第107話「付け焼刃と業物」
銃剣は、偶然で生まれたものだと言われている。
とはいえ、それが本当に偶然だったのかは定かではない。
バイヨンヌというフランスの都市の名前が語源であるらしいことだけは、確かだそうだ。
世界東西問わず前装式小銃に剣をオプションで装備する方法は試みられてきたとは言え、それを実際に使って前線に立つとなると話は変わってくる。
手にしたロングライフルの銃口には、今や腰に帯びていた剣が差し込まれており、全長にして二メートルほどの槍として使えるのは見て明らかだ。
ぐっと腰を低くしてピキっと鋭い痛みを発する関節に舌打ちしつつ、オレは銃剣の切っ先を前へと向け、硝煙の先にいる敵を見た。
―――まるで、壁が迫って来ているかのようだった。
目を凝らさずともそれらは人間であることは確かであったが、しかしそれでも壁と形容したくもなる。
大の大人が血走った目でこちらを睨みつけ、肩を並べ鬨の声を上げながら一目散に突撃してくる。
話し合いなど通じない、ここは話し合いなど通じる場所ではないと五臓六腑が主張する。
口の中が酸っぱくなって緊張で吐きたくなるが、無様に胃液を逆流させている時間は残されていない。
オレは全力で自分が死にませんようにと祈り、込められるだけの力を込めて銃剣を構える。
「いいかッ! 勝利の瞬間を背中で味わいたい奴だけが、尻を見せて遁走するがいいッ!!」
吐き捨てるように叫んだのは、オレだった。
まるで自分自身に言い聞かせるようなセリフが、乾いた喉から勇ましく響いた。
そうだ、声でも出さなきゃ悲鳴でも上げて真っ先に逃げ出したいんだ。
だから今、オレはここで声を張り上げなきゃならない。
敵が鬨の声をあげるように、オレたちは声を張り上げて戦わなきゃならない。
心を強く持つために、相手よりも強くあるために。
「ああああああああぁぁぁぁぁッ!!」
そうして突き出した銃剣は、嫌な手ごたえと衝撃を伴って知らない誰かに突き刺さった。
受けた衝撃で後ろによろめきそうになるのをぐっと堪え、オレは両手に握るロングライフルをぐるっと捻る。
さらに嫌な感触がライフル越しに伝わるが、それを無視してオレは銃剣をさらに奥へと突き刺して引き抜き、遮二無二に銃剣を前の敵に向け突き出す。
言葉にすらならない絶叫、断末魔、鬨の声が絶え間なく鼓膜を震わせている。
男たちがを合わせて銃剣を前へ突き出し、必死の形相で敵を殺し、殺され、血肉が舞う。
腰が引けた者は押し倒され農具で突き刺され、そうなりたくない一心で突き上げた銃剣が敵を捉えて肉を切り裂く。
オレだけじゃなく、火縄銃士組合の男たちも無我夢中で必死だった。
後ろにいるのは砲兵隊の砲門で、戦列が崩壊すれば逃げる間もなく散弾で敵もろとも制圧されるかもしれない。
それだけの権限を、オレはローザリンデに与えているのだ。
状況は違えど、これは背水の陣と同じだ。
前には敵、左右にはパイク兵たちが規律を持って二メートルに切り詰めたパイクで戦列を敷き、そのリーチで農民たちを寄せ付けない。
いったいどこに逃げられるか考えても、逃げる場所などどこにもない。
ここから出ていくためには、敵を殺すしかないのだ。
どれだけ殺すことを忌避しても、知らない誰かの命と自分の命を咄嗟に天秤にかけて前者を大事にする人間は、戦えない。
道徳と倫理というものを身に着けているならば、この二者択一で必ず迷いが出る。
今は、迷っている時間すら惜しい。
それは誰にとっても同じで、オレだって迷ってはいられない。
銃弾で知らない誰かを殺すのではなく、しっかりとこの手で誰かを殺す時が来たのだ。
死にたくない、ただその一心でオレは目の前にいた敵に銃剣を突き刺す。
肉が切れ銃剣が骨に当たった感触が手に伝わり、敵の悲痛な叫びが鼓膜を打つ。
だが、そんなことに気を使っている時間はない。
すかさずライフルを捻って銃剣を抜き、まだ息をしている敵の無防備な首に銃剣を突き刺した。
腹を刺されたことで戦意を喪失した敵は両手で零れ落ちるはらわたの一部を中に戻そうとしたところで、首に銃剣を受け、がくんと糸の切れた人形のように斃れた。
刃が骨を削り当たる感触、肉が切れる感触、中のはらわたの膜を突き破る感触、―――それらすべてが、とても気持ちが悪い。
