第9話「時の流れは早いもんで」
なんだかんだとあって、黒髪眼帯魔法使いのルールー・オー・サームと出合って、二ヶ月が過ぎた。
何事もなかったわけではないのだが、引っ越した後は何かと忙しくて余裕がないのと同じで、オレもまた余裕がなかったのだ。
まったく違う文化圏、まったく違う時代感と衛生観念。魔法という未知に、エルフやドワーフなどといった異種族。
常に頭がキャパオーバー気味で、そんな状態でも生きるために働かねばならないのだから、一段落つくのに二か月はまだ短い方だと我ながら思う。
さて、状況を整理しよう。
ここは日本でもないし、どうも地球でもないらしい。ヨーロッパでもなければ、アメリカでもないし、アフリカでもユーラシアでもオセアニアでもない。
ここは、タウリカという。
山に囲まれた盆地にある、北部の要衝に設けられた辺境伯領だ。
昔から交易路として栄えてきた関係上、基本的には宗教や異種族に寛容。そんな土地のため山々には主にドワーフが、森にはエルフや小人族のファロイドがおり、ドワーフは鉱物、エルフは木々の作物などを、商人に売り、そしてファロイドは吟遊詩人として商人たちのキャラバン(対盗賊団を目的として商人や運送業者が共同で金を出し合い編成される商人らによる部隊。隊商ともいう)に同行し、各地を放浪する旅に出る。
良い所に転生―――この場合は転移かもしれないが―――できたものだと、その運の良さには感心するばかりである。
そしてここタウリカでオレは―――、鍛冶屋の、というか、蹄鉄屋の倅、ようするに弟子としてこの二か月を働いていた。
「コウ、お昼の時間」
「はい親方」
いや、訂正が一つ。
働いていたではない。働いているのは事実だろうが、でもこれは馬車馬のように働かされているという意味で、つまりこき使われているという意味を含んでいる。苦ではないが楽ではないといったところなので、こき使われているというのは言い過ぎかもしれないし、何より考え過ぎると頭がおかしくなりそうな情報量から程々に目を逸らすには、都合の良い疲労と労働であったのかもしれないが。
そう、二ヶ月があっという間に過ぎ去ったのは日が昇ると同時に起床して、日が落ちると同時に就寝するという中世な生活スタイルとここの労働が重なって起きたものでもある。お陰で生活習慣病か早死に一直線であったはずのオレの乱れた生活リズムは、既に完全に矯正されている。
なお、コウというのはオレの名前である。姓はない。
よほどすばらしき家柄でもない限り、この世界では苗字というものはないのが普通で、一般的には「○○の息子or娘」というのが苗字代わりになっている。あるいは貴族である場合は単純に賜った貴族位の名をそのまま姓として名乗ることもあるらしい。
一方で魔法使いの名前やドワーフ、エルフ、ファロイドはそれとはまた別の法則があるらしい。これについてはいつか、どこかで語りたい。
なので、こちらの世界で親の顔も故郷も見たこともないオレは、ただのコウ、あるいは暫定的にタウリカのコウとなる。
そしてオレは結局、ルールーに引き取られる形で立場が落ち着いている。
あの時、山の麓に見えた教会はあくまで国教としての地位がある神聖十字教会――どうやら前世のキリスト教っぽい宗教らしい――の系列を引くもので、ドワーフなどの異種族は孤児院に入れてもらえないのだそうだ。宗教や異種族に寛容、の前に基本的にとくっついているのは、そのせいだ。これは教会が異種族蔑視をしているわけではなく、王国全体が様々な種族を抱え込み、その種族の権利についても昔の国王が勅書という形でしっかりと残しているがために、援助や施しも現場単位でどうこう気軽に出来ないという事情があるらしい。
とはいえ、だ。そもそもとして丘に登るだけでバテるほど腹が減っていた魔法使いのルールーが、いい生活をしているわけもない。廃屋同然の石造りの元教会、その地下で細々と寒々と生活しているに過ぎず、当人も、
「とりあえず魔法協会の仕送りがくるまでなあなあで耐えようかなぁ……なんて」
と働く意思も気力も無さそうであったために、オレはひたすらに状況と仕事に振り回され、この二か月をあっという間に消化してしまったというわけだ。