても善意でそれをやってのけ、キャラバンの面々には無料で悪魔よけのまじないをかけたりしているのだが、なぜかそれを商売にしようともしない。
きっと彼女にもなにかあるのだろうと思ってはいるが、深くは聞かない。人間誰しも、知らんふりを決め込んだ方が良いことはあるものだ。(ここまで)
そしてまあ、こちらの文化圏に慣れるのに人間関係で悩まずに済んだのは、それもこれも、オレがこっちの言葉を喋れるし理解できるし、書けるってことが大きいのだろう。どうもこっちの言語の習得率は日本にいた頃の言語知識のソレがそのまま反映されているらしい。ネトゲと洋楽で培ったなんちゃって英語と、かっこいいからちょっとだけ齧ってみたドイツ語に相当する言語がどうなっているのかは今のところは不明である。
数学はまあ、足し算引き算、割り算掛け算は完璧。 パソコン関係の技能は、おそらくこのまま死蔵だろう。こっちにはパソコンもスマホもないわけだし。
あと、冒険者についても書いておこう。
これはオレも気になってたし真っ先に働き先候補としてルールーに聞いてみた。
聞いてみたが、聞いた瞬間に表情が曇って、
「あー……たしかに職業といえば職業ですし、ギルドもあるにはありますけど、私としてはなにかしらのクラスというか、戦える技能を習得してからの方がいいと思います。でないとあとで後悔します。何人かそういう人を見てきたので、おすすめはしません。あそこは自分で戦えないと意味のない場所です」
曰く、冒険者というのはなにかしらの技能が、つまり魔法使いや剣士、斥候といったものの技術を習得してからでないと、やり始めが厳しいと。技術がないなら装備品を整えないと、まず死ぬような目に会うと。
というわけで冒険者は没となった。冒険者ギルドの会費とかは王国の方針で無料だそうなので一応登録だけはしておいたが。
オレが冒険者として独り立ちするのはちょっと時間がかかりそうである。
でもいつか絶対、オレは冒険者になりたいなと思うのだ。
親父と、そして弟とプレイしたファンタジーゲームの中でプレイヤーキャラクターがやっていたことを、今、オレ自身がやれるチャンスがある。
それが一度あっけなく死んだオレなりの、現在の目標だ。
たのしい解説コーナー
仕事……一種の共同体で今より人口が低かった時代、仕事しないのは存在しないということでもある。子供という概念が近代に生まれるまで、子供も畑や家事や狩猟の手伝いや、いろいろな仕事をしていた。