汗をびっしょりと掻いている。
身体が冷えて両手両足ががくがくと震えていた。
必死で声を張り上げながら、オレは殺される前に銃剣で相手を殺していく。
オレもみんなも必死だった。
必死で殺して、必死で戦った。
これも作戦の内だと自分に言い聞かせながら、オレは目の前の敵を精一杯の力で突き刺した。
―――
怒れる群衆の戦列の攻撃を受けたのは、中央の髭なしドワーフの部隊だけではなかった。
右翼に伸びるトリーツ帯剣騎士団と、その長ジークムント・フォン・カタリアを中心とした精鋭の護国連隊もまた突撃を受けていた。
だが、混戦となってもみくちゃになっている中央の火縄銃士組合の兵と比べて、その戦いようはまったく違う。
ずらりと並んだ騎士団、そして騎士修道会の者たちは、十字架の描かれたカイトシールドを左手に、ロングソードを右手に武装している。
時代錯誤と思われてもしかたのないチェインメイルに騎士団や修道会の紋章色に染め抜かれたサーコート、そして武骨なバシネットと呼ばれる兜を被っている。
彼らは連隊長であり騎士団長のジークムントの掛け声で、一斉にバシネットのバイザーを下ろした。
「諸君……、我らは信仰の守護者である! 故に祝福されしベルツァールの王冠の下、戦場に参じる!!」
―――然り! 然り! 然り!
「諸君、祈ろう。神よ、我らをお守りください! 我らはあなたに寄り頼みます!」
―――然り! 然り! 然り!
「我らは主に言いましょう! あなたは我らの主、あなたのほかに我らの幸はない、と!」
―――「然り! 然り! 然り!
「諸君、我が兄弟同胞よ! 我らの心に神殿は在り!」
サーコートをはためかせ、ジークムントはロングソードを抜き放ち、雪崩のような群衆の突撃を見た。
地面が震え、鬨の声によって腹の底までひしひしと熱狂を感じることができたが、彼は、そして彼らは目を逸らさない。
ロングソードの切っ先を向け、カイトシールドを構え、まるで一人一人が一つの城塞であるかのように両の足で踏ん張っている。
その先頭にジークムントの姿がある。
誰も彼もが騎士団長の背中越しに、リンド連合の兵たちの姿を見ていた。
そして誰一人として、後ずさる者はいない。
「―――信仰と盾に誓って、奴らを通すな!!」
ジークムントの声が爆ぜた瞬間、一糸乱れぬ隊列に濁流となったリンド連合の兵たちが突入した。
だが濁流を塞き止めるダムの如き騎士の群れは、人の波を全力で押しとどめながらロングソードを突き刺し、振り下ろす。
それはまるで古い時代のファランクスの隊列のようだった。
農具で腕を刺され、棍棒で殴られても、騎士はその場に留まっている。
血が流れているというのに武骨なバシネットを被った騎士たちは、剣を振るい、突き刺し、濁流を処理していく。
運良く騎士の被ったバシネットの覗き穴にピッチフォークの切っ先を突き刺した民兵は、隣の騎士の一撃で頭を叩き割られて即死した。
顔面に農具を差し込まれた騎士はぐったりと倒れ込むが、しかし騎士はその隙間を埋めはすれど、顧みることはない。
大量突撃を受けてなお、いっさいの混乱を起こさずに一糸乱れず行動する戦闘集団、―――信仰と誇り、そして経験に裏打ちされた高い練度は、容易くリンド連合の兵たちの士気を崩壊させた。
だが、士気崩壊を起こして退却しようとする者たちに騎士たちは容赦しなかった。
我が手の延長のごとくロングソードを振り回し、盾を手にした騎士たちは全力で敵を追撃した。
突撃で疲れ切っていたリンド連合の兵たちは、フル装備で走り回る騎士たちの姿に悲鳴をあげながら、また一人一人と斬り殺され、あるいは盾で殴殺されていった。
後ろに控えていたモルドレッド・ボラン女男爵は、その様子を見てため息を漏らす。
「一〇〇〇で五〇〇〇の敵を壊走させたぞ。私の出番はなしか?」
その言葉を受けた彼女の騎士は、口をへの字に曲げて肩を竦めただけだった。
コロナの影響で精神的に参ったり、痛風にかかって激痛で悶えたりしていたので時間があいてしまいました。
ぼちぼち更新ペースを戻していけたらなと思っていますので、ぼちぼち気楽にお待ちください。
そして毎度のことでございますが、ご感想やレビューなどお待ちしております。