第102話「13人の男」
トリトラン伯爵領の南部騎兵を率いるのは、齢三〇も末期を迎えた壮齢の男だった。
リンドブルムの革命に介入し戦死した前トリトラン伯爵に、ノヴゴールでの武勲を気に入られて騎士になった男だ。
慣習でなあなあと訓練を受けて、気が付けば騎士になれた世継ぎ騎士と違って、彼の一族は代々黒騎士と呼ばれる傭兵の一家だった。
一家は冒険者稼業で日銭を稼いでいたところから始まり、冒険者兼業の傭兵となり、騾馬に跨り錆止めを塗った鎧を着込んできた。
使い研ぎを繰り返して短くなった剣を買い替え、戦場で拾った槍を仕立て直し、傭兵としての義を通して生きてきた一族だ。
雇い主を裏切らず、契約に従ってこれを達成し、契約に背いた者を全力で破滅させる。
故に、リンド連合の騎兵が一目散にこちらに突進してくるのを見たとき、彼は無精ひげに覆われた顎を一撫でして、苦笑した。
前トリトラン伯爵には大いに世話になったのだ。それは、彼が戦死したラミリー湖畔で討ち取られた時に、なぜ自分も死ななかったのかと思ったほどに。
土地を貰い、騎士としての身分を貰い、二つ名を貰い剣を貰い、世話になったと一言で言うにはあまりにも彼は貰いすぎていた。
「………総員止まれい!!」
手綱を引き、二〇〇の騎馬が思い思いにその場に停まる。
四本の足を踏ん張って急停止するなどという技能は、この騎士たちにはない。
革命への介入と、緒戦に行われたリンド連合への攻勢で、腕利きの騎士たちはもうすでに死んでいる。
腕に自信のある連中で残ったのは、負傷や病気で死ぬに死ねなかったくたばり損ないだけだ。
その数は二〇にも満たないだろうが、死に場所をここまでずっと探してきた連中の腕だけは信じられる。
なにせ、その連中とは槍試合で痛めつけあい、剣試合で殴り合い、酒を飲みあい肩を組んだ仲なのだ。
「イゴル、お前らはこのまま全力であの騎兵から逃げろ。髭なしドワーフからの命令を果たせ。―――ユーリ、ツーリン、エーゴリ、俺に馴染みのある連中はここに残れ」
「ドミニク卿……ご武運を」
「お前らには幸運を。早く行け、イゴル」
「了解、―――ドミニク卿のご命令だ! 各員は我に続け!!」
若いイゴルが声をあげ、若い騎士連中がそれに続いていく。
早く行けと言っているのに、揃いも揃って礼などしやがる。
まったく、ここまでいいことなしの南部騎士が、よくも腐らずに礼など出来るものだ。
「で、残ったのはたったの一三騎というわけか」
「なにを、馴染みのある連中と言ったのは貴殿ではないか」
「ああ、そういやそうだったな」
がっはっは、と豪快に笑うのはエーゴリだ。
ぶくぶくと膨れたただの肥満に見えるが、脂肪付きの筋肉達磨で南部一の大酒飲みの大飯喰らい。
リンドブルムへの遠征の時に悪い水を飲んで腹を下し、死に損なった馬鹿者だ。
「勘違いしないで欲しいが、我らは前トリトラン伯爵への忠義のために残ったのだぞ?」
「違えねえな。俺もおやっさんとの契約を果たすために残っちまったのさ」
「天上の国に契約を果たしに行くとは、傭兵上りもままならんものだな」
「騎士になっても、ままならんのさ」
馬面で皮肉屋のツーリンは口元に自嘲気味の笑みを浮かべ、義足になった左足をわざとらしくぷらぷらと振った。
前トリトラン伯爵が討ち取られたその時、この男は左足を切断している最中で、気が付いた時には後送され南部に戻っていた。
幾夜も幻肢痛に悩まされ、最期を主君と共に迎えられなかったことを何度も何度も悔いていた。
その男が今は絶望と苦悩を振り払い、騎士の顔で馬上にある。
他の者たちも、そうした死に損ないばかりだった。
死に損なって、主君を失った悲しみを乗り越えられなかった馬鹿者たちだった。
「よし、往くか」
うむ、よし、と返答がある。
騎士の誇りたる紋章を描いたコートを着込み、家紋を描いた剣を持つ馬鹿者たちだ。
天を見上げればあいにくの曇り空であったが、そこに一縷の青空が見えた。
「死ぬには良い日だ」
普段から無口なユーリが呟き、他の者はそれに黙って頷く。
もはや言葉は不要であり、これより先は己が義により行動あるのみである。
髭なしドワーフは言っていた、騎兵とは当たり砕け、誰よりも多くのものを見やる兵だと。
故に、南部騎兵の馬鹿者どもは、これより死を先んじて見物しに行くのだ。
「総員、抜剣!! 偃月陣形!!」
馬に拍車をかけて、南部の馬鹿者どもはΛの形で二〇〇の騎兵に突っ込んでいく。
駆けろ駆けろ、この世の終わりまで。馬上の騎士とは、そうあれかし。
死が前にあるのならば、その死に向かって駆けていくのみ。
馬もそれをくみ取って、今までにない速度で地面を蹴って進んでいく。
まるで風になったかのようだ、こんなに晴れ晴れとした死に方があるものか。
ずらっと並んだ敵騎兵の戦列にひるみもせず、一三人の騎士たちは鬨の声を上げながら突進した。
――――
騎兵と騎兵がぶつかり合い、槍と剣がすさまじい金属音をあげ、骨と肉が破砕される音がそれに続いた。
断末魔があがるや馬のいななきがそれをかき消し、衝撃で投げ飛ばされた馬上の者が空を舞い、受け身も取らずに地面に転がる。
最初の一撃で死ななかった南部の騎士は、剣を振り回して肉弾戦を挑んできた。
訓練された戦士階級である騎士が、迂闊に間合いに入った騎兵を渾身の一撃で袈裟に切り捨てる。
馬上での戦闘によく慣れている騎士だからこそ、隊列のただなかに入っても剣で敵を切り、突き、殺すことができる。
馬もそんな騎士をよく知っているからこそ、手綱と拍車のままによく動き、一体となって敵に立ち向かった。
しかし、それも剣の間合いより外の敵が槍で騎士を貫けば終わる。
二〇〇に対して一三で立ち向かった南部の騎兵たちは、たしかに数にしては果敢に戦い、シモン・バドニーの騎兵を大いに煩わせた。
何人かの騎兵は剣の一撃で斃れ、また馬も無事では済まなかったが、一三人の騎士は全員が槍に貫かれ死んだ。
「死兵か……士気が高くなければ、ここまで戦えぬであろうな」
ベルツァールの兵たちは、予想よりも士気が高いらしいとシモン・バドニーは髭を撫でる。
足止めにやったマルガッツの四〇騎もうまいこと踊らされているようで、おまけに中央の騎兵が下がらぬので敵の偵察は防ぎきれないだろう。
本来であればここで一方面の敵騎兵を殲滅し、そのまま中央に殴りこむつもりであったが、敵は捨て駒を置いて主力を残しつつ退却した。
この状態で深追いすれば、退路を断たれて包囲されるだろう。
「まったく、なかなかどうして武人であったか……さあ皆の衆、下がるぞ!!」
敵の本陣も見れずとは、偵察は失敗ではあるが、とバドニーは馬を走らせながら髭の下で口を曲げる。
しかし、物量はこちらが圧倒的なのだと、そう信じて本陣へと駆け戻る。
